エチオピア皇帝情報まとめ

個人的なメモ
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はくえー🔱【各国の王侯情報紹介】from:西方元老院 @tomoshibi6o6o

エチオピア皇帝ダヴィド2世のとき、イスラム教徒のグラン将軍が帝国に侵入して蹂躙した。 ダヴィド2世は総計21万の軍勢を率い、グラン将軍2500弱に会戦を挑んだが大敗、帝国の南部まで蹂躙された。 離脱した皇族は殺されるか宦官にされた。

2019-07-21 22:54:56
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1540年にダヴィド2世は崩御し、息子のガラーデオスが即位したが、この頃には帝国の体裁は崩壊していた。 国とは名ばかりの山頂の砦、百人に満たない兵が死守。 国民は殺されるか、イスラム教に改宗してしまった。 ガラーデオス王はポルトガルの救援を信じた。

2019-07-21 22:57:24
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救援に駆けつけたのは25歳のクリストヴァン・ダ・ガマ、ヴァスコ・ダ・ガマの四男であった。 これは正規の救援軍ではなく、エチオピア現地で急遽編成された軍隊だった。 クリストヴァンは捕らえられグラン将軍の手で斬首されたが、生き残った軍はエチオピア軍と合流、やがてグラン将軍を討ち取る。

2019-07-21 23:04:43
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この後、イスラム勢力は当方に去ったので、ガラーデオス王は国土を回復したのであった。 しかし治世の後半には、オスマン帝国の伸長やイエズス会の影響、諸部族の移動と対立により、後世に続く混乱の源が発生した。

2019-07-21 23:06:43
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エチオピア皇帝はソロモン王とシバの女王の息子メネリク1世に始まると語られる国家であり、ソロモンは息子を南の国(エチオピア)に送る際に国内の神官たちの長男を招集して共に往かせた。 これら神官の長男たちの末裔は、中世期でも皇帝の神官貴族として特別の地位にあり、イスラエルの子孫であった。

2019-07-21 23:11:05
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エチオピア皇帝家の系譜(家系図)。近代の諸皇帝はみんなエチオピア皇帝ダヴィド2世(1540没)の子孫らしい。 ダヴィド2世の子孫はゴンダール系統とショア系統に別れ、前者からはテオドロス2世やヨハンネス4世が、後者からはメネリク2世やハイレ=セラシエ1世を輩出したという。 pic.twitter.com/mH7DXu5WE2

2019-08-10 00:37:10
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エチオピア皇帝の継承資格について。 エチオピア皇帝位の継承資格は東ローマ皇帝と同じく、奇形や身体障害(欠損を含む)の無い者が基本であった。 また皇位継承騒動を避けるため、後期オスマン帝国と同じように皇太子以外の男子は山に軟禁された。

2019-08-10 10:20:27
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この軟禁制度はソロモン王朝の前期から見られる(一度廃止されたが、皇位騒動により復活した)が、この際に幽閉の地として定められたのはゴンダール地方南東部にあるワフニ山であった。 先帝の子息ではなかったテフォウロス帝、ダヴィド3世、バカッファはいずれもこの山に軟禁され、下山して即位した。 pic.twitter.com/1R1oOG4JWg

2019-08-10 10:25:53
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もしこの山から脱走を試みたエチオピア皇族は、いずれも手足を切断された。 これによって皇位継承資格を喪失するからである。 この制度により、エチオピア帝国は皇位継承騒動を抑えることが出来た。

2019-08-10 10:27:24
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エチオピア皇族について、帝位継承の要件として男系でソロモン王の血を引くことが至上の条件であった。 大航海時代の探検家アルヴァレスの解説によれば、エチオピア帝国において皇帝に親族はいないものとされた。

2019-08-10 10:30:38
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エチオピア皇帝の姉妹や娘などの女系は皇帝の存命中は丁重な扱いを受けたが、彼女らは皇帝である兄弟や父が没した時点で、普通の女性と何ら変わりない扱いになった。そのため彼女らが産んだ皇帝の女系親族は特別な待遇を得なかった。

