池田明季哉『オーバーライト』制作日誌

池田明季哉🐺『アオハルデビル』1-3巻 発売中🐺 @akiya_skeleton

家族や友人に、僕は頭を下げました。書いたものを見てもらって、できる限り厳しい意見をもらいました。何度も何度も書き直しました。自分の書いたものを、毎日毎日、否定し続けました。そんなふうに物を書いたことは、人生でも初めてでした。

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これは、僕の住んでいたところの庭の写真です。僕はこの景色を見ながら、『グラフィティ探偵――ブリストルのゴースト』を書き上げ、第26回電撃大賞に応募しました。 ちょうど一年前。2019年4月のことでした。 pic.twitter.com/4QWlAjTcKp

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―7日目― 応募した後は、清々しい気持ちでした。やれることは全部やった。これでダメなら、仕方がない。ブリストルに一年住んだ、よい思い出ができた。そう思っていました。 けれど気がつけば少しずつ選考は進み、『グラフィティ探偵――ブリストルのゴースト』は、三次選考まで通過していました。

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最終選考に残った、という電話をもらったときのことは、今でもよく覚えています。イギリスだから時差もあるし国際電話だし、ちゃんと繋がるのか、不安でした。でも僕は無事に電話を取ることができました。 この後、大変お世話になる担当さんの声を初めて聞いたのは、このときです。

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それからしばらく後、選考委員奨励賞を受賞した、という連絡を、改めてもらいました。 僕は喜びました。でもその喜びは、すぐに複雑なものに変わりました。 ベアー・ピットが、突然なんの前触れもなく、浄化されました。 あのグラフィティにあふれた広場が、真っ白になったのです。 pic.twitter.com/QEUs3IZl7g

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―8日目― グラフィティ・ライターたちは悲しみ、怒っていました。集会も署名も抗議も、市議会がこうと決めたことを覆す力はなかったのです。 あれだけあったベアー・ピットのグラフィティはすべて消され、フェンスが張り巡らされ、警備員が巡回していました。 pic.twitter.com/kRAX3ucuVB

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これは反対運動の中心となった、ピープルズ・リパブリック・オブ・ストークス・クロフトのブログです。 タイトルは「Who Killed the Bearpit?」――彼らの視点から見れば、ベアー・ピットは、この広場の文化は、市議会に殺されたのです。 prsc.org.uk/who-killed-the…

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僕が呆然としながら写真を撮っていると、警備員が話しかけてきました。 「どうだい？ 綺麗になって気持ちいいだろう？」 僕はこのとき言い返せなかったことを、今も後悔しています。 pic.twitter.com/aRnkn7Uy3y

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そんなベアー・ピットに、ひとつだけ、グラフィティがありました。おそらく警備員の目を盗んで、急いで書かれたのでしょう。 レディオヘッドの歌詞を引用して、こう書かれています。 「ここでなら、いつだって、なにをやってもいいんだ」 このグラフィティも、数日後には消えていました。 pic.twitter.com/Asle8BO4b5

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ブリストル市民ですらない僕にできることはなく、日本に帰国するときが来ました。海外から引っ越すのは本当に大変で、9月に帰国して、ちゃんとした生活がはじめられたのは、11月のことでした。 その間、担当さんとも打ち合わせをし、受賞作『グラフィティ探偵』の改稿について相談しました。

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選考委員のみなさんからいただいた意見は、まとめるとこんな感じだと僕は理解しました。 「グラフィティという類を見ない題材は素晴らしい。キャラクターもよい。しかし、グラフィティの面白さを十分に伝えられていないことはもったいない」

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僕は、真っ白なベアー・ピットと、警備員の顔と、ひとつだけ書かれた歌詞を思い出していました。 あのワクワクした気持ちを、グラフィティの面白さを、そしてベアー・ピットのために戦ったライターたちの心意気を、ちゃんと伝えたい。 僕は担当さんに、こう言いました。 「一から書き直します」 pic.twitter.com/BOotb3ynjs

