呉海軍墓地を訪ねてみた
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(側)ソロモンの孤島に散りし戦友の 英霊よながくこゝにやすかれ pic.twitter.com/UAEHk31FwX
2019-09-28 13:56:18陸戦隊並に陸軍部隊は我に数十倍する米軍を水際に迎撃、昭和18年6月30日激戦奮闘する。衆寡敵せず、恨みをのんで此の地に散り心を邦家報恩に走せて今こゝに眠る。 その健斗をたゝへ平和の礎に殉じた英霊の冥福を謹んで祈る。 pic.twitter.com/6QGhjqFOYy
2019-09-28 13:56:19昭和45年6月30日 ソロモン群島レンドバ島派遣隊 生存者建之 兵庫県三木市 白藤 岩美 大阪府豊中市 下村 広 広島県呉市 門内 進
2019-09-28 13:56:20ショートランド島戦没者慰霊碑 1971年(昭和46年)9月4日建立 元聯合艦隊参謀長 海軍中将 草鹿 龍之介 謹書 pic.twitter.com/WAqObzylhT
2019-09-28 13:56:20大東亜戦争中ソロモン群島ショートランド島にて戦歿せる旧呉鎮第13防空隊員及呉6特南海砲台員の英霊を謹んで慰霊の為建立 ソロモン群島 ショートランド会 pic.twitter.com/BCISN78vRQ
2019-09-28 13:56:21呉鎮守府第十七防空隊慰霊碑 1972年(昭和47年)5月8日建立 第17防空隊は、昭和18年4月20日、第16防空隊と共に呉で編成され、第8艦隊第7連合特別陸戦隊に編入され、隊長佐藤孫市中尉以下283名、装備は25耗連装機銃6基、12門、陸戦装備の防空隊であった。 pic.twitter.com/NVMZxsx1cD
2019-09-28 13:56:21昭和18年5月8日、輸送船「山福丸」に便乗して呉軍港を出撃、一路ラバウルに向った。到着後約1ヶ月でレガタに転戦、約3ヶ月間、マラリアと闘いつつ、熾烈な対空戦闘に勇戦奮闘した。 次いでブーゲンビル島のブインに転戦し、飛行場防空隊として連日のように対空戦闘を展開、
2019-09-28 13:56:22昭和18年11月25日 第17防空隊は解隊となったが、陣地はそのままで第1根拠地隊の麾下の防空隊として任務を遂行し、終戦を迎えた。 昭和45年碑建立の気運が高まり、翌46年生存者が満場一致で決議し、戦死者の御霊を球で表し、日本地図を配し、祖国に魂の帰ったことを意味するこの碑を建立した。
2019-09-28 13:56:221.昭和18年5月8日呉軍港出撃ソロモン群島サンタイサベル島レガタに進駐。 2.コロンバンガラ・チョイセル島スンビに転進しブーゲンビル島ブインと転進。 3.ブインを基地とし、モノ島等各方面に出撃奮戦しブーゲンビル島ブイン基地にて終戦となる。
2019-09-28 13:56:23第五三一海軍航空隊慰霊碑 1972年(昭和47年)6月17日建立 隊歴 第531航空隊は昭和18年7月1日天山11型艦上攻撃機36機をもって舘山において編成し直ちに北千島方面に進出し 同年11月 舘山及び北千島の擂鉢・片岡に派遣隊を残し本隊はマーシャル群島ウオッゼ島に転じ pic.twitter.com/7SAa4S9C60
2019-09-28 13:56:23同方面の作戦に従事輝かしい戦果を収めたが翌19年初米機動部隊との戦いにおいて全航空機を失い搭乗員は全滅同年2月20日をもって解隊 ウオッゼ基地隊員は全員第四艦隊司令部附、第64警備隊付となる。
2019-09-28 13:56:24同島にて米軍の絶え間ない攻撃と想像を絶する飢餓との闘いのうちに20年8月終戦を迎え 同年11月生存者58名全員鳳翔にて帰国、戦死戦病死者206名。 pic.twitter.com/ybNxBUuqEb
2019-09-28 13:56:24呉海軍設営隊顕彰慰霊碑 1976年(昭和51年)4月11日建立 大東亜戦争中 呉軍港より出陣せる設営隊は 二十七箇部隊に及び 太平洋全域に亙り軍設備の建設・運営に従事 時には敵と交戦し 熾烈なる敵の砲爆撃を 蒙りつつ敢然奮闘し 戦場の礎を築けり pic.twitter.com/1gz54PU6HQ
