- Sunset_Yuhi
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コウメ太夫のまいにちチクショー文学に於おけるミーム文化の中では鳥越氏の解説はコウメ哲学の白眉と言わざるを得ない。深遠なり。 pic.twitter.com/XAGh3V5QD2
2017-08-03 16:43:24非常に優れた論考です。小梅氏の作品の類型化や集合論を用いての分析など、小梅学の研究として新たな試みが為されています。また、小梅氏を中心とした社会構造をフラクタル構造と指摘する社会学的考察も見事でした。 twitter.com/kenhori2/statu…
2018-05-30 13:16:19力作のブログ書いた!!6000文字・図を10枚以上使って丁寧に【コウメ太夫はフラクタル構造だ】ということを解説しました。 皆さんぜひご覧ください。リサーチから図の作成まで含めて、20時間くらいかかった力作です。コウメ太夫分析の第一人者になったぞ! ken-horimoto.com/20180529175652
2018-05-29 19:14:42@dayukoume 「入れ歯安定剤に声をかけても何の意味もない!」…確かに、そうかもしれないが、小梅氏はこう言い返すだろう…「入れ歯安定剤の中にも、現象的意識及びクオリアの元となる原意識が含まれているのではないか?」と。汎経験説の立場を取る小梅氏は、入れ歯安定剤とフェティシズム的交流を行うのだ。
2019-04-09 11:19:02@koume_philo @dayukoume 動植物に対して、何かしらの「苦痛」を与える行為は悪とみなす考え方がある。しかし、どんな生物もヒトと同様の「苦痛」を感じるのだろうか。私達は動植物と同じ体験をできないので、確かめることは難しい。小梅氏は、究極の他者である入れ歯安定剤と交流することで、他者理解の困難を指摘したのだ。
2019-04-09 12:40:29@dayukoume 『象徴交換と死』を著したボードリヤールは、「死の象徴交換」によって大量消費社会に反旗を翻す事が出来ると説いた。自身の死を覚悟したまいチク…これはハイデガーの議論にも通ずる…により、本来性に目覚めた小梅氏は、死を疎外する現代のシステムに反旗を翻し、真のチクショウを説くのだ。傑作。
2019-05-20 06:18:44@koume_philo @dayukoume 「畜生への近道」と聞いて反知性主義かなと思いましたが、死の象徴(まいチク)を使った現代システム批判という視点には気づきませんでした。小梅氏への誤解を解いていただきありがとうございます。
2019-05-20 07:31:16@dayukoume レヴィナスは、愛撫行為を食人の疑似行為とした。フェラチオなどはまさにその例で、疑似的に男性器を“食す”のだ。性器がバナナやアイスなどに喩えられるのはこの原理に因る。さて、小梅氏は、床に寝ている男性の、“朝の男性器”を“タケノコ”と喩えている。小梅氏が何をしたか言うまでもない。駄作。
2019-06-26 18:37:55@koume_philo @dayukoume 生まれて以来タケノコは見たことがあっても、ポコチンを見たことがない人は、突起状のものを全てタケノコとして認識するかもしれません。ポコチンをタケノコと認識するのは表象間違いの一種であり、表象が持つ特徴をダイナミックに解説した、意欲作ではないかと思いました。
2019-06-26 18:52:12@koume_philo @dayukoume 彼は夢の中で男根の表象であるタケノコが出現した。しかし、刈り取られるのではないかという去勢不安から彼はエディプスを乗り越えられず肛門期へと退行してしまったのだ。 よって、小梅氏は朝立ちしてしまった罪悪感を親の顔色をうかがうように我々に報告したのではないだろうか。
2019-06-27 20:12:08@dayukoume 何故、〈私〉は、徳川家康でなく、ポチでなく、或いは乃木坂白石さんでなく、この〈私〉なのだろう。〈私〉が〈私〉であり、他者ではない事態は、突き詰めれば無根拠な、理由なき事態である。こうした哲学的な問いを解決せんとする小梅氏は、老人になるまで思考したが結局解決出来なかったのだ。駄作。
2019-06-29 12:56:20@koume_philo @dayukoume 〈私〉を構成する物質は日々入れ替わっており、ある時に小梅氏を構成していた物質は、ある時には乃木坂白石さんを構成しているかもしれません。 唯物論的世界観で、小梅氏と乃木坂白石さんを区別できなくなった小梅氏は、自身の自己同一性を保てなくなり、ただの「老人」になったのだと思います。
2019-06-29 13:44:03ある朝 目を覚ましたら~、 私は霜降り明星粗品さんに、粗品さんは私に入れ替わってました~。 ビッグチャ~ンス!! #まいにちチクショー
2019-06-30 21:13:57@dayukoume そう、小梅氏は哲学者として、「私」の存在論的様式を確認するビッグチャ〜ンスを手にしたのだ。通常、入れ替わりが起きたとしても、“私”は常に“私”の筈だ。だが、“私”の領域に他者が滑り込み、「霜降り明星粗品さん」という三人称の元、「私」という一人称から解き放たれたらどうなるのだろう。傑作。
2019-06-30 21:24:05@koume_philo @dayukoume 小梅氏と霜降り明星粗品さんの体が入れ替わった時、「小梅太夫」と呼び掛けて振り向きそうなのは、心が小梅氏になった「粗品さん」だろう。しかしその時に、粗品さんの脳の状態はどうなっているのだろうか。 体が入れ替わるという思考実験は、同一性の問題を考えるビッグチャ〜ンスなのだ。
2019-06-30 22:00:08@dayukoume そもそも、何が〈私〉なのだろうか。実は、本作では主語が示されていない点が重要である。主語を示さず、「我思う」といった現象から、我…即ち私を消去する無主体論の立場をとる小梅氏は、意識状態の記述に於いては〈私〉という人称を不適切とし、It rains.のような非人称表現を重視するのだ。傑作。
2019-07-14 01:03:28@koume_philo @dayukoume 例えば〈私〉が映っている写真を見た時、物理的にはインクの染みしかない筈だが、認知の上ではそこに〈私〉がいると感じる。しかし、写真の中の〈私〉は平面的であり、呼びかけに応じることもない。小梅氏は、〈私〉の像と関わる経験に注目し、その特殊性に驚いたのだ。
2019-07-14 13:24:56@dayukoume 不可知論の立場では、神について、“知ることが出来ない”とする。嘗て不可知論の立場を取っていた小梅氏だが、宗教的体験を果たし、“知った”。だが、オットーによると、「聖なるもの」との邂逅は不合理性を孕むのだという。知っても“理解できない”…それでも小梅氏は、「不合理故に我信ず」のだ。傑作。
2019-07-15 22:33:51@koume_philo @dayukoume まいチクで用いられる「○○かと思ったら、✕✕でした〜」という構文は、小梅哲学で最も重要な方法論(コウメソドロジー)と言える。これにより在野のチクシストも、哲学的命題に気軽に取り組むことができる。 けれども現状では、哲学上の議論を知ることは簡単でも、理解することは困難かもしれない。
2019-07-16 07:29:47