マンガの話  「テヅカイズデッド」・・ではポスト宮崎は?

手塚-宮崎-ポスト宮崎辺りをめぐるマンガ・アニメ第三世代問題 + 創作についてうんぬん  
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m_um_u @m_um_u

なので、「オトナになること/大人になること」があの作品の一番のテーマになる。

2011-06-05 04:54:11
m_um_u @m_um_u

セカイ系つかベタにACの話だと思うよ、エヴァは。まぁ、現代人が誰しも少なからずそんなところがあるのだろうからなんとなく「ふつー」に見過ごされてるのだろうけど

2011-06-05 04:53:28
m_um_u @m_um_u

アスカはずーっとお嬢様的心性からのAC(小器用な演技性人格障害みたいなの)だったし、綾波なんかはもともと「父のない娘」として現存在させられてしまったしね。てか、妻を母として依っていたゲンドウが、そのまま妻をクローニングしてしまったのだろうけど

2011-06-05 04:51:26
m_um_u @m_um_u

シンジくんがお経のように繰り返す「逃げちゃダメだ」は「オトナになること」「父のようになること」から「逃げちゃダメだ」だったんだけど、それが後期になって薄れていく。「逃げる」とかではなく、自分で選択して「たたかう」ことを選ぶ。

2011-06-05 04:49:16
m_um_u @m_um_u

だからこそ作品の基層が「父と子」であり「逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ」を繰り返すわけだし。ガンダムではアムロがACだったわけだけどブライトを父として、あるいはホワイトベース全体を家族として、シャアを兄として成長していった。それをエヴァではネルフ内部でやってた

2011-06-05 04:47:55
m_um_u @m_um_u

「エヴァの基層が庵野が学生時代に撮ってたウルトラマンパロディだ」つのもあるだろうけど。個人的にはそこにロボットアニメの世代的記憶の重層性としてガンダムにつらなるロボット物と、そこからのポストモダンとしてのエヴァって基軸は外せないと思う

2011-06-05 04:45:00
m_um_u @m_um_u

アニメーションへのリアル映画的なものの導入(あるいは境界事例)というのは昔ながらにけっこうあるのかもだけど、宮崎駿とか絡めるとやっぱ庵野秀明なんか頭に浮かぶわよね。「庵野くんは実写やったほうがいいんじゃないの?」なアレであり結果としての「式日」みたいなの

2011-06-05 04:42:57
m_um_u @m_um_u

まぁ、そんな感じでマンガ論はマンガ/アニメ/映画の3つが文法としては絡むし、線描部分で絵画的なアレも絡む(細かく言うと)。その上で各作家ごとのテーマ、作品ごとのテーマ、その作品に関する間テクスト( ^ω^)・・・めんどくせえ

2011-06-05 04:41:35
m_um_u @m_um_u

それにそって難解な、あるいは複雑なテーマと対話し、解体し、再構築する。 しばしばそのテーマは作家個人の実存に関係する。 そういうものをオレは見る

2011-06-05 04:04:04
m_um_u @m_um_u

たいして、術理としてのクリエーションみたいなのがある。文学と小説の違いで言い残したものがそれだし。 自分の中で、あるいはジャンルの文脈を受け継ぐ形で、あるテーマと真摯に向き合い解体するためにきちんとしたルールと術理を定める。

2011-06-05 04:03:13
m_um_u @m_um_u

こないだもちょっといったけど、たぶんクリエイターというのはミラーニューロンかなんかでoutputの形式を真似るのがうまい人が大半で、そうだとしたらそれ自体はKY的な空気を読む脳力の強さとたいして変わらない。「outputしたものなんかunkだ」ってのはたぶんその辺

2011-06-05 04:01:44
m_um_u @m_um_u

たいしたことではないよね、たぶん。特に苛立ってDVしたりな小心ものとか QT woodyallen_bot: 僕は芸術家が他の人より優れているとは思わない。芸術家が特別だなんて考えない。

2011-06-05 03:59:28
m_um_u @m_um_u

手塚治虫にしても宮崎駿にしても「良い父親であれたか」というのは少し気にするところはあるのだろうけど、その前に「創作者」たることを択ったのだろうからね。まぁこの辺モロに「G戦場ヘヴンズドア」だけど

