ひだだんろく、保育士。黙っていれば顔つきが怖いと言われがちだが、基本的に表情が緩いので子供に泣かれることはない。体力もあるので年長組を任されることが多く、前からも後ろからも子供たちに飛びつかれることがよくある。通称ロク先生。同じクラスに少し年下の女性の、ちぃ先生がいる(モブ)
2020-05-10 18:07:35お散歩は週に一回。いつも曲がり角を三つ曲がって、信号を渡った先の少し大きい公園までみんなで歩いて、一時間ほど遊んでまた歩いて帰るのがお決まりのコース。今日はクラスで一番おませな女の子と手を繋ぐことになった。背が高いひだが子供と手を繋ぐのは少し大変だが、それにももう随分慣れた。
2020-05-10 18:16:47背中を少しだけ曲げて、少しでも身体を近づける。「あのね、先生知ってる?あの公園のおとなりね、時々、王子様がいるのよ」「王子様?」「そう!きんきらの髪の毛でね、すっごくかっこいいの!でもお怪我してることもあるから、きっと悪いお妃様が閉じ込めてるんだわ!」
2020-05-10 18:18:55子供から悪いお妃なんて言葉が出てくるのは、きっと白雪姫のせいだ。プリンセスの話に出てくる悪いお妃様をイメージしてみたが、ここは現代日本。子供の話全てを鵜呑みにするわけにはいかない。「かっこいいんだ?」「……!あ、ちがうの!わたしは、先生一筋なんだから!」「あはは、有難う」
2020-05-10 18:21:11公園についてから、少女に教えられた窓を見てみると、なるほど確かに綺麗な金髪の男性のシルエットが見える。格子と言うほどではないが、きっとあの窓は強化ガラスになっていて、子供から見ればそれを囚われの王子と見るのも無理はないように思う。「ね、いるでしょ?」「ほんとだね」
2020-05-10 18:23:37マンションらしくないこの建物はなんの建物だっただろうか。少なくとも、子供を横で遊ばせるのに支障がない施設であるはずなのだが、はっきりとは覚えていない。今の時点で少女もその答えなど求めてはいないだろう。王子様の姿を見て満足したらしい少女はみんなの中に混ざって遊び始めた。
2020-05-10 18:27:58帰り際、ふと振り返って王子様を見てみると、彼もこちらに気がついたらしい。ふっと目を細めてこちらに向けて手を振ったから、まさか自分ではないだろうと思いながらもうるさくしてしまったであろう侘びの気持ちも込めて軽くお辞儀をしておいた。
2020-05-10 18:30:58「ちぃ先生には王子様のこと教えてあげないの?」「やだー。ちぃ先生、絶対キャーキャーするもん!王子様のことはロク先生とわたしだけの秘密だよ!ぜーったいちぃ先生には言っちゃだめだからね!」
2020-05-10 18:33:23それから公園に行くたびに二人で見上げるようになってしまったが、彼も居たり居なかったり。そしてそこが病院に付属する施設だと知ったことで彼が居ないことを安心するようになった。純粋に入院していたのか実験をしていたのかはわからないが、きっとあそこにいない方が彼は健康体なのだ。
2020-05-10 18:38:31「今日も王子様いないねー」「そうだね」それじゃあみんなと遊ぼうか、と少女の背中を押そうとした時、「僕のこと?」と不意打ちでかかった声に振り返ると、いつもは窓辺にいて、時折ファンサービスのように手を振ってくれる王子様その人が立っていた。「王子様!」「僕、そんな風に呼ばれてたんだ?」
2020-05-10 18:40:27「あの、すみません勝手に」「いえいえ。いつも楽しそうだったