編集部イチオシ

「#ふぁぼされる度に歴史人物の話をする」から始まったハプスブルク夜話。創建以前から現代まで。

#ふぁぼされる度に歴史人物の話をする」から始まったハプスブルク夜話。創建以前から現代まで。
294
前へ 1 2 3 ・・ 6 次へ
はくえー🔱【各国の王侯情報紹介】from:西方元老院 @tomoshibi6o6o

ヨーゼフ1世(1768~1711) 父レオポルト大帝から「新たな太陽王」と呼ばれ期待された。 弟カール大公を推してスペイン継承戦争を続けたが、自身の早世によって戦争が終わることになった。 pic.twitter.com/83m1FHvSbS

2017-12-11 21:18:28
拡大
はくえー🔱【各国の王侯情報紹介】from:西方元老院 @tomoshibi6o6o

カール6世(1685~1740) はじめスペイン継承戦争でスペイン王カルロス3世を名乗っていたが、正式な王位を得ることはできなかった。 ハプスブルク家の、最後の男系男子。 彼の死をもって、数百年続いたハプスブルク家の男子子孫は断絶した。 pic.twitter.com/SCFTQJjZND

2017-12-11 21:22:40
拡大

ハプスブルク=ロートリンゲン家と神聖ローマ帝国の滅亡(1740~1806)
カール6世の娘、マリア=テレジアはロートリンゲン公子フランツ=シュテファンと結婚し、この子孫が現在まで続く「ハプスブルク=ロートリンゲン家」となった。

しかし、やがて時代の波…フランス革命、そしてナポレオンが台頭すると神聖ローマ帝国は解体されて滅亡。
最後の皇帝フランツ2世はオーストリア帝国を作り、その皇帝となった。

はくえー🔱【各国の王侯情報紹介】from:西方元老院 @tomoshibi6o6o

フランツ1世シュテファン(1708~65) ロレーヌ公としてはフランソワ3世エティエンヌ。 マリア=テレジアと結婚し、彼以降の家系をハプスブルク=ロートリンゲン家と呼ぶ。 宮廷内では日陰者だったらしいが、財務能力に優れ、投資に成功してハプスブルク家の財産を数倍に増やしたという。 pic.twitter.com/BdqoOTxb1e

2017-12-12 18:34:29
拡大
はくえー🔱【各国の王侯情報紹介】from:西方元老院 @tomoshibi6o6o

マリア=テレジア(1717~80) 1740年にハプスブルク家の男系男子が絶えたあと、彼女と夫フランツ1世シュテファンの子孫が「ハプスブルク=ロートリンゲン家」として現在にも伝わる。 君主としての教育は受けてなかったが、天賦の才があったか女傑であり、列国の間でオーストリアの維持に奔走した女帝。 pic.twitter.com/GjS4xByRFj

2017-12-11 23:04:03
拡大
はくえー🔱【各国の王侯情報紹介】from:西方元老院 @tomoshibi6o6o

ヨーゼフ2世(1741~90) マリア=テレジアの息子。「人民皇帝」「皇帝革命家」とも言われる。 自ら農民に混じり農耕した。その改革理念は「ヨーゼフ主義思想」を興した。 だがこいつ(ポーランド)が許すかな!? pic.twitter.com/bZLzYiU7HA

2017-12-11 21:16:22
拡大
はくえー🔱【各国の王侯情報紹介】from:西方元老院 @tomoshibi6o6o

レオポルト2世(1747~92) ヨーゼフ2世と、フランツ2世の間の「繋ぎの皇帝」と見られていたが、最近の研究ではこの2人よりも政治才能があったんじゃないかと言われてる。 まぁ治世2年で亡くなっちゃうんだけどね…(´・ω・`) pic.twitter.com/Xy9ob2x4FH

2017-12-11 23:45:22
拡大
はくえー🔱【各国の王侯情報紹介】from:西方元老院 @tomoshibi6o6o

マリア=アントニア(1755~93) ご存知マリーちゃん。フランス王ルイ16世の王妃。 「パンが無ければケーキをお食べ」は近年では否定されている。 なので気を付けよう。ヴィヴ・ラ・フランス! pic.twitter.com/WZC7Dj6djV

