茂木健一郎(@kenichiromogi)さんの連続ツイート第1266回「肉と、ケーキ」
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にけ(1)昨日、街を歩いていたら、あるビルが見えて、「ああ、そうだ、あそこにカンテサンスが入っているのだった」と思い出した。若きシェフ、岸田周三さんが経営されている、ミシュラン三ッ星レストラン。私は『プロフェショナル 仕事の流儀』の時に取材でお世話になった。
2014-06-14 08:28:00にけ(2)岸田さんにはいろいろなお話を伺ったが、その中で特に印象に残っていることがある。岸田さんは、<プロデュイ(素材)><キュイソン(火の入れ方)><アセゾネ(味付け)>の三点を徹底的に追求される。そんな中で、たとえば肉をどれくらい焼くとか、塩、胡椒をどれくらい振るとか、
2014-06-14 08:29:27にけ(3)そのようなものはすべて「目分量」なのだという。何分焼いて、何グラム塩をつかって、ということではない。なぜかと言えば、自然の素材は一つひとつ違うから、その可能性を最大限に活かそうと思えば、感覚で向き合い、その時々のベストを調製するしかないというのだ。
2014-06-14 08:30:33にけ(4)あらかじめこのような手順で、という「マニュアル」をつくってしまうと、その通りにやりさえすればいい、と思ってしまう。しかし、実際には一つひとつの事例が、一期一会で違う。だから、感覚を研ぎ澄まして、個別の事例に対応するしかない。そのような意味だと私は感じた。
2014-06-14 08:31:43にけ(5)人間関係もそうだな、と時々思う。人には、このように対すればいい、みたいなマニュアルは、この世に存在しない。一人ひとりが違うし、その日の状況も異なるし、また、自分のあり方も変わる。だから、人と向きあう時は、感覚を研ぎ澄まし、個別で対応するすかない。
2014-06-14 08:32:38にけ(6)教育現場においても、マニュアルというものは本来は存在しない。すべての子どもに、このように対応すればいい、という手順もない。一人ひとりの子どもは違う。だから、教師は、感覚を研ぎ澄まし、見て、聞いて、柔軟にその場で適応を生み出す以外の道はない。
2014-06-14 08:33:34にけ(7)つまり、岸田周三さんの料理は、一つの芸術なのだ。個々の素材という事例に、自分の感覚で対応する。私たちの人とのかかわりも、また、一つの芸術であるし、教育も一つの芸術である。芸術の現場は、一期一会。定型的なマニュアルで向き合っては、本来いけない。
2014-06-14 08:34:47にけ(8)ところで、岸田さんにうかがったお話で、面白いなあと思った点がある。それは、ケーキをつくる時だけは、厳密にバター何グラム、小麦粉何グラム、何分焼いて、というのを守らないといけないというのだ。守ればちゃんとできる。まもらないと、ケーキができあがらない。
2014-06-14 08:35:48にけ(9)マリーアントワネットが「ケーキを食べればいいのに」と言った時には、そのような深いことを考えていたのだろうか。そんなわけもないが、ケーキというのは料理で例外的な存在らしい。私たちの生活の中に、ケーキ的なものの存在は時々現れる。たとえば料理のデザートの際に。
2014-06-14 08:36:46