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kentarotakahashi @kentarotakahash
今日は祖母のものだった手紙類の箱が出てきた。さすがに、これは捨てるしかないだろうと思ったが、一通だけ封書の中身を見てみた。それが何と、僕が生まれた二日後に書かれた祖父からの手紙だった。 pic.twitter.com/xJHLiJpquI
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「それから紀代子さん(私の母)は18、19日頃に安産されたと考えおりまして、19日に二人でお祝いを致しました。電報も電話もありませんから、ただただ勘でゆくよりほかありません」と書いてある。僕は1月19日に生まれた。勘は当たってたよ、じいちゃん。 pic.twitter.com/jnVePRQJgs
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僕は父方の祖父(高橋康順)とは会ったことがない。僕と祖父を繋ぐものは何もなかった。それが初めて目の前に現れた。
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手紙に「二人で」と書いてあるのは、同じく撫順の収容所に入っていた母方の祖父のことだ。二人は長年、同じ収容所がいたが、ずっと会うことはできなかった。だが、1955年に状況が変化し、帰国の見通しが出てきた。そして、二人で孫の誕生を祝うことができた。 pic.twitter.com/QRaMqOV7R3
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祖母が持っていた当時の新聞の切り抜き。祖父の名前がある。 pic.twitter.com/LCH20Joffw
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だが、父方の祖父は帰国が許される前に病死した。母方の祖父がそれを看取った。
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母方の祖父は帰国後、僕の2歳の誕生日に死んだ。
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次の1月19日で僕はこの手紙を書いた時の祖父と同じ歳になる。
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この新聞記事、僕が生まれた時点の僕の家族構成が細かく書いてあるが、よく読んだら、これまで知らないことがあった。祖父は昭和20年にシベリア抑留され、昭和25年頃に二、三度、手紙が届いたが、その後、昭和30年になるまでバッタリ、手紙の類はなかったのだ。 pic.twitter.com/BJZWii6GXr
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昭和30年の7月になって、シベリアではなく、中国から手紙が届くようになった。祖母の手紙の箱に詰まっていた手紙は、それ以後、祖父が毎日のように書いた手紙だった。
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史実では、昭和25年に祖父はシベリアから撫順の収容所に移されている。映画『ラスト・エンペラー』の冒頭の、溥儀がシベリアから乗せられてきた列車があるでしょ。あれに両祖父も乗っていたのだ(映画を観た時には知らなかった。祖父はシベリアで死んだと思っていたので)。
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映画を観てから10年くらい過ぎて、祖父が撫順の収容所にいたことを知った。で、今日に至るまで、そこで死んだと思っていたのだが、それも違っていた。撫順から40キロの戦犯病院にいたと書いてある。両祖父とも病気になって、戦犯病院に移されていたのだな。
kentarotakahashi @kentarotakahash
昭和30年に戦犯病院に移されて、家族との手紙のやりとりが許され、同年11月、毛沢東が6、700人の戦犯の解放を表明。手紙のやりとりで、昭和31年1月19日頃に初孫が生まれることも知った。希望に燃えただろう。でも、僕の名前までは知ることがなかったのかもしれない。
kentarotakahashi @kentarotakahash
何だかおかしいね。サンレコ連載の「音楽と録音の歴史ものがたり」でこのところ電子音楽の話を書いていた。ヨーロッパの電子音楽は第二次大戦の凄惨な記憶と深く結びついている。シュトックハウゼンは戦争孤児だ。リゲティの父と弟はユダヤ人収容所で死んでいる。
kentarotakahashi @kentarotakahash
でも、そんな「歴史ものがたり」を綴っているライターだというのに、僕は今日になるまで、自分の祖父がどこで死んだのか知らなかったのだ。
kentarotakahashi @kentarotakahash
じいちゃん、なんて書いたのも今日が初めてだ。高橋康順は東大出身の高級官僚で、几帳面で厳格な人だったらしい、くらいのイメージしかなかった(帝大時代のノートはそれに合致する)。でも、よれよれの字で、勘でお祝いしたとか書いてある手紙、全然違うじゃん。
kentarotakahashi @kentarotakahash

