コンチェが旧約聖書を実況part4 (伝道者の書/コヘレトの言葉~エゼキエル書)
- ceno_sougou
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「彼女たちはエジプトで淫行をし(中略)、姉はオホラ、妹はオホリバで、ふたりはわたしのものとなり、息子や娘たちを産んだ。(中略)オホラはわたしのものであったのに、姦通し、その恋人、隣のアッシリア人を恋い慕った。」ただの嫉妬だろこれwww
2011-06-08 05:18:17さて、この記述のせいで「主が姦淫を禁じるのは、下界の女の浮気を防ぐため」なんて着想にいたってしまったのだけれど、この絶望感をどこにぶつけようか。
2011-06-08 05:19:52「(主のことば)あなたは心高ぶり、『私は神だ。海の真ん中で神の座についている』と言った。あなたは自分の心を神のようにみなしたが、あなたは人であって、神ではない」。エゼキエルがここまで図に乗りすぎているとは思わなんだ。神の言葉と力を行使するあまり、自らを神であると勘違いしたか。
2011-06-08 05:29:08ただ、預言者って存在そのものをモーセの時のように多重人格者か何かだと想定し主を人格の一つだと仮定したら、この辺の描写も一層香ばしさを増すんだよな。いよいよ自分に自分が飲み込まれていってる。
2011-06-08 05:31:08主の解説によると、エゼキエルは金銀財宝、即ち「金」に目がくらんだから勘違いしたらしい。女と金か…いつの時代も目をくらませるものは一緒だな。
2011-06-08 05:32:10終盤は聖なる宮の大きさとか決まりとかを淡々と記述していく法典パートに近い内容だった。やはり見どころは中盤のエゼキエルと主の問答だろう。
2011-06-08 05:41:13預言者⇒民のイザヤ書、預言者⇒主のエレミヤ書とも異なり、エゼキエル書は主⇒預言者の向きの言葉がメインで綴られる。主の人格も大体この章で把握できた。鬼畜なところとか、俺ルール最優先なところとか。
2011-06-08 05:44:23エゼキエルがどんな人間か期待していたのだけれど、この章は完全に主が主体だったから、エゼキエルの人格面に迫るイベントは無かったね。強いて言えば、自分を主だと勘違いしちゃう痛い子だったってところか。
2011-06-08 05:45:23主はとにかくあの手この手で預言者を説得するみたいだ。主の活動はそこから始まる。やっぱり預言者を媒体としないと力を発揮できないんじゃないのかな…?
2011-06-08 05:48:24この三大預言の書は、物語的な部分よりも「預言者」という存在は何たるかを中心に描いた章だった。彼らと比べたら、如何にモーセが優秀であったかよく思い知らされる。
2011-06-08 05:50:12