芦別や留萌港への石炭輸送について
RT>確かに。というか芦別線が工事線に昇格したのは1957年なんだから、この時点ではまだ調査段階じゃないですか……芦別の方が石炭埋蔵量が多かったとかなのだろうか(芦別炭鉱は平成まで残ったくらいだからあり得ない話ではない) ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%A6…
2020-04-18 22:54:01ただ、芦別線は石炭運搬経路を見誤った鉄道路線な気がする。三井芦別炭鉱が産出していた石炭のうち、一般炭と原料炭があるとして。一般炭は道内の火力発電所と一部が留萌から船積み、原料炭は製鉄所に流れていた
2020-04-19 01:13:34芦別線が建設されていた頃の北海道の運炭って石炭を搬出するのではなく、山に空車を返却する必要があって。 各駅で組成されたセキをスイッチバックなしに運ぶのが重要課題であった。
2020-04-19 01:11:16当時は石油の波に押されつつあったことから、一般炭。特に留萌港から本州向けの石炭の動きって少なくなっていたのよね。 芦別線は芦別から納内を結ぶ予定だった鉄道路線だったけど、留萌港に行くセキ車が少なかったら存在意義って殆ど無いというね
2020-04-19 01:17:16故に1970年代の北海道の石炭列車が留萌に行く率は下がったし、道内で産出された一般炭は道内各地の火力発電所にまわされることも多かった。 その前にスクラップアンドビルド政策で出炭量はだだ下がりってこともあったし、情勢はお察し下さい状態だったともいえる
2020-04-19 01:19:29そのような中で羽幌炭鉱鉄道は東京電力との石炭の大口契約を結んだことは大きく、石炭取扱量が減少傾向だった留萌港に一筋の光を齎したという。 東京電力という支えを手に入れた羽幌炭鉱鉄道はその後も躍進を続けるはずだった・・・はずだったのになぁ。。。
2020-04-19 01:23:31@AKAIWA8095D 羽幌炭鉱閉山後も稼働している留萌港の石炭埠頭ってどこの石炭受け入れてたんだっけ。赤平と芦別?
2020-04-19 01:29:46@AKAIWA8095D 羽幌炭鉱閉山後も稼働している留萌港の石炭埠頭ってどこの石炭受け入れてたんだっけ。赤平と芦別?
2020-04-19 01:29:46