惜別 札沼線末端区間 札沼線が未だ「札」「沼」線だった頃の時刻表(1962年1月) 札幌近郊の本数と駅名の少なさが目を引く。未だベッドタウンは形成されていなかったか?浦臼の存在感!馬鹿停あり、駅弁あり。札幌発浦臼経由深川行普通列車の存在に感涙滂沱(つД`) 長い間お疲れ様でした( ̄^ ̄)ゞ pic.twitter.com/HQBsjB9vqw
2020-04-18 11:40:20本年4月17日をもって廃止された札沼線ですが、ここで秘境駅と謳われた豊ヶ岡駅開業の報道記事をご覧下さい。 北海タイムス空知版 昭和35年9月13日(火) pic.twitter.com/KQgcdp9JLF
2020-04-19 08:06:10道新やニュースでも札沼線には石炭列車が走っていたと一言で述べているが、実は国鉄と大きな関わり合いを持ち。なおかつ札沼線の末端部の廃止は一介の零細企業が躍進しようと頑張った矢先に道を断たれた歴史でもあった。 現在、月形鉱業所に関する資料は殆ど残っていないが何かの機会に纏めたいと思う
2020-04-18 18:00:26札沼線に運炭列車が走ってたと言われてもピンと来ないだろうし、そもそも炭鉱があったと知らない人も多そうなので少しくらい資料明示しておこうか
2020-04-18 17:12:05札沼線の豊ヶ丘駅は羽幌炭砿鉄道の月形鉱業所近代化(合理化)事業の一環として国鉄に申し入れを行い、また地元住民の声によって誕生した駅である。 豊ヶ丘駅の近くにはホッパーも新しく設置され、旧来の寿炭砿のホッパーは廃止された。 写真は炭砿新聞『石炭月形』より、岐線施設竣工の一面より pic.twitter.com/E0tMakk2bn
2020-04-18 17:12:17月形に存在した炭鉱とは、道北のビルド鉱こと『羽幌炭鉱鉄道株式会社』の月形鉱業所であり。羽幌炭鉱鉄道が買収する前は寿炭鉱であった
2020-04-18 17:13:43その為、札沼線の廃止区間では比較的晩年となる1960年に豊ヶ丘駅が設置されているが。これは基本的に住民の足と言うより羽幌炭鉱鉄道の月形鉱業所の社宅を豊ヶ丘駅の一帯に建設する計画があり、その一環として設置された駅でもある
2020-04-18 17:15:50元より、羽幌炭鉱鉄道の月形鉱業所は豊ヶ丘より更に山奥に設置されていた炭鉱であるが、山間部すぎる故に交通では非常に不便な場所であった。 そこで、豊ヶ丘駅近くのホッパーから山元までをベルトコンベアで接続し、人や物を運搬する付帯設備を設置して交通の利便性を向上させようとした
2020-04-18 17:17:47ちなみに、豊ヶ丘駅が設置される前は石狩月形駅が最寄りの駅であったが、当時の炭鉱を訪れた人からしてみれば移動手段なんてお察し下さい状態で。。。 そこで札沼線と山元を簡単に移動できる手段が必要ともあり、離山ムード脱却を図っていた
2020-04-18 17:20:46豊ヶ丘駅をよく知っている人なら、今現在も月形鉱業所のホッパーの残骸があることを知っているだろうけど。月形鉱業所の閉山により、あのホッパーも実質は稼働後数年でお役御免となっている
2020-04-18 17:22:45ちなみに、豊ヶ丘駅の100mくらい隣に存在した羽幌炭鉱鉄道 月形鉱業所のホッパーはコレ。現在も残っているコンクリートの塊はこの残骸であり、近代化以前はこの横に木造ホッパーが存在し、稼働していた。 pic.twitter.com/DZZJU2SGVh
2020-04-18 17:25:45月形鉱業所の近代化以前は索道により山を越えて豊ヶ丘付近まで運炭されており、山から山を越えていくロープとバケットが炭鉱の名物の一つになっていたという。 ちなみにこのバケット、たまに落ちてきたそうなので索道の下を歩くときは上を見て潜っていたそうな pic.twitter.com/plB7KHYi6k