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―9日目― 担当さんは、最初、あまり本気にしていなかったような気がします。けれど僕が無茶すぎる変更を打診するうちに「本気でぜんぶ書き直す気だ」ということが伝わったのか、「ちゃんとこの作品の良さを活かして改善していきましょう」と言ってくれるようになりました。

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応募作をがんばって書き上げたことで、僕は少し成長していました。そしてなにより、編集者というプロフェッショナルが力を貸してくれました。何時間も何時間も打ち合わせに付き合ってもらい、何度も何度も変更を重ね、問題を明らかにし、最善の解決を考え続けました。

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出版までの限られた時間ですべてを書き直すには、かなりの無茶が必要でした。直して、と言われていないところも勝手に直したせいなのですが、担当さんはスケジュールを調整して、忍耐強く付き合ってくれました。 最終的にはほとんどすべてを、物語としてより面白くなるように、書き直しました。

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あくまでリアリティに固執していた僕に、担当さんは「ファンタジーでいいんです」と言ってくれました。できあがった物語は、現実の出来事からはずいぶん離れましたが、その結果、むしろ僕が本当に伝えたかったものが書けた気がしています。 壁にひたむきに向き合うアーティストの、魂の美しさです。

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新しくなった『グラフィティ探偵』は、もはや探偵ものではなくなっていました。そこで僕はこう題名をつけ直しました。 『オーバーライト』 僕は自らの小説を、自分で上書きしました。よりよいグラフィティを目指して切磋琢磨する、ブリストルのグラフィティ・ライターたちに倣って。 pic.twitter.com/Lww6QohLU2

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こうしてできあがった『オーバーライト――ブリストルのゴースト』は、たくさんの人の力を借りて、本という形になりました。 担当さんをはじめとして、電撃の、KADOKAWAのみなさんが、この本がちゃんとたくさんの人の手に届くよう、力を尽くしてくれました。

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みれあさん（@mirea_fraise）は本当に美しいブーディシアの絵を描いてくれました。アルコインクさん（@arcoinc_info ）は鮮やかなグリーンの特色を使った素晴らしい表紙を、維漣さん（@iren_krkt ）は、ブリストルで見た以上のクールなグラフィティを作ってくれました。

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僕は小説家としてデビューするということ以上に、本が美しく仕上がったこと、そしてブリストルとグラフィティの素晴らしさを伝えられることが、嬉しくて仕方がありませんでした。ここまで来ると、実は著者にできることはあまりありません。できあがった本が発売されるのを、楽しみにしていました。

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出版は近づき、暦は3月になりました。 そして、新型コロナウィルスが流行しました。

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―10日目― 新型コロナウィルスの流行による緊急事態宣言の中、『オーバーライト――ブリストルのゴースト』は発売され、僕は小説家としてデビューします。 今この世界を取り巻く状況に対して、僕から言えることはありません。でも、この本については、どうしても言っておきたいことがあります。

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『オーバーライト』は、自分の愛する文化を守るために、魂を賭ける人たちの物語です。 自らを奮い立たせ、決して諦めず、自分を上書きし続ける物語です。 現実のブリストルのグラフィティ・ライターたちが、そして今、この日本で暮らすみんなが、そうであるように。

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今のところ、僕たちは家の壁の中で過ごすしかありません。けれどグラフィティ・ライターたちがその想像力で壁に絵を描き、それによって街そのものを美しいアートに変えてしまったように――物語が、想像力が、いつだって豊かな世界に僕たちを連れ出してくれる。そう信じています。

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この物語はフィクションです。実在の人物・団体等とは、関係ありません。 けれどそれでも、僕はこの物語が、読んでくれた人に現実と戦う力を与えるものであってほしいと、心から願っています。 『オーバーライト――ブリストルのゴースト』。 4月10日、発売です。 dengekibunko.jp/special/overwr…