2017-12-11 21:13:18
拡大
はくえー🔱【各国の王侯情報紹介】from:西方元老院 @tomoshibi6o6o

マクシミリアン=フランツ(1756~1801) 「太っちょのマクシィ」。マリア=テレジアとフランツ1世シュテファンの末子。 ベードーヴェンのパトロンであり、ケルン大司教として最後のケルン選帝権を使用した。 pic.twitter.com/l0Z8IT74ap

2017-12-11 23:41:47
拡大
はくえー🔱【各国の王侯情報紹介】from:西方元老院 @tomoshibi6o6o

皇帝フランツ2世《オーストリア皇帝として1世》(1768~1835) 神聖ローマ帝国最後の皇帝。ナポレオンの圧力を受けて神聖ローマ帝国を解体するも、その前にオーストリア帝国を作ってたために致命傷で済んだ。 「善き皇帝フランツ」と言われ、彼に捧げられたハイドンの曲はオーストリア帝国国歌となった。 pic.twitter.com/xWOEkO6qEF

2017-12-11 20:03:38
拡大

オーストリア帝国(1806~1918)
最後の神聖ローマ皇帝フランツ2世は、新たにオーストリア皇帝フランツ1世となった。
彼以降、ハプスブルク家はオーストリアの皇帝家となる。

68年もの間、君臨した「不死鳥」フランツ=ヨーゼフ1世のあと、わずかに最後の皇帝カール1世が統治したが、第一次世界大戦の敗戦を受けてオーストリア帝国は滅亡。
ハプスブルク家は君主位を失った。

はくえー🔱【各国の王侯情報紹介】from:西方元老院 @tomoshibi6o6o

皇帝フランツ2世《オーストリア皇帝として1世》(1768~1835) 神聖ローマ帝国最後の皇帝。ナポレオンの圧力を受けて神聖ローマ帝国を解体するも、その前にオーストリア帝国を作ってたために致命傷で済んだ。 「善き皇帝フランツ」と言われ、彼に捧げられたハイドンの曲はオーストリア帝国国歌となった。 pic.twitter.com/xWOEkO6qEF

2017-12-11 20:03:38
拡大
はくえー🔱【各国の王侯情報紹介】from:西方元老院 @tomoshibi6o6o

ヨハン大公(1782~1859) アルプス王ヨハンとして慕われる。 社会福祉に力を入れたため、領民には先述の異称をもって親しまれた。 政治方針の違いから兄帝フランツ2世とは相容れなかった。 pic.twitter.com/OM9gUQmdOn

2017-12-12 00:05:50
拡大
はくえー🔱【各国の王侯情報紹介】from:西方元老院 @tomoshibi6o6o

フェルディナンド1世(1793~1875) オーストリア皇帝。病弱で多くの病を持っていた。 意思すらもハッキリしなかったと言われるが、甥フランツ=ヨーゼフに譲位する際は「しっかりおやり、きっとうまくいくさ」と語りかけたという。 退位後は予想以上に長命を保ち82歳で死去。「善良帝」と言われる。 pic.twitter.com/kuNMQSMlFK

2017-12-11 22:24:17
拡大
はくえー🔱【各国の王侯情報紹介】from:西方元老院 @tomoshibi6o6o

フランツ=ヨーゼフ1世(1830~1916) ハプスブルク家の、実質的に最後の皇帝。親族に先立たれていくという悲運の皇帝。 時代に追いつけなかった面もあり、名君と呼ぶかは評価が分かれるが帝国の維持のために奔走した。 pic.twitter.com/0tBYN41ue3

2017-12-11 22:19:50
拡大
はくえー🔱【各国の王侯情報紹介】from:西方元老院 @tomoshibi6o6o

ルドルフ皇太子(1858~89) 皇帝フランツ=ヨーゼフ1世の子。 自由主義者であり、父帝と度々対立した。 よく新聞に匿名で保守体制への批判を書いてたが、バレてめっちゃ怒られた。 写真は先祖ルドルフ1世のコスプレをするルドルフ。 pic.twitter.com/Tv1bH7sEPX

