偕行昭和51年12月号掲載にみる戦史叢書「大東亜戦争開戦経緯」編纂経緯について

戦史叢書「大東亜戦争開戦経緯」がなぜ陸軍と海軍に分かれているのか、の理由が偕行の記事にありました。それについて呟いたものです。
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あずLOVE@晴れの国で戦史研究! @nakachandaisuki

久々の資料大量入手。戦後の偕行。入手先は1箇所だが、発行年はバラバラ。内容は総合的には「当たり」 しかし、スキャニングにまた一年くらいかかりそうだなあ…… pic.twitter.com/Onx8FiQS3c

2019-12-11 21:07:33
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あずLOVE@晴れの国で戦史研究! @nakachandaisuki

今回入手した資料「偕行」が個人的に当たりだったのが、戦史叢書の大東亜戦争開戦経緯がなぜ陸軍と海軍に分けられたのかという理由が、執筆者の原四郎が語っている記事があること。この記事は連載記事で、「大東亜戦争の開戦の経緯」というタイトルでテーマに沿って行われた座談会を記事にしたものだ。

2019-12-12 00:49:16
あずLOVE@晴れの国で戦史研究! @nakachandaisuki

座談会参加者は、戦史叢書執筆者の原四郎だけでなく、松村知勝、櫛田正夫、島貫武治、杉田一次、高山信武、中原茂敏、戸村盛雄、松田正雄、芝生英夫、白井正辰、高木作之、神田八雄、奥村房夫、小田博正、藤原彰、杉山茂雄ら錚々たるメンバー。

2019-12-12 01:00:03
あずLOVE@晴れの国で戦史研究! @nakachandaisuki

戦史叢書「大東亜戦争開戦経緯」が陸軍と海軍の2つに分かれている理由として、当初は陸海軍双方を合わせて執筆する予定が、海軍側から意見が出たからだそうだ。

2019-12-12 01:10:52
あずLOVE@晴れの国で戦史研究! @nakachandaisuki

当初「大東亜戦争開戦経緯」は、そもそも戦争指導史として陸海軍一本化して書かれる予定だった。このため海軍側資料も使用したのだが、海軍側の意見を聞いたところ「これは陸軍部側の戦争指導史」という意見を言われ、約10年間公刊が見送られていた、という。漸く公刊出来たのが座談会の数年前。

2019-12-12 01:16:39
あずLOVE@晴れの国で戦史研究! @nakachandaisuki

戦史叢書執筆にあたり陸軍側は海軍の資料は使うが、内容について海軍側から意見を聞くことはなかった。しかしこの「大東亜戦争開戦経緯」については、中山定義を通じて海軍側からの意見を聞いている。そして中山は次のような海軍側の意見を述べた。

2019-12-12 01:20:09
あずLOVE@晴れの国で戦史研究! @nakachandaisuki

「戦後、及川大将、永野元帥は、開戦、やむを得ずと追い込まれた本当の理由として、あれ以上、海軍が反対すれば陸軍がクーデターを起こし、陸海相剋の内乱必至と判断したことを挙げている。また、そのクーデター計画は事実、存在したというのです」

2019-12-12 01:23:41
あずLOVE@晴れの国で戦史研究! @nakachandaisuki

この中山定義を通じて出された海軍側の意見により、「大東亜戦争開戦経緯」は陸軍、海軍それぞれに分かれて執筆、公刊された、ということだった。

2019-12-12 01:25:33
あずLOVE@晴れの国で戦史研究! @nakachandaisuki

また、陸軍側としては大東亜戦争開戦の主導権は陸軍にあり、これにより陸軍を中心として海軍、外務省とならざるを得なかった。しかし陸海軍一本化しての執筆を行いたいという気持ちから、現存していた軍令部第一部資料も、海軍側にお願いして見させてもらった。

2019-12-12 01:30:18
あずLOVE@晴れの国で戦史研究! @nakachandaisuki

@naka773 この経緯は割と有名で、実は軍事史学の会誌最新号にももっと掘り下げた論文が掲載されています。私が今回入手したのは、さらに大元になる座談会の記事です。戦史叢書「大東亜戦争開戦経緯」を端折った話が行われていて、なかなか面白い記事です。

2019-12-12 01:33:22
あずLOVE@晴れの国で戦史研究! @nakachandaisuki

しかし、富岡定俊が軍令部作戦課長になって以降の資料は見せてもらえなかった。それでも、多くの海軍関係者から意見を聞いて「陸海軍一本の戦争指導史」を公刊しようとしたが「これは陸軍の戦争指導史だ」と海軍側からの反対により「大本営陸軍部」と銘打ったという。

2019-12-12 01:39:22
あずLOVE@晴れの国で戦史研究! @nakachandaisuki

なお、海軍側としての開戦経緯が戦史叢書で公刊されたが、読み比べして双方の意見を見比べることが出来るので、研究者としては都合がいいのだが、戦史室としては一本化したかったのだろう。

2019-12-12 01:43:42
あずLOVE@晴れの国で戦史研究! @nakachandaisuki

しかし、海軍が開戦に反対をし続けると陸軍がクーデターを起こすかもしれない、という海軍側の話に、陸軍側が反発したという話。結構重要な部分。海軍は徹底して善玉になろうとしていて、陸軍側はそれに不快感を感じていたと思われる。

2019-12-12 01:47:40
あずLOVE@晴れの国で戦史研究! @nakachandaisuki

昭和20年9月17日朝日新聞朝刊の社説に「東条軍閥の罪過」というものが掲載された。これを筆頭に、言論、報道、その他あらゆる機関が戦争責任を全部陸軍に押し付け糾弾する図式が出来上がった。当時の陸軍将校たちは切歯扼腕してが、堀場一雄が宥めている。

2019-12-12 01:58:00