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「#ふぁぼされる度に歴史人物の話をする」から始まったハプスブルク夜話。創建以前から現代まで。

#ふぁぼされる度に歴史人物の話をする」から始まったハプスブルク夜話。創建以前から現代まで。
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双頭の鷲、ハプスブルクの家紋となる-皇帝フリードリヒ3世とマクシミリアン1世の時代(1440~1519)
本家当主アルブレヒト5世の急逝により、傍流からフリードリヒ3世が即位して、ハプスブルク家の系統が変わった。
彼とその息子マクシミリアン1世によって、ハプスブルク家が羽ばたく基盤が作られていく。

はくえー🔱【各国の王侯情報紹介】from:西方元老院 @tomoshibi6o6o

皇帝フリードリヒ3世(1415~93) 帝国の大愚図と呼ばれ、評価が低かったが近年は見直されている。 帝国の拡大政策を転換して止める傍らで、大特許状を帝国法に組み込み「オーストリア大公」の地位を得て、帝国の紋章・双頭の鷲をハプスブルク家の家紋に転用するなど、実はしたたかな人物だった。 pic.twitter.com/eQt9IGWcZh

2017-12-11 18:44:10
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アルブレヒト6世(1418~63) 皇帝フリードリヒ3世の弟。はじめ所領が無かったため「無領公」または「放蕩公」とも。 本家の後見を狙うが、野心力が見え見えで敬遠された。 後に兄帝に反乱を起こすも、民心を得られず急逝(暗殺説あり) pic.twitter.com/orCBoNxUwi

2017-12-11 20:58:00
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皇帝マクシミリアン1世(1459~1519) あだ名は「中世最後の騎士」(やたらとかっこいい)。 ハプスブルク家が生み出した公式チート。婚姻政策ばっかり目に付くけど数多の革新的な改革を行って、ハプスブルク家が飛翔するキッカケを作った。 pic.twitter.com/YqQcNKuZlZ

2017-12-11 18:50:03
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フェリペ端麗王(1478~1506) 女好きであり妻フアナにヤンデレされてたことで有名。 あまりに監視がきついため、ある時、女装してまで村に女を探しに出た。 そこには男装していた妻フアナが待ちふせており、捕まったという出所不明なエピソードすこ。 彼の息子がカール5世です(小声) pic.twitter.com/6bG6YaWdsD

2017-12-11 21:29:33
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最盛期ハプスブルク家~幸いなるオーストリア、汝は結婚せよ~世界帝国スペイン・ハプスブルク家の時代(1516~1700)
ハプスブルクの最盛期を築いた君主は皇帝カール5世とされる。
彼はスペイン王でありながら神聖ローマ皇帝であり、70以上もの称号をもってその帝国は「太陽の沈まない帝国」と謳われた。

彼は1556年の退位の際に、息子フェリペにスペイン帝国と植民地を、弟フェルディナンドに神聖ローマ帝国とオーストリアを相続させた。
だが、明らかに植民地を擁するスペインの方がより重要だったのは明らかだった。

スペイン・ハプスブルク家(スペイン=アブスブルゴ朝)は1700年に断絶するまでその帝国を保持した。

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皇帝カール5世(1500~1558) ハプスブルク最盛期の君主。「太陽の沈まない帝国」を築く。 ドイツ=スペイン連合は結局のところ彼1代で終わったが、その時代は300年経ってもフランスにとって恐怖(トラウマ)となった→ホーエンツォレルン家によるスペイン統治案。普仏戦争の原因に。 pic.twitter.com/pAeSzQ56gc

2017-12-11 18:40:23
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ドン=フアン(1547~78) 初名ジェロニモ。皇帝カール5世の庶子。 レパントの海戦でキリスト教世界を守った英雄。 スコットランド王位に就く予定だったが、その前に病没した。 pic.twitter.com/GQOrJsfEuy

2017-12-11 23:12:04
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フェリペ2世(1527~98) カール5世の息子。父から「全世界の偉大な跡継ぎ」と宣伝されて育ったため、「世界を手にしてもまだ足りぬ」と言い放っちゃったんじゃないの(疑問) 兼ポルトガル王。その植民地も支配した。 日本人が初めて会ったスペインの王(天正遣欧少年使節) pic.twitter.com/2AmtlmxVJG

2017-12-11 21:32:39
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ドン=カルロス(1545~68) シラーの悲劇が有名。フェリペ2世の子。 父に反逆を企てたとして捕られられ、獄死した。 pic.twitter.com/VuxBRZWxF0

2017-12-11 23:07:49
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フェリペ3世(1578~1621) スペイン王。父フェリペ2世から「神は私に多くの国を与えたもうたが、それを治める子を与えてくださらなかった!」と嘆かれた。 凡庸な君主だった。火鉢を動かず役目の家臣がいないからといって動かさず、そこに留まって当たり続けたのが元で崩御した。 自分が動けばよk(ry pic.twitter.com/BTuMxjJVy4

2017-12-11 23:28:48
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フェリペ4世(1605~65) ルイ太陽王と比較されて「惑星王」または「無能王」と呼ばれる。 ひどいあだ名だなぁ…16歳で即位したが政務を思うがままにとれず寵臣に任せることになった。 芸術の見る目があり、パトロンとして保護に力を入れた。 pic.twitter.com/HYVTEln4lT

2017-12-11 23:31:43
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カルロス2世(1661~1700) スペイン王。スペインにおけるハプスブルク家(スペイン=アブスブルゴ家)の最後の子孫。 度重なる近親婚により多くの病・障害を持っていたが、先祖カルロス1世(カール5世)以来の敬虔な信徒であり、先祖から受け継いだ領土の分割をハッキリと拒否した。(だが守られなかった) pic.twitter.com/rfKZgAuZDP

2017-12-11 21:25:42
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オーストリア系ハプスブルク家の時代(1521~1740)
フェルディナンド1世は兄カール5世から、支配地のうち東部の所領を継承した。
この一族はボヘミア王、ハンガリー王も兼ねて、後々に「ハプスブルク君主国」と呼ばれる、神聖ローマ帝国の滅亡後も続く帝国の礎となった。

だが、1740年。
皇帝カール6世の死により、それまで続いてきたハプスブルク家の男系男子が絶えてしまう。

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皇帝フェルディナンド1世(1503~1564) カール5世の弟。兄から皇帝位を継いだ。 モットーは「正義はなされよ。よしや全世界が滅ぶにしても」。 このモットーは後世にも引用され、哲学界隈でもまぁまぁ有名なワードらしい。 pic.twitter.com/KgO99aV0W8

2017-12-11 19:23:56
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皇帝マクシミリアン2世(1527~76) 一時はポーランド王にも推戴されたが、王位を維持できなかった。 伯父カール5世から「軟弱者」と怒られたが、彼は彼なり、カトリック内の改革を尽力しようとしたし頑張ってたと思う… 痛風、腎臓疝痛など多くの持病を持っていた。 pic.twitter.com/Yy0vneZPN9

2017-12-11 19:41:43
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フェルディナンド2世(1529~95) 前方オーストリア大公。チロルの統治で知られる。 数十年も続いていた先祖の皇帝マクシミリアン1世の霊廟は、彼の時代に一応完成となった。 芸術の蒐集家としても高名で、コレクションが残る。 pic.twitter.com/5RjMHgFVHn

2017-12-12 18:47:17
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カール伯爵(1560~1618) 前方オーストリア大公フェルディナンド2世の庶子。 軍人としては有能だったが、統治では倹約・課税を敷いたため領民に嫌われていた。 庶子がおり、その男系子孫は1726年まで続いた。 pic.twitter.com/DbmDwBm4K1

2017-12-12 18:50:54
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ルドルフ2世(1552~1612) 即位翌年に狂気に襲われ、以降次第に悪化していった「狂人皇帝」 そのため政治はからっきしだったが、科学・芸術を心休めとしており、庇護者したため発達した。 庶子にドン・ジュリアス=シーザーがいたが、殺人事件を起こした。 弟マティアスの結婚を認めず、恨まれることに。 pic.twitter.com/HrX0AkFC4p

2017-12-11 19:27:28
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ドン=ジュリアス=シーザー 皇帝ルドルフ2世の庶子。父から認知されていた。 父から寵愛を受け帝国内において役職を与えられたが、痴情のもつれから殺人事件を起こし投獄。 これにより父から見放され、救われずにそのまま先立って没した。 pic.twitter.com/cOUpgHya2p

2017-12-12 00:29:51
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マティアス(1557~1619) プロテスタントを重用して兄帝ルドルフ2世を廃位してボヘミア王位、皇帝位を得たものの、それが皇帝威信の低下を招く。 これによりショックにより失望と無力感に襲われて体調を崩し、嫡子なくカトリック強硬派の従弟フェルディナンドを後継者に。 君主の器ではなかったか… pic.twitter.com/Lt1MXafUjp

2017-12-11 22:59:10
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フェルディナンド2世(1578~1637) 皇帝。「異端と不信仰者への妥協は許されない」という神の声を聞いたとして泥沼の三十年戦争の発端を開いた。 金印勅書に自ら反して選帝侯位を剥奪したり付与したりしている。 味方を増やすため、どこかの銀河帝国の皇帝みたいに爵位を濫発した。 pic.twitter.com/pcpwFpIDCh

2017-12-12 00:27:05
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フェルディナンド3世(1608~57) 三十年戦争後半に即位したため、好き勝手やった父帝(フェルディナンド2世)の尻拭いをさせられる羽目になった可哀想な人。 彼の心の拠り所は音楽であった。初めて作曲を行った皇帝である。 pic.twitter.com/b3EzX67I2B

2017-12-12 17:55:36
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フェルディナンド4世(1633~54) ローマ王。父フェルディナンド3世の共同統治者だったが早世し、聖職者を目指していた弟レオポルトが還俗、後継者になった。 pic.twitter.com/abST2eDxRV

2017-12-12 18:30:53
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レオポルト1世(1640~1705) 通称「バロック大帝」。バロック時代の皇帝で自ら作曲もした。 その治世は先祖フリードリヒ3世に次いで長く、47年にも及んだ。 オスマン軍のウィーン包囲を退け、逆に占領されていたハンガリー領を奪還した。 pic.twitter.com/k0w3KUZ1tT

2017-12-11 22:53:22
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