- Sunset_Yuhi
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以前、コウメ太夫のネタを哲学的観点から考察するコウ・メダユー氏が話題になったけど、久しぶりに見たら理系的に解釈する人とか仲間が何人か増えてて草 pic.twitter.com/uyelMJgp9M
2019-07-17 18:41:55@dayukoume 台風の消滅に伴い生じる〈わたし〉の消滅。何故、こんな事が起きるのだろう。先日、三人称の死を一人称の死へと還元した小梅氏は、更に、世の一切を非人称へと…謂わば西田哲学に於る主客未分の純粋経験のように…還元する。〈it〉という非人称的な場から小梅氏は、だんだんと消滅してゆくのだ。傑作。
2019-07-27 23:43:48@koume_philo @dayukoume 〈私〉の「存在」は西洋哲学で伝統的に議論されてきたが、自然科学的な見方をすれば、〈私〉も結局は自然現象の一種なのかもしれない。 小梅哲学では、絶対的な「存在」ではなく、生成消滅する「現象」に注目することで、西洋哲学の克服を図ろうとする。確かに、西田哲学の影響も受けているのだろう。
2019-07-28 03:15:42小梅太夫の #まいにちチクショー は一見、つまらなく意味不明に思えるが、稀に彼の哲学的な思想・知見が垣間見える。その読解や解釈の言語化によって、我々は無数の閃きと真理を探求する悦びを授かる。まいチクの与える影響は個人のみならず、思考力の衰えた多くの現代人に泉の如き教養を施す。 twitter.com/dayukoume/stat…
2019-07-28 04:52:23@dayukoume 「タマタマ」は、「偶々」…則ち偶然性を指す。小梅氏は、リアス式海岸やフィヨルドといった複雑に形成された地理的様相が偶然性に支配されていると指摘する。河川や氷河の侵食作用を“偶々が泳ぐ”という詩的表現にて描き出す小梅氏は、地理形成の一連のプロセスを偶然性という観点から議論するのだ。
2019-08-03 14:02:29@koume_philo @dayukoume 私達の行動が自然法則などにより予め決まっているとする考え方を「決定論」という。この立場では人間の「自由意志」の存在を認めない。 猛暑の中でバカンスを楽しんでいた小梅氏は、雄大な自然の風景を見るうちに、「タマタマ泳いで」いる自分の行動もまた、地理形成と類比的に説明可能と考えたのだ。
2019-08-03 14:34:24@dayukoume マズローの欲求段階説に於いても最高位とされる自己実現の欲求。だが、よく考えれば小梅氏は嘗てエンタの舞台にて自己実現を果たしていたのでないか。「欲求(欲望)」という概念を論じる小梅氏は、未来志向性を持つと考えられがちな欲求について、自身の経験から「過去志向」という概念を導入するのだ。
2019-08-12 23:29:26@koume_philo @dayukoume 物語論では、主人公が様々な葛藤(struggle)に直面し、それを乗り越えることで物語が展開すると語られる。 小梅氏は「〜と思ったら、〜でした」という方法論(コウメソドロジー)により注目されたが、新しい物語を展開させるには、新しい方法論を編み出す時期に来ているのではないだろうか。
2019-08-12 23:55:22いくつか素敵なダイレクトメッセージを頂いたのでご紹介致します。 フォロワーのみなさんが「コウメソドロジー」の方法論に基づいた哲学を展開していて大変微笑ましいですね。 これからも「まいにち」を哲学して頂ければ幸甚の至りです。 pic.twitter.com/JGZ6AUSPG3
2019-08-14 10:04:15@koume_philo 「コウメソドロジー」を使っていただきありがとうございます。小梅哲学ではメタファーを多用した「死」がよく注目されますが、哲学的問題に取り組むための手法の開発が最も画期的だと感じています。小梅氏と同じく哲学に興味ある者として、氏の活動には非常に勇気づけられています。
2019-08-14 11:35:15蛍が飛んでいるかと思ったら~、 私の魂が飛び出てました~あぁぁ~~!!。あああああああああ~? チクショー!! #まいにちチクショー
2019-08-14 23:06:07@dayukoume 魂が飛び出ているならば、どうやってその魂を蛍として認識できるのだろうか。シュタイナーによれば、人間の魂である「悟性魂」は、「植物魂」と「動物魂」を併せ持つのだという。発達を担う小梅氏の「植物魂」が抜け落ち、それを残った「動物魂」が認識したのだ。認識論を「魂」の観点から論じた駄作。
2019-08-15 16:25:24@koume_philo @dayukoume 魂の存在を認めているということは、小梅氏は心身二元論の立場に立っているように見える。では、魂が抜け出る所を観察しているのは誰だろうか。 小梅氏は実は、心身二元論を厳格に支持する訳ではないのだろう。唯物論的な観点から、物質としての〈私〉を捉える方法論も捨て去ってはいないのだ。
2019-08-15 16:38:31@dayukoume 学校は、夏休みの宿題を課すことで我々の休暇すら“学校化”する。だが、学校はそれと同時に従属した主体らを恣意的に退学処分にする事すら可能だ。権力機構としての学校制度に憤りを感じた小梅氏は、イリイチらの脱学校論と同じ立場に立ち、「学校に行かなくていい!」と、大胆な主張を行うのだ。傑作。
2019-08-25 12:27:57@koume_philo @dayukoume 学校は不特定多数の国民に対し、合理的に教育を施すための機関だが、画一的な授業や多すぎる宿題など、非合理的な面もしばしば注目される。 小梅氏は子供時代、夏休みの宿題を通じて近代的な教育システムに反感を持った。その結果、アウトサイダー的存在として学校を追放されたことを明かしたのだ。
2019-08-25 13:00:1121世紀に我が国で育まれた最高の知性である小梅太夫と、その思想をハープ奏者のごとく鮮やかに解説する哲学者コウ・メダユー。 『エンタの神様』に出ていた時と違い、笑いを取ることよりも哲学的問題を前面に出すようになったのは、ここ10年程の間に小梅氏の思想が大きく転換したことを意味する。
2019-08-25 15:49:20@dayukoume 『監獄の誕生』を描いたフーコーは、パノプティコンのモデルに着想を得て、不可視の他者の眼差しが社会領域に於いて我々を規律化し、支配しているのだと指摘した。インスタ映えの手段に用いられるタピオカを、適切に食す事が規律化される…小梅氏は、タピオカランドもまた刑務所なのだと指摘したのだ。
2019-08-26 09:45:00@dayukoume 「赤い」という概念は、それ自身だけで存在できるだろうか。それとも、りんごやポストのような個物に付随する性質なのだろうか。こうした存在論に対して「トロープの束説」がある。 小梅哲学において「東」という方向の概念は、地球上や地図上の場所などに付随する、個別的存在者の「束」なのだ。
2019-09-07 17:45:49