《東海道歩き番外》佐屋街道歩き

東海道の宮 (熱田) から桑名までは、江戸時代は七里の渡しを渡船するのが定番でしたが、三代将軍家光 (船酔い体質) が船で上洛するのはイヤだと言い出したことから、迂回路である佐屋街道が作られました。 ちょうど東海道を宮まで歩いたところで、桑名までを歩きでつなぐために佐屋街道を歩くことにしました。 2019年12月7日 金山駅〜秋竹バス停 12km 2019年12月28日 秋竹バス停〜佐屋駅 12km
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ぼんた @KumanoBonta

途中に道路元標あったの見逃してたー pic.twitter.com/DKkbzXYHZu

2019-12-28 13:42:47
ぼんた @KumanoBonta

今日の街道は12キロだけど、家からだと18キロ。母がこの距離を歩いてけろっとしてるのが今日の度肝だった。

2019-12-28 13:07:51
ぼんた @KumanoBonta

散歩が日課の母に以前「歩くだけ歩いてたどり着いた駅から電車で帰ればいいじゃない」という知恵をつけたら、どこまでも果てしなく歩くようになってしまったらしく、スマホに替えたことだし時刻表アプリをインストールして使いかたを教えてあげた。これで安心して帰りやすくなるかな。

2019-12-28 22:09:02
ぼんた @KumanoBonta

そして母の散歩のチェックポイントは、新旧いろいろな住宅を見ては自分だったらどんな家に住みたいかなーと物色することだそうだ。私とは若干方向性は違うものの確実に散歩のツボを押さえてて、やっぱり親子だなーと再認識したのでありました。

2019-12-28 22:14:05

佐屋から桑名までは三里の渡しで川を下るのが定番でしたが、実はここにも迂回路があります。
尾張巡見道と言いますが、2016年にすでに歩き終えています。
その時の様子もまとめてありますのでぜひご覧ください。

まとめ まるにの・ぼんたの尾張巡見道歩き 東海道、七里の渡しに対する佐屋街道の終点佐屋。そこから桑名までは三里の渡しがありましたが、それとは別に巡見道という陸路がありました。 江戸時代のお役人になりきって、街道仲間のまるにの・ぼんたが村々を廻ります。 2614 pv 6

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