2019-09-28 13:56:25その間 一万数千名の軍人軍属は 祖国に殉じ護国の神と化せらるる 痛恨極まりなし 戦敗れたりと雖 今日わが国の繁栄の所以は 英霊の賜なるを忘れまじ 茲に顕彰慰霊の碑を建立し 永遠に英霊の勲功を讃え 御冥福を祈る 昭和五十年十二月吉日 呉海軍設営大戦友会 pic.twitter.com/4v4kCK3jQY
2019-09-28 13:56:26善本野戦高射砲中隊戦歿者慰霊碑 1980年(昭和55年)10月10日建立 善本野戦高射砲中隊 戦歴 昭和十六年十月 呉市徳藤村部隊高射砲中隊として編成せられ 中隊長海軍特務中尉善本官一以下二百十二名なり 昭和十六年十一月 臨戦準備の上 入舟部隊に編成替となる。 pic.twitter.com/Fd8ymoeccN
2019-10-02 21:49:08昭和十六年十一月三十日 十三時 霧島丸乗舩 呉出港す哨戒艇三十六号三十七号同航す。 昭和十六年十二月六日 十時パラオ着 八日大東亜戦争開戦す。 昭和十六年十二月十七日 十四時パラオ出港 舩団十四隻第二水雷戦隊神通以下夏汐黒汐早汐親汐等六隻護衛妙高羽黒那智龍驤に支援される。
2019-10-02 21:49:09昭和十六年十二月二十日 未明陸軍坂口支隊三浦隊と共同しダバオ上陸占領し周辺の残敵掃討す。 昭和十七年一月 入舟部隊は第三十二特別根拠地隊と改称され地上部隊は陸警隊となる。 昭和十七年三月二日 三十二特別根拠地隊として一部退院ザンボアンガ上陸占領警備す。
2019-10-02 21:49:09昭和十七年四月十日 隊員の一部陸軍川口支隊と共にセブ上陸占領警備す。 昭和十七年五月十三日 ザンボアンガ隊の三十名ホロ島に進出す。 昭和十七年九月 セブ・ザンボアンガ・ホロ島よりダバオに集結す。 昭和十七年九月九日 十八時仮設敷設艦辰春丸に乗船しダバオ出港第十三京丸護衛す。
2019-10-02 21:49:09昭和十七年九月十六日 十七時ラバウル着横五徳安田部隊に編入され西飛行場に布陣し対空戦闘を行う。 昭和十八年一月五日 正午第十八軍船団五隻の内知福丸妙高丸その他に分乗し五十一師団と共にラバウル出港す第十七駆逐隊谷風浦風浜風磯風舞風及び零戦に護衛さる。
2019-10-02 21:49:09昭和十八年一月七日 十六時東部ニューギニア・ラエ着空襲下揚陸す日竜丸妙高丸二隻空爆により失う 第八十二警備隊に編入され西飛行場に布陣し対空戦を行う一部隊員は舟艇によるマンバレ方面の友軍救出作戦夜間潜水艦の荷役作業等多方面の戦務につく。
2019-10-02 21:49:10昭和十八年六月三十日 サラモア南方に敵増援部隊来攻上陸すサラモアには佐五特月岡部隊その周辺には五十一師団敵と対陣中なり。 昭和十八年八月 ラエサラモアは制海制空権を失い弾薬食糧不足しマラリア其他風土病のため戦力を充分発揮し得ざる状況である。
2019-10-02 21:49:10昭和十八年九月四日 米濠軍は連日猛爆激の後数万の大軍をラエ東方に揚陸し五日西方ナサブ高原に空挺部隊降下しラエ挟撃態勢となる 五十一師団長中野中将はラエ死守玉成命令を発す ラエ警備の陸戦隊一千余名は進攻の敵と対陣死闘を展開中
2019-10-02 21:49:10第十八軍安達司令官は「ラエ防衛陣地を放棄しニューギニア北岸に転進すべし」との命令を下す。十二より一日一艇団づつ四艇団に分れ撤退を始む その間陸戦隊は地上部隊対対空部隊一丸となって至近の敵陣を攻撃進出を阻止転進艇団を支援す
2019-10-02 21:49:10昭和十八年九月十五日 日没時は高射砲の水兵射撃にて敵陣に全弾を射ち込み陣地を撤収して最後にラエを後に北方産地に入り 全艇団の後衛となる軍は敵の妨害を排除しブス河の急流渡河大密林を突破し 山岳重畳断崖絶壁湿地帯泥濘地を踏越えサラワケット山系の南面を登る。
2019-10-02 21:49:11昭和十八年十月九日 夕刻四千米のサラワケット山頂南面に到着し野営す 寒気強く一睡も得ず酸素希薄にして呼吸苦しくせっかく登頂したるも倒れる兵多し 十日山頂を越え下山にかかる 又絶壁にして降下困難を極む。
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