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「#ふぁぼされる度に歴史人物の話をする」から始まったハプスブルク夜話。創建以前から現代まで。

#ふぁぼされる度に歴史人物の話をする」から始まったハプスブルク夜話。創建以前から現代まで。
歴史 西洋中世史 ハプスブルク家
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はくえー@新刊固定ツイ(※王位請求者本は再刷中) @tomoshibi6o6o
#ふぁぼされる度に歴史人物の話をする なるほどなるほど オールとなるとどこから出していいやら困るので、ハプスブルク家から出していきますよ。 それ以外の分野希望はリプも合わせてください。

不確かな時代(6世紀~1020)
ハプスブルク家の先祖は多くの伝説に彩られている。
彼らは後世、先祖はトロイアのプリアモス王だとか、古代ローマのカエサルだとか、あるいはブリタニアのアーサー王だと語った。
この時代は不確かなことが多い。確かなのは、1020年頃に彼らの城が築かれるということである。

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エガ(560~646) ハプスブルク家の遡れる最初の先祖。詳細不明。 ハプスブルク家に限らず様々なドイツ・フランス諸侯の先祖とされる。 ロートリンゲン家もこの子孫であり、マリア=テレジアとフランツ=シュテファンの婚姻は「家系の再統合」であるとして正統化された。 pic.twitter.com/Xpy1v05qIT
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鷹の城の建設(1020年)
「一族は東から来て、この地方の支配者となった。彼らは丘の上に鷹の城を築いた」
遠い先祖ラートボト伯爵によって建てられた鷹の城(ハビヒツブルク城)が、やがて彼らの家名「ハプスブルク」となった。
ハプスブルク一族はこの地方の有力者として力を蓄え、来るべき運命の時を待ち続ける。

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ラートボト伯爵(982~1063) スイスに鷹の城「ハビヒツブルク城」を建設した、ハプスブルク家の遠い先祖。これが訛って一族の名前「ハプスブルク」となった。 pic.twitter.com/udxToavvAJ
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ヴェルンヘル1世(1007~96) ハプスブルク家の遠い先祖のひとり。ハビヒツブルク城を築いたラートボト伯爵の息子。 伝説によれば、皇帝ハインリヒ4世の対立王、シュヴァーベン公ルドルフ・コグナトゥス・ヴェルナーは彼のこととされる。 pic.twitter.com/Vh1Xlsrdog
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オットー2世(1038~1111) ハプスブルク伯を名乗った初めての先祖とされる。資料によって存在が確実視される先祖。ヴェルンヘル1世の息子。 皇帝ハインリヒ5世に従い、ハンガリー遠征に向かうがその帰路で殺された。 pic.twitter.com/SwEXLT5bTy
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アルブレヒト4世(1188~1239) 通称“賢人アルブレヒト”。ドイツ王ルドルフ1世の父。 聖地巡礼に赴き、そのまま没した。聖地に埋葬されている。 pic.twitter.com/A9ty4i4dsP
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皇帝選出(1273年)と初期ハプスブルク家の時代(13世紀~15世紀)
神聖ローマ帝国の諸侯は、1273年の選挙でハプスブルク家のルドルフをドイツ王に選出した!
ルドルフ1世以降、孫の代まで断続的に王位に選ばれたが、それも絶えてしまう。
それからハプスブルク家は、新たに得た(そして最後の最後まで付き合うことになる)領国オーストリアの「公爵家」として歩みだす。