2017-12-12 00:38:10
拡大
はくえー🔱【各国の王侯情報紹介】from:西方元老院 @tomoshibi6o6o

フランツ=フェルディナンド大公(1863~1914) FF大公(相互フォローではない)。よく間違えられるが「皇太子」ではなく「帝位継承者」である。 彼の死がWW1の引き金となった。 …てかこの写真、ファラオのコスプレしてめっちゃノリノリじゃないですかね… pic.twitter.com/HL7OWiND4G

2017-12-12 00:48:35
拡大
はくえー🔱【各国の王侯情報紹介】from:西方元老院 @tomoshibi6o6o

カール1世(1887~1922) ハプスブルク最後の皇帝。最後のオーストリア皇帝。福者。 ハンガリー王としてはカーロイ4世。ハンガリーにおける君主位復活を目指すが失敗。 大西洋の孤島に流され、満足な治療も受けられず風邪が悪化して死去。 医療があれば彼の棺はオーストリアで眠っていただろうに… pic.twitter.com/kxKMbaQXEF

2017-12-11 22:35:42
拡大

それ以降のハプスブルク家~現在に至るまで(1918~)
最後の皇帝カール1世は早世し、息子で最後の皇太子だったオットー大公はしばしば、ハプスブルク家の所有する君主位を請求した。
彼のもとで一族は汎ヨーロッパを推進し、体現している。

はくえー🔱【各国の王侯情報紹介】from:西方元老院 @tomoshibi6o6o

【邦訳】 現在のハプスブルク家における、オーストリア=ハンガリー君主位の継承順位リスト ※名前のみ日本語に訳しました。表記揺れなどあると思います。 ※画像で開けばしっかり拡大表記されるはずです。 ※(○)の数字がある人物は存命者で、継承順位を表します。 pic.twitter.com/ti10wBjfae

2017-12-13 20:16:18
拡大
はくえー🔱【各国の王侯情報紹介】from:西方元老院 @tomoshibi6o6o

オットー皇太子(1912~2011) 最後の皇帝カール1世の息子。最後の皇太子。 WW2ではナチスに敵対し、レジスタンスを支援したためアメリカに亡命。 のち欧州議会議員。汎ヨーロッパ・ピクニックを後押ししたことで知られる。 死去の際には各国王が出席する壮大な葬儀となった。 pic.twitter.com/0EdvQoC2vl

2017-12-12 19:00:41
拡大
はくえー🔱【各国の王侯情報紹介】from:西方元老院 @tomoshibi6o6o

カール大公(1961~) 左の人。ハプスブルク現当主。最後の皇帝カール1世の孫。 もし皇帝位を名乗るなら「カール2世」である。 ローマ教皇フランシスコに謁見するため、ハプスブルク一族300人を引き連れローマに参上した。 pic.twitter.com/VHZYp6uTP2

2017-12-11 22:06:54
拡大
はくえー🔱【各国の王侯情報紹介】from:西方元老院 @tomoshibi6o6o

フェルディナンド=ズヴォニミル大公(1997~) 画像は本人Twitter(twitter.com/Fhabsburg62)より。 カール大公の息子で、ハプスブルク次期当主。レーサー。 「殿下」と呼ばれることには否定的。 Wikipediaでエピソードが最近加筆された。 pic.twitter.com/gkAipa7fK7

2017-12-11 22:11:22
拡大

ハプスブルク家の分家~テシェン家
皇帝フランツ2世(1世)の弟カール大公に始まる家系。
子孫はポーランドやウクライナの王位請求も目指した。
嫡流は1955年に断絶。分流が現在でも存続する。

はくえー🔱【各国の王侯情報紹介】from:西方元老院 @tomoshibi6o6o

カール大公(1771~1847) テシェン分家の祖。有能な軍人であり、対ナポレオンの、オーストリアにおけるライバルとして知られる。皇帝フランツ2世(1世)の弟。 pic.twitter.com/6aBCD99uEa

2017-12-11 20:00:26
拡大
前へ 1 2 3 ・・ 6 次へ