2020-04-18 17:30:17ところで、ここまで色々と札沼線と絡んで操業していた月形鉱業所がなぜ閉山したのかと言うと理由は3つある。 一つは月形鉱業所の出炭量が芳しく無かったこと。一つは月形鉱業所の離山ムードが起きつつあったこと。 そしてもう一つは札沼線の廃止の打診が国鉄からあったこと(←ココ重要
2020-04-18 17:33:53月形鉱業所で出炭した石炭はベルトコンベアで豊ヶ丘駅の近くまで運炭。そこから国鉄の貨車に積み替えて、石狩沼田・峠下経由で留萌北岸まで運炭していた。 ただ、国鉄はその動脈である札沼線の新十津川~石狩沼田の廃止を提案してきた
2020-04-18 17:36:31もちろん月形鉱業所は札沼線末端の廃止に反対し、せめて留萌本線に接続する利便性の良い動脈を設置してくれと国鉄に請願した。その中の一つには新十津川から滝川に線路を新設して短絡線を設置して安定輸送確保をするという案も出したが、国鉄は全て却下したという
2020-04-18 17:38:57札沼線の廃止で問題になることは石炭列車の運転だけではなく、炭鉱に必要な資材などが遠回りになることだった。 結局は羽幌炭鉱鉄道が親会社ということもあり、必要な資材は羽幌から送られてくる。その為に新十津川~石狩沼田の廃止は死活問題となることは火を見るよりも明らかだった
2020-04-18 17:41:34結局、国鉄は赤字が膨らんでいたことなどを理由に札沼線末端の廃止に対して炭鉱側に便宜を図ることはできないと説明し、廃止後の石炭列車は全て札幌・滝川・峠下経由で留萌北岸へ輸送となることを説明。 もちろん、輸送費は山元側が負担することになるのだから費用は高価なものになる
2020-04-18 17:44:15そこで、安価な石炭を求めていた羽幌炭鉱鉄道はせっかく造った月形鉱業所の近代化設備、ベルトコンベア、社宅、その他すべての設備を整えながらも閉山することを決定した。 働いていた職員で有志は羽幌炭鉱へ、閉山交付金で退職者には退職金を賄って全てが終わった
2020-04-18 17:46:39札沼線の新十津川~石狩沼田が廃止になったあとでもまだ、仮に月形鉱業所が操業を続けていたとしたら。 札幌駅を石炭満載にした列車が小樽では無く、岩見沢方向へ逆走する運炭列車が見れたのかも知れない・・・
2020-04-18 17:49:07もちろん、そこまでしておいて全てを無に還した国鉄の所業は許されるものでは無いと思う。 その代替の一つが羽幌炭鉱鉄道の曙から分岐していた日本唯一の謎路線でもある国鉄名羽線の非営業区間だったんだろうなと思う。
2020-04-18 17:51:31国鉄名羽線の非営業区間は戦後まもなくの炭鉱ストライキによって日本各地で石炭が無くなった時に、日本炭鉱労働組合に加入していなかった羽幌炭鉱鉄道が国鉄に廉価で石炭を販売していた。国鉄はその恩返しとして、その10年後に国鉄名羽線を非営業として先行開業させて羽幌炭鉱鉄道を後押しした。
2020-04-18 17:54:23その時に羽幌炭鉱鉄道が国鉄総裁から贈られた感謝状は今も我が家に保管されていたりする pic.twitter.com/CRdjboFjtl
2020-04-18 17:56:29先程の札沼線の歴史紹介時に掲載し忘れていたけど、昭和26年の石狩月形駅はこんな感じ… 月形鉱業所の出炭に対して運炭が追いつかず、石炭の保管場所に困った結果、豊ヶ丘のホッパーと月形駅の間でトラック輸送して凌いだらしい…(駅正面向かって左側の倉庫前に石炭が積み上げられた pic.twitter.com/Bq1yHRe297
2020-04-19 01:02:53札沼線の鶴沼-石狩沼田廃止案
1960年に配布された炭鉱新聞、石炭月形の札沼線末端部廃止の一面見てたけど。札沼線廃止の区間が石狩沼田〜鶴沼になってる。 なんで鶴沼…?あんな中途半端なところまで残しても何も無いし、その後の沿線の猛反発で新十津川になってもまだ中途半端だし… pic.twitter.com/am8EMTaPuO
2020-04-18 19:29:42