彼らが再び玉座に就いたのは、1438年のことだった。

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ルドルフ1世(1218~91) 彼がドイツ王に選ばれたことで、ハプスブルク家は歴史の表舞台に登場した。 近年の研究では、「凡庸だったからドイツ王に選ばれた」のではなく、フランス王・ボヘミア王に対抗できる、ある程度の実力を見込んで選ばれたする説が出ている。 とにかく実際は頭が切れて有能だった。 pic.twitter.com/6LVhE79p8N
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アルブレヒト1世(1255~1308) ルドルフ1世の子。ドイツ王位をナッサウ家のアドルフに奪われるが一騎討ちで倒した。 戦傷、もしくは治療により隻眼になったため隻眼王とも。 「王は周りの心がわからない…」をゆくスタイル。 相続絡みで甥に暗殺された。 pic.twitter.com/GgHdfEdbsT
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ヨハン=パリツィータ(1290頃~?) 「親族殺し」のヨハン。相続に不満があり、伯父アルブレヒト1世を暗殺した。 その後、復讐として彼の縁者は皆殺しにされたらしい。 しかし異説として彼はイタリアに逃げ、その地でイタリア=ハプスブルク家を作ったという話を見たが、情報元が無かったので怪しい話。 pic.twitter.com/t3im5rt3GF
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ルドルフ3世(1282~1307) ボヘミア王としては1世。ドイツ王アルブレヒト1世の子。 ボヘミア王になったが、まもなく亡くなった。 彼が王位を維持できればハプスブルク家の歴史はだいぶ変わっただろう。 pic.twitter.com/V7a2QHuvNn
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フリードリヒ3世(1289~1330) オーストリア公としては1世。美王と呼ばれた。あまり知られてないが公平王というあだ名もある。 ドイツ王位をめぐってバイエルンのルートヴィヒ4世と争ったが、弟の救援が間に合わず負けた。 彼以降、ドイツ王位はしばらく遠ざかってしまう。 pic.twitter.com/xNL4XlWx5r
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アルブレヒト2世「賢公」(1298~1358) あまり戦争しなかったため「平和公」とも呼ばれる。皇帝位の獲得にこだわらず、他家の争いの調停に乗り出すことも多かった。 領民にとても慕われ、打ち出した政策はハプスブルク家が「オーストリア家」として定着する要因となった。 pic.twitter.com/MfF5VnT4yF
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オットー(1301~39) 陽気公。陽気な公爵オットーのもとでは自由溌剌な宮廷だったというが浪費もすごかったという話も聞いた。 彼とその息子が相次いで死んだことでハプスブルク家は断絶の危機に陥った。 pic.twitter.com/YcouTpKpRr
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ルドルフ4世(1339~65) 「うせやろ!? なんでお前んとこにカエサルと皇帝ネロの文書が残ってるんやねん!」と時の皇帝カール4世に言わせた、ハプスブルク家きっての鬼才。 型破りな行動が多く(主に皇帝と弟が被害者)、辣腕を振るいに振るったが早世してしまった。 pic.twitter.com/YTp7oULcgk
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アルブレヒト3世(1349~95) アルブレヒト「編込公」「弁髪公」とも。由来はこの編み込まれた髪を見よ。 ルドルフ4世の弟であり主な被害者のひとり。 兄の早世により家を継いだが、家督はことある度に弟レオポルト3世に脅かされていた。 pic.twitter.com/5D0q2lKFST
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アルブレヒト4世(1377~1404) アルブレヒト系ハプスブルク家。聖地巡礼に赴き多くの不可思議なものを持ち帰ったため不思議公と呼ばれる。東洋を見物した人?を連れてきたとか。 若くして亡くなり、息子アルブレヒト5世が跡を継いだ。 pic.twitter.com/pFp32gxERO
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アルブレヒト5世(1397~1439) ドイツ王としては2世。幼少時から異教徒と戦い続け、国内でもユダヤ人を弾圧した苛烈な気性だった。 だがこれでも人望があったらしく、死後には「有徳の君主」と讃えられている。 久々にドイツ王に選ばれたが、武名を欲したのか戴冠を前にしてトルコ戦線に出て病没した。 pic.twitter.com/7ZrqkLYwXJ
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ラディスラウス(1440~57) 父親アルブレヒト5世(2世)の死後に生まれ、生まれながら当主となった。 遺腹王と呼ばれ、ハンガリー王でもあった。 白血病により夭折。彼の死によりハプスブルク家の主系統は代わり、従叔父の皇帝フリードリヒ3世が当主となった。 pic.twitter.com/akff390aOO
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レオポルト3世(1351~86) ルドルフ4世、アルブレヒト3世の弟。ルドルフ4世の没後、所領を継承した。兄アルブレヒト3世によくちょっかいをかけてた。 旧領スイスの奪還を掲げて攻め込むも少数を相手に大敗し戦死。 pic.twitter.com/Nq4vb8mF8J
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エルンスト(1377~1424) レオポルト家系。エルンスト鉄公と呼ばれる。 イタリアの血を引く陽気な公爵だったという。 野心家であり、幼い本家当主の後見を狙って争ったり、ルドルフ4世ぶりに「大公」を名乗ったり、皇帝に敵対したりした。 息子フリードリヒ5世は皇帝になった(フリードリヒ3世) pic.twitter.com/78ipJYTZyy
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フリードリヒ4世(1382~1439) ハプスブルク家の分家チロル家の初代。 公会議で対立教皇を推したため破門され、公衆の面前で皇帝ジギスムントに赦免を乞うた。 pic.twitter.com/Jj4FUeNHYV
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ジギスムント(1427~96) ハプスブルク家のチロル分家2代目。 最初は善政を敷いていたはずなのに、妻を亡くしたあたりからおかしくなって女と金に手を出しまくった。 結果、嫡子はいないのに庶子がいっぱいというサイテーなことに。 そのため領土は本家の皇帝マクシミリアン1世が継承した。 pic.twitter.com/jSLmyolNzu
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コメント

