「世界に一つだけの花」問題などについて
@LDmanken 「世界は不完全だが、不完全なままで素晴らしい」と感じること、それが「世界を愛する」ということだと思うんですよね。「愛」とはその不完全さ、未完成さをも含めて愛することだから。となると、その愛する世界を「完全」に変えようとする気にはなれなくなるのかな、と。
2011-06-04 14:21:01@LDmanken @kaien まどかの魔力がループの回数に比例するのなら、例えば物語の数倍数十倍ループし、グランドルール改変レベルの魔力を得た時「でも、私はやらない」と言えたのかなと言うのは気になる。物語は結果的にそうなるように誘導し、その形で主張するに留めていますからね。
2011-06-04 14:22:05→「手ぇ加えてるじゃん!魔女無くして!墓所壊して!なら(何でも叶う祭壇に立ったなら)世界を無矛盾に救ってよ!」って話は分かるんですが…なかなか言葉で説明するのは難しいですが「手を加えられない世界」に対して「世界を構成する自分という魂に許される行為」をした…とでも言えばいいのか。
2011-06-04 14:23:09@LDmanken @kaien つまり、まどかに余剰魔力があるような描写がない、唯一解のように描かれているのがちょっと勿体無いなと思っているのです。きみまる的同人誌カモン!w
2011-06-04 14:24:11@rui178 @LDmanken そこでグレッグ・イーガンですよ。イーガンのSFにおける圧倒的なオリジナリティは「グランドルール変えて何が悪いの?」「人間らしさなんて思い込みじゃね?」と主張するところにあるわけですけれど、ぼくはやはりそれは何かが足りないと感じます。
2011-06-04 14:24:18@kaien @LDmanken まさに。まどマギ自体全編に渡り「選択肢」の精査はしない作劇でしたけど、最後のそこに海燕さんの主張(ぼくも「現実受容」と言いますね)が明示されたら、多分泣いてたろうなと。現状は、結果へのベクトルからLDさんはじめ皆がそう読むにとどまるのですがね。
2011-06-04 14:29:18たとえばさやかを救ってやってもいいじゃん、ほむらの記憶を消しちゃえばいいじゃん、という意見は理解できる。理解できるけれど、やっぱりそれはできないんだな。できないというか、するべきでないことなんだと思う。ここらへん、非常に微妙ですが……。
2011-06-04 14:29:37「人間は死なないほうがいいに決まっている」「悲劇はないほうがいいに決まっている」という思想は、つまるところ、「不完全なものはないほうがいい」という思想であり、「障碍者はいないほうがいい」という優生思想につながるのではないか? ちょっとここらへん、断言はできません。問題が微妙すぎ。
2011-06-04 14:31:34@kaien 僕は「やれる事はやればいいじゃん?」って人ですw でも、この世の因果として「やれる事をやる因」と「望む結果を得る果」は一律に語れないと思っています。「やらない事をやれるなら、やらなければいいじゃん?」とも。
2011-06-04 14:31:35これを【まどマギ】にやられていたら、今頃ぼくは「true tears、マブラヴオルタ、そしてまどマギ」と言っていた筈。好み的に。 RT 例えば物語の数倍数十倍ループし、グランドルール改変レベルの魔力を得た時「でも、私はやらない」と言えたのかなと言うのは気になる。
2011-06-04 14:32:27@rui178 @LDmanken そこで『うしおととら』の「泥なんてなんだい!」につながってくる(ぼくのなかでは)。世界に向かって、神様に向かって「泥なんてなんだい!」といえる人間に対して、「泥を工事で無くしてやろう」というのは、何かが違うのかなあ、と。
2011-06-04 14:34:39@kaien さんが行っている「するべきでない事」感は、説明、あるいは定義するのがすごく難しいですよねw 個々人の共感なのか…。でも、その感覚がないと、“まどか”も“ナウシカ”も酷く『読み』辛くなる気がします。
2011-06-04 14:34:47@LDmanken 「するべきかどうか」というより、「わたしはやらないことを選ぶ」という決意だけがある、ということなのかもしれません。その決意は正しいかどうかはともかく、すごく高貴で美しいとは思う。「泥なんてなんだい!」の精神。
2011-06-04 14:37:39@rui178 まどかも、死に行くさやかの前に現れて「これしかない」という話をしますけどね。でも、彼女はそんないろいろ見える子ではなくって、結果、結末、そういう景観が外から観えるねって事でもいいとは思っています。
2011-06-04 14:39:22戦争や差別をやめられない人間は愚かかもしれない。未熟かもしれない。不完全かもしれない。しかし、その愚かしさ、未熟さ、不完全さまで含めて人間は戦っているのであり、その戦いは高貴で美しい、と捉えること。肯定すること。落語家立川談志のいう「業の肯定」ですね。
2011-06-04 14:40:39@kaien @LDmanken ぼくはLD門下の筈なのにペトロニウスさんやら海燕さんやら挟むと、そちらと近いケースばかりwぼくの場合「断念」や「受容」、世界のでこぼこの輪郭を愛するのはテーマですね。でもまどかはまあ、憧れを守る結果として、なんですよね。それもまた怪物的で凄いが。
2011-06-04 14:40:47@LDmanken それが魔力限界と見分けがつかないというか…選択肢としての決断にエネルギーが乗るような組み方ではなかったですよね。仰る通り、まどかはそういう子、なのだと思うし、それは結果的に「去勢された国の今時のガキんちょ」礼賛になるので、それで良いとも思います。
2011-06-04 14:43:20@rui178 そもそもぼくたちがなぜ「物語」を好むか、という話だと思うんですよ。物語のなかの人生って、基本的には苦しいものばかり。でも、そこに何かしらの「高貴さ」とか「勇敢さ」とか「美しさ」みたいなものがあるから物語は素晴らしい。物語から悲惨を排除することはできない。
2011-06-04 14:43:24以前、@kaien さんの記事に「死して為す決意」と「それを止める愛」のような話があって、今の「わたしはやらない事を選ぶ」は、たとえ死すとも、不幸になるとも、愛する者が生き返らなくとも、が付いてくる決意で、そこにある感動には繋がりがある(一つのものの)気がします。
2011-06-04 14:43:53Twitterこわい。まんじゅう並みにこわい。 RT @kaien: と、次の同人誌のきものところを全部Twitterでばらしてしまいましたとさ!
2011-06-04 14:46:15@LDmanken いいですね。それはつまり「たとえあなたが死ぬとしても、不幸になるとしても、世界の敵になるとしても、そんなあなたが好きです。「完全な存在」なんかより生身の不完全なあなたが好きです」って宣言することだと思うんですけど。「神様なんていらない。わたしは人間を愛する」。
2011-06-04 14:46:42@kaien ちょっと話を引き戻すと「愚かだから不完全だから美しい」という景観に来てはじめて、先ほどの「能力の価値」を等価とする「世界にたった一つ~」の視点が観えてくると思うのですが、何というかここから帰って来て愚かで不完全を構成する自分に戻らないと色々ごっちゃにするのかなと。
2011-06-04 14:49:38今 @LDmanken さんや @kaien さんと話した事を、生も死も世界も社会もなしで語ってみせているから【true tears】はぼくにとって21世紀の私的ベストなのですよ、という補足をしておきます。少なくとも、ぼくはあの物語をそういう物語だと思って読んでいます。
2011-06-04 14:49:51