佐藤正美Tweet_20191001_15

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佐藤正美 @satou_masami

「人生を解釈する上に非常に便利な思想」(小林秀雄)とは、どういう思想か、、、わんさと例を挙げることができますが、端的に言えば、会話の中で自分の話を結論づけてまとめるために引用される名言 [ 優れた人たちの思想の一部を抜き取った文 ] の類でしょう。

2019-10-12 22:46:35
佐藤正美 @satou_masami

勿論、思想の一部を抜き取った文は、文脈から切り離されているので(あるいは、要約されているので)元の思想ではない。都合のよいように切り取られた断片にすぎない。しかし、我々は、自分の都合のよいように元の思想を利用する。

2019-10-12 22:46:50
佐藤正美 @satou_masami

自分の主張あるいは意見の証を立てるために他人(優れた人たち)の思想を利用するというのは、権威付けでしょうね。あくまで自分の主張・意見が主体であって、利用された思想は自分の主張・意見を権威付けするための傍証にすぎない。

2019-10-12 22:47:26
佐藤正美 @satou_masami

利用するのに便利な思想は確かにある。「格言集(dictionary of quotation)」は、その最たるものでしょう。とても便利な書物です。「格言集」は、私も頻繁に使います。ただし、私は「格言集」を傍証として使うことも偶(たま)にあるけれど、傍証として ほとんど使わない。

2019-10-12 22:47:40
佐藤正美 @satou_masami

逆に、自分の考えを誘発するネタ本として使っています。天才たちが遺した言葉は、私に刺激を与えてくれる。「格言集」の「便利さが新たな努力を麻痺させる」ことはない。寧ろ逆に私の考えを誘発する。私は「格言集」を私のホームページのネタとして使っています。

2019-10-12 22:48:05
佐藤正美 @satou_masami

この頃 私が思うのは、思想というのは文体そのものである、と。思想のなかから「意味」を掴むという幻想は今では 毛頭 持っていない。そして、勿論、文体は便利なものではない。

2019-10-12 22:48:17
佐藤正美 @satou_masami

「僕等はいつも知らず識らず愛情によって相手をはっきり掴んでいるのだ。(略)相手にほんとうに魅力ある人間の姿を読む為には、観察だけでは足りない。愛情とか友情とか尊敬とかが要るので、そういうものが観察した人間の姿を明らかに浮びあがらせる言わば仕上げの役目をする」(小林秀雄)。

2019-10-20 16:11:39
佐藤正美 @satou_masami

小林秀雄氏のこの意見に対して、反論を述べることは容易(たやす)い──「愛などは逆上(のぼ)せにすぎない、biasに塗(まみ)れた偏った見方だ」と。だが、そういう反論を述べる人は、自分の実感をほんとうに述べているのかしら、、、。

2019-10-20 16:11:56
佐藤正美 @satou_masami

心の揺れ [ 喜怒哀楽 ] のなかで、一番に尊いのは「愛しさ」と「悲しみ(哀しみ)」ではないか。人々の琴線に触れる状態は、怒りでも楽しみでもない、「愛しさ」と「哀しみ」が起こったときではないか。だから、「愛しさ」や「哀しさ」が事態・人物の影像のニュアンスを与える。

2019-10-20 16:12:10
佐藤正美 @satou_masami

確かに、惚れた相手を見るときは、欠点までも好ましく見える。感動しながら考えることは難しい。しかし、一時の逆上せで惚れたとしても、長い年月のあいだ その気持ちを 偽りなく続けられたら、それは もう逆上(のぼ)せではないのではないか。

2019-10-20 16:12:24
佐藤正美 @satou_masami

勿論、長い年月のあいだには、互いに反感を抱くことも起こるが、その根柢で「愛しさ」が一貫していれば、事態は収まるところに収まる。その典型が親子の情愛でしょう。

2019-10-20 16:12:36
佐藤正美 @satou_masami

小林秀雄氏は、次の文を綴っている(「Xへの手紙」)──「例えば俺の母親の理解に一と足だって近よる事は出来ない。母親は俺の言動の全くの不可解にもかかわらず、俺という男はああいう奴だという眼を一瞬も失った事はない」。

2019-10-20 16:12:49
佐藤正美 @satou_masami

私は自らの恋愛話を公にするほどの厚かましさなど持っていないが、かつての恋愛を振り返って──その女性の面影を20年間 引きずったのですが──、別れた恋人に対して未練を感ずるというよりも彼女が私に遺した跡形を思う。というのは、彼女は当時の「ありのまま」の私を露わにするので。

2019-10-20 16:13:01
佐藤正美 @satou_masami

親子とか恋人は、自分以外の人たちのなかで これほど至近距離で つきあう人たちがいない。そして、親子や恋人との関係において、別離は それまでの一切の つきあい を照らす。

2019-10-20 16:13:15
佐藤正美 @satou_masami

私の父が亡くなったとき(私は50歳くらいでしたが)、通夜に参列した人たちが帰った後で、セレモニー・ホールに安置されている棺桶と遺影に私は対峙して一言しか言えなかった──「おやじョ」と。父との色々な思い出が脳裡に走ったが、一言しか言えなかった。

2019-10-20 16:13:28
佐藤正美 @satou_masami

私が66歳になって思うことは、「おやじ には かなわないなあ」(親父には及ばない)ということ。親父の愛情の中で守られていた、これが実感です。世間で云われるように、「(親からすれば)子どもは幾つになっても子ども」なのでしょうね。

2019-10-20 16:13:51