2011-06-05 03:56:46
m_um_u @m_um_u

黒田硫黄にしてもそうだし、松本大洋もちらほらとリアル映画的な文法が出てくる。アニメーションとかマンガじゃなくて。そのあたりが、最近のマンガ的な手法(二世、三世的なそれ)の革新のひとつではないかね

2011-06-05 03:53:11
m_um_u @m_um_u

主要テーマと伏線をいくつかのこしつつ、ストレートに見せないで時間軸とかいぢって何回も同じことを|д゚)チラッと出すのを繰り返す。サスペンスとかそういう感じのアレだべね。まぁマンガのテーマが最近そんな感じだったってのもあるだろうけど

2011-06-05 03:52:11
m_um_u @m_um_u

浦沢直樹というのは、モロに映画的手法で描いてくタイプの人で、「ライトモチーフでガツガツ行く」ってよりはプロットをアメリカの映画的な構成で解体して伸ばしてく印象があるわね。

2011-06-05 03:51:32
m_um_u @m_um_u

まぁそれもあってか手塚眞が浦沢直樹の「PLUTO」あとがきになんか寄せてるのよね QT「ブラックジャック」を手塚の基本とすると、「ブラックジャックによろしく」みたいなのはそれの本歌とりということだし、佐藤秀峰の業界構造への挑戦そのものが「根性論的な手塚システム」への挑戦とも言える

2011-06-05 03:49:19
m_um_u @m_um_u

あと、基本的にすげー悔しがりで、新しい才能への嫉妬心強かったみたいね。子供みたいに。 たけくまメモにでてたかな

2011-06-05 03:48:05
m_um_u @m_um_u

そういう風に見ると宮崎吾朗というのは「ジャンルにおける三世」ぐらいな問題(手塚眞問題の引き継ぎ)であり、昔ながらの「父と子」な話だよ

2011-06-05 03:45:22
m_um_u @m_um_u

「ブラックジャック」を手塚の基本とすると、「ブラックジャックによろしく」みたいなのはそれの本歌とりということだし、佐藤秀峰の業界構造への挑戦そのものが「根性論的な手塚システム」への挑戦とも言える。あとは「ジャンルにおける二世」問題だと浦沢直樹からむね

2011-06-05 03:44:15
m_um_u @m_um_u

そんで、手塚イズム的なものがあるとして、その間にディズニーが挟まり手塚なんかも影響受けつつ、テーマや表現技法のみならずアニメーションとかマンガ制作システム的な「イズム」も「手塚以前/以後」で分けられる(cf.「テヅカイズデッド」あたりかな?) それを超えていくのが宮崎駿的な物

2011-06-05 03:42:14
m_um_u @m_um_u

個人的には手塚の務めというか、彼個人の生に関わるテーマというと「医者」と「救世」ということで、ブラックジャックと( ^ω^)・・・あと、もうひとつ江戸の医家の話あったな。あれを基本としつつ、「世界」を考えてくことだと思ってるので。それ基本にしないとどうとも言えないと思う

2011-06-05 03:40:35
m_um_u @m_um_u

手塚には特に興味なくてちゃんと見てないんだけど、手塚が、ああいう形でいろんなものに手を出したのは息子のためってのもあったようで。息子が「( ゚Д゚)<劇画すげー」ってなったら劇画に挑戦したり。それでいてあまり見向かれなかったりね(いや、喜んでたかな。ちょっとわすれた

2011-06-05 03:39:07
m_um_u @m_um_u

ぼんやりとしたことをいうんだったら手塚治虫-手塚眞問題というのは「父と子」のそれであり「創作者としての衣鉢」みたいな話なのよねぇ。。ある「ジャンルの創作-一世/二世問題」、それはそのまま宮崎駿-宮崎吾朗にもつながる

2011-06-05 03:37:34
m_um_u @m_um_u

へぇ( ^ω^)・・・岡野さんて「陰陽師」の岡野さんだべね QT jiei_yushi: 「手塚治虫のブッダ」のイメージアートは「ファンシイダンス」の岡野玲子さん、そしてご主人が手塚治虫氏の実子の手塚眞氏か。映画ブッダBot(buddha_movie)もこういう情報を流せばいいの

2011-06-05 03:36:15