高橋健太郎 文章を書いたり、音楽を作ったり。レーベル&スタジオMemory Lab主宰。著書に『ヘッドフォン・ガール』(2015)『スタジオの音が聴こえる』(2014)、『ポップミュージックのゆくえ〜音楽の未来に蘇るもの』(2010)。

soundcloud.com/kentaro_takaha…
梅田 芳(a.k.a尾城夏人) @oshironatto
何と言う、家族の物語なのだろうか。泣いた。高橋康順氏は、1891年生で、武部力蔵氏は1983年生だ。お二人は共に、東京帝大法科卒で銀時計組にして、満州国内務官僚のエリートである。 twitter.com/kentarotakahas…
彫木🌕環🧷✂️✏️(安倍首相に疲れました) @CordwainersCat
昔の人の手紙類は過去からの貴重なメッセージです。捨てちゃダメです。 twitter.com/kentarotakahas…

コメント

dag @digital_dag 12日前
祖父の境遇は不幸だったが手紙によって祖父が母子を案じていたことが知れてよかったなぁ。
Rikka @Rikka17773365 12日前
母方のお祖父様だけでも生きて帰国できて孫に会えたことが救いなのかな…
Ins @insinsinsin 12日前
筆跡見てすごく寒くて手がかじかんでたのかなあとか想像してしまった。孫誕生予定うれしかっただろうね…
かにたま大臣 @pokkaripon 12日前
寒くて物資もない中で滲まない鉛筆を使って貴重な縦書きの便箋に書いたんだろうな…
重-オモ- @__oMo__ 12日前
最終判断はご本人に任されるが、できれば手紙は保存しておいてほしいものだね。
しの @_sieraden_ 12日前
史料としてどこかに保管してほしい
ろんどん @lawtomol 12日前
スキャンしてPDF化して保存、とかできないのかな…
佐渡災炎 @sadscient 12日前
ファミリーヒストリー2本できるじゃん!
ma08s@フォロー外からごめんなさい @bygzam_ma08s 12日前
『探偵!ナイトスクープ』でも、戦地からの父の手紙を復元・解読する依頼があったっけ (確か、ギャラクシー賞受賞作)。切ない話ではあるけれど、時を超えて人と人が繋がり、通じ合えるのは、素晴らしい話だとも思う。
おきぐすり @1985oronine666 11日前
bygzam_ma08s レイテ島からの手紙(´;ω;`)
どんちゃん @Donbe 11日前
うちの爺さんは戦争参加せずに生き残った人だったが、結局最期までなぜ参加せずに済んだのか聞けなかった。 聞いても「背が足りなかった」「醤油一升飲んだ」とか毎回変わってるし、笑ってはぐらかされたまま20年前に亡くなった。 父は本当の理由知ってるのかもしれないけど、何年か前の脳梗塞で昔のことほぼ忘れちまった。 当時は30代のはずで戦争に行かない成人男子は人にあらず、だったらしいから壮絶な叩きにあっただろう、てのは予想できる。それが辛くて話したくなかったのかもしれんな。
ざわ @zawayoshi 11日前
切ないけどいい話でした。
山の手 @Yamano_te 7日前
この方(高橋康順)は戦争に行った人というより、官僚として満州に入ったのち退官後も満州財界人であり、要するに満州発展のための仕事をしていたら日本敗戦で捕虜になったということのようだ。ちなみにこの方の後任者が岸信介氏だそうだ。
xi @accountLINKonly 6日前
こういう話だいすきなんだよ…はー…公開してくれた主とお祖父様とネット社会と平和に感謝する…
刑事長/理事長 @DekatyouNy 6日前
Donbe 自分の母方の祖父も戦争にはいってません(母が6歳だかの時に病死)。三菱で航空機とかの研究?をしてて召集されなかった、とは祖母から聞いているので、そういう関係は召集されてない可能性は否定できないです。
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