- collbrande
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このような世紀の大発見がありました。
な、なんだと、早蕨巻…!?! これだから生きているのが楽しくて死ねんのだよなあ。100年後もいきていたくなる。 もっと、未来にいれば過去たちと出会えるかもしれない。 lin.ee/odA17yw?utm_so…
2019-10-08 18:29:59しかも!!わたしが大ファンで枕草子素潜り始めたきっかけの、山本淳子先生のコメントがあるではないか。わかってるな、京都新聞。京都国立博物館か東京国立博物館での展示ないかなぁ。
2019-10-08 18:32:43これだから、10年、100年後に生きていたくなるのだなあ。 私が見ぬ源氏物語がきっとある。 twitter.com/kyoto_np/statu…
2019-10-08 18:56:13まとめを作った趣旨はこちら側です。
藤原定家という人はその時にあったすばらしい古典をガッと地引き漁する行動力と家族総出での書写の協働と、自らのステータスを利用して有力貴族たちに写本を多く流布させたんですよね。 そのおかけで、生き延びた古典作品は数知れず。源氏物語でさえ、かれがいなかったとしたら。
2019-10-08 19:09:04定家のすごいところはね、高齢になって老眼で手元の墨色がよく見えなくて、手が震えても家族に口述筆記させず自分の手で歌論書や書写物を書いたの。本当に晩年の定家の字は一目瞭然の「乱筆乱文」。 そのエネルギッシュさと注いだ熱量にわたしもそれを見せてくれた教授も「一番美しい」と言い合った。
2019-10-08 19:15:45藤原定家、は自分の周りに溢れた古典作品の継承、伝えることが自分の天命である、とよく知った上で学んだこと、出会った人との悲喜交交を血肉にしてきたひとなんですよ。 その内容がいかに簡単に散りさるかもよく知っていた。自分に備わるステータスも存分に活用しきっていたスーパーマンですよ。
2019-10-08 19:19:40だってね、定家が書いた二文位の短い言葉でさえありがたく尊く思って一幅の掛け軸にする人々がいたのよ。 そのお人の直筆の、大好きな作品の写本全部を買える、我が家の家宝にできると知った有力氏族は出すだろうよ。 その資金で定家は子供達を食わせられるし、教えることもできた。
2019-10-08 19:24:49定家は下級役人としての苦労も多くしていて、飢饉にも遭った。自分の領地だった村が20分の1を残して飢えで滅んだこともある。米が届かぬから、定家は自分の家にある池や雅な造りものを全て潰して、自分で畑を耕して食べ物を作る苦しみを経験したりしている。生き延びる、ことの難しさも味わっている。
2019-10-08 19:32:10そのさなか「文学」は贅沢の最たるもの、であって直接的には食い物にもならないし生活の糧にはならない。 まして、読み書き、高度なことばを理解できる階級の人々のための、過去から継がれた贅を尽くしたもの。 だけれど、文字で飯を食い、過去から継いできた財宝を理解でき、伝えることを仕事にする。
2019-10-08 19:35:49けれどそこにある、三十一文字の息吹、やものがたりに彼は何気ない日常を讃する輝きを受け取った。 自らが浴びたすばらしいものを見ず知らず、の誰かへと引き継ぐ。 そのためには自分が保存され足る価値あるひとでなければならない。名家の出ではあるけれど晩年までしつこく歌論の検討を繰り返したり
2019-10-08 19:39:32晩年まで歌の添削や貴族たちの子息たちへの教育、様々な古典の書写に精力的に動いた。 だからこそ、私たちは「1000年前」の言葉を今でも受け取ることができる。なんなら、書店で、ネットで、気軽に。 源氏物語全てを書写するのに大家族動員した過去から。
2019-10-08 19:42:46ちなみに源氏物語全帖を納品するために日夜問わず家族15〜20人?でひいこら書写して、納期に苦しみながら6ヶ月で仕上げた、という日記の記述もあります。半年くらいですよ。そのどれかが、いまのニュースになっている本の原本、かもしれない。
2019-10-08 19:46:24こうした写本には注釈とか書写者のコメントがとても価値がある。それを比較してさらに過去の書写へと飛ぶことができる。定家自身も多くのものを目にした研究者でもある。 それを大事に守り受け継いだ家が冷泉家なんですよねえ。時雨文庫や冷泉家の邸宅は年に一度、秋の特別公開が京都であります。
2019-10-08 19:50:18わたしは学生時代何度か行きましたが本当に、誇りが浮かび上がったようなすばらしいお家です。自分の役割をよく知って、前を向いている名家中の名家です。京都国立博物館の佐竹特別展と併せてご覧あれ。
2019-10-08 19:52:06こうして古典を語ったり、愛することで自分たちが「命延ぶるここちする」し、古典作品たちもすこしずつ命が延びるのです。藤原定家にかんぜんに成ることは誰も難しいだろうけれど、一部には誰でも、なれるんです。 読むことから、いいぞ、と推すことから。 古典はいいぞ。
2019-10-08 20:01:38自分はたかだかはやくて30〜50年、遅くて100年くらいの爪の皮にも満たぬ命。 言葉は10年も、100年も、なんなら1000年も生きていくことができる。永遠になることもできる。 その動力は私たち爪の皮の命なんですよねえ。
2019-10-08 20:04:14藤原定家さんは古典文学の重要なターミナル中継駅なんですよ。 なければ、ここ、2000年代駅にたどり着かない電車、古典文学は沢山ある。 源氏物語でさえも、更に不完全であっただろうと思います。
2019-10-08 20:17:57古典にも文芸も、音楽も何もかも人間から生まれるものには必ず伴走者が必要であって、それはひとりのファンがついて伴走者になってこそなんですよ。だから好きなもの、があるのは素晴らしく尊いことなんです。 好きなものを語ろうとすることもむずかしくて言葉を失ったりする。それでいいんです。
2019-10-08 20:38:32