参加しない人はラディカルではないなんて言ったつもりは全然ないのだが、もうちょっと好意的な反応があるかなと思っていたのですこしがっかりしたというのは正直あるかな…
2020-04-05 03:20:59しかし通勤電車とかに比べたら、いまの時期の上野公園なんて換気もソーシャルディスタンスも十分だし、そこに防護服とかぶり面をつけて(なんならマスクもして)行くのに、なぜみんなそんなに神経質になるのかよくわからない…😥
2020-04-05 03:23:55今回の防護服花見は、ゆるやかな反抗とか異議申し立てというよりも、疫病が蔓延して外出自粛が呼びかけられるなかでいかに安全に花見が可能なのかというチャレンジであって、たんに自粛要請を無視して騒ぎたい、みたいなものではないんだがなあ
2020-04-05 03:34:12ウイルスが蔓延して外出自粛が呼びかけられるなか、防護服とかぶり面をつけて完全防備で花見をする、ってぼくはふつうにおもしろいと思うんだけど、それに対する「知的でない」「批評的でない」という批判がよくわからない
2020-04-05 03:56:46花見は感染を広げるから自粛せよ、という政府の要請に対して大人しく自粛することが「知的でない」「批評的でない」というならわかる。しかし、自粛要請という矛盾に満ちた同調圧力に対して、感染を広げないオルタナティブな花見のあり方を構想することは、むしろ知的な営為なのではないか
2020-04-05 04:01:12防護服を着るのは別に露悪的なパフォーマンスではないんですよ。感染防止に必要だから着るんであって、かぶり面もそうです。そして一律に自粛を要請する政府のやり方に対して、こういう方法なら花見も集会もできるよ、というオルタナティブを提示することが今回のテーマのひとつです
2020-04-05 04:15:15まあなんにせよいろいろ批判があり、結果的に参加者がとても少ないということはぼくは真摯に受け止めます。幸いなことに一人ではないので、それが救いですが…
2020-04-05 04:17:44ひとつだけ反論しておくと、防護服を着て花見をするのは、花見を奪われた人たちへの抑圧ではなく、むしろ自粛要請下でも“ふつうに”花見ができるということであって、人々をエンパワーする表現ですよ。それは自粛要請に半ば従いつつ半ば従わない、自由の行使です
2020-04-05 11:48:10週末研の「防護服花見」は、発端でもある花見2.0が311への応答としてある以上、そこには露悪的な気配がまとわりつくのは当然だと思う。そこに関しては「違う」と言われても、それは飲めない。 ただそれは「見えない悪いものを遠ざける」だけではなく「自分自身が危険物(かもしれない)」を隔離する→
2020-04-05 13:32:03ための方策で、確かに露悪的ではあるけど「じゃあ向きだしの私は、露出した危険物なのではないか?」という目線と、「感染を防ぐには無意味だけど、誰かを感染させないためには有効」と言われるマスクとの間にそれほど差異はない。つまりは「防護服」が「何を想起させるか」という問題だ→
2020-04-05 13:37:30そして「花見2.0」ではディアスポラ、「どこかに行ってもう戻れない」という悲劇を引き受けるためのモバイル桜だったものが、世界的な感染拡大によって「どこにも行き場がない」「ここに留まるのが最善」という、あの当時とはまったく逆の状況が生まれている。→
2020-04-05 13:40:47モバイル桜ではなく「モバイル私」、細かく言えば「危険物である(かもしれない)私を、安全に持ち運ぶための手段」によって「自粛とは社会と私を隔離することであり、隔離ができるのなら移動はできる」という、不自由さの読み替え/技術による危機の乗り越え方の提言になっているのではないか。→
2020-04-05 13:47:26花見2.0でてらまっとさん @teramat は「戻れない可能性が大きい場所があり、そういう状況を引き受けたいと思った」と語っていて、その延長として「自分が危険物である、無意識の加害者である、そういう環境/身体を自覚したい」という考えに至るのは、当然のように感じた。
2020-04-05 13:52:39