今日が終わりの始まりの日 @__blind_side 2017年12月12日
フランツ=フェルディナンド大公の好感度が急上昇いたしました。
ますぞー(Masuzoh) @Masuzoh_twt 2017年12月13日
末裔のレーサーが今年のマカオで人心をキャッチする レースを展開しましたね
梵我一如 @nanji_sorenari 2017年12月13日
息子のレーサーの能力は大したもの。今後期待できる
nekosencho @Neko_Sencho 2017年12月13日
マカオGPは、ピケ(F1王者)の息子とかシューマッハ(同)の息子とか、サラブレッドばかりじゃんと思ってたら本物の王子様があのご活躍あそばされたわけで
元老院議員 @Batory1560 2017年12月13日
瀬原義生先生の『スイス独立史研究』によるとハプスブルク家のそもそもの発祥の地はエルザス(アルザス)だという説が有力で、ラートボトの祖父「富裕伯グントラム」の代におそらく婚姻を通じてスイス北部のアールガウ地方にも領地を得たといい、「ハプスブルク」という家名はそのアールガウに建てることになる「鷹の城」ではなくエルザスの所領にあった「ハープスハイム」という集落に由来するのだそうです。
重-オモ- @__oMo__ 2017年12月13日
肖像画に混じってちょくちょく入るゲームの画像みたいなのはなんだろうw
赤間道岳 @m_akama 2017年12月13日
世界の首脳を集めてベルリンの壁を壊した事件の裏にいたのもハプスブルク家だっけ(´・ω・`)?
いつき @ituki_s 2017年12月13日
時々混じる画像それでいいんかいが笑う。
毛海王⋈ @masu_ooyama 2017年12月14日
意外としゃくれが少ない
さどはらめぐる @M__Sadohara 2017年12月14日
m_akama パン・ヨーロッパ・ピクニックを画策したのは、オットー・フォン・ハプスブルクですね。興味があるなら、エーリッヒ・ファイグル著「ハプスブルク帝国・最後の皇太子」をお勧めします。政治画策系が好きならたまらない一冊です。
痛日記P @IDOLort6 2017年12月14日
面白かった。こういうまとめいいよね。
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