2019-08-10 10:31:32
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また男系親族についても、兄弟は先程のワフニ山への幽閉制度があったことに加え、父方から皇帝血を引く者もまたゲシェン山に幽閉された。 彼らは生きていても、死んだものと看做された。 皇帝が血統を残さずに死んだ場合に、彼らは「蘇生」して、継承者となるのである。、

2019-08-10 10:34:13
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エチオピア皇帝と帝位継承の要件 ・エチオピア皇帝に親族はいないものとされた ・身体に問題のある者は帝位に就けない ・皇帝の兄弟と前の皇帝の男子子孫は山へ幽閉 ・皇帝の娘の男子は特別な待遇を得なかった

2019-08-10 10:36:19
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※これはゴンダール期の前半まで機能していたが、後半には崩れた。 皇帝テウフォロスの没後、ラス(諸侯)のヨストスが帝位に就いた。 彼は皇帝ヨハンネス1世の玄孫にあたったが、男系の系譜ではなかった。 彼は従来の継承法による資格の保有者ではなかったが、力によって即位したという。

2019-08-10 10:39:41
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この後のエチオピア土師時代には、山から脱走して腕を切り落とされた皇族が人々の歓呼を受けて皇帝ヨハンネス2世として即位した。 土師時代の後半には皇族男子を山に幽閉するという制度も崩壊し、そこにいた男子は各地に散らばって有力諸侯となった。

2019-08-10 10:42:34
はくえー🔱【各国の王侯情報紹介】from:西方元老院 @tomoshibi6o6o

19世紀にエチオピア帝国の再統合を進め各地を征服した皇帝メネリク2世は、皇帝ダヴィド2世(1540没)の11代目の男系子孫であると年代記には記されている。 しかし、その系譜における3代目のナガシ王は実際にはソロモン王朝の系譜ではなく、妻がその系譜だった可能性が示唆されている。

2019-08-10 10:46:07
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またエチオピア土師時代の初期の記録では、ショア王族はソロモン王朝の関係性を主張していなかったとしている。 それが時代を下ると女系で血筋を引くと主張するようになり、メネリク2世の時代には男系を主張するようになった。

2019-08-10 10:48:07
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メネリク2世が男系血筋を主張するようになった理由としては、これ以前に即位したテオドロス2世、タクラ=ギヨルギス2世、ヨハンネス4世の諸皇帝が女系によって皇帝位に就いたことに対する、その子孫への優越性であったと推察されている。

2019-08-10 10:50:39
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用語補記 エチオピア帝国における時代区分 ソロモン朝前期(1270-1540) ソロモン朝後期(1540-1769) +プレ・ゴンダール期(1540-1632) +ゴンダール期(1632-1749) →ゴンダール期前半(1632-1706)後半(1706-1769) エチオピア土師時代(1769-1855)

2019-08-10 10:57:25
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1540年:皇帝ダヴィド2世の崩御と異教徒グラン将軍の侵略による帝国の転換(ソロモン朝前期の区切り) 1632年:都をゴンダールへ遷す(ゴンダール期への移行) 1706年:皇帝イヤス1世の暗殺により積極的な対外政策の中止(ゴンダール期後半へ) 1769年:皇帝イヨアス1世の暗殺(土師時代へ)

2019-08-10 11:02:33
はくえー🔱【各国の王侯情報紹介】from:西方元老院 @tomoshibi6o6o

これらの出典は写真の書籍によった(石川博樹,ソロモン朝エチオピア王国の興亡,山川) ※プレ・ゴンダール期という表現については、ソロモン朝後期のダヴィド2世崩御後からゴンダール期の成立までの時代を、本作で扱う上における著者の命名である。 pic.twitter.com/xzWSn24WnZ

2019-08-10 11:05:36
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ちなみにアルヴァレスの「エチオピア王国誌」には、エチオピア宮廷における各役職はソロモン王が自らの宮廷からメネリク1世に同行させた者の子孫である、という興味深い記述がある。

2019-08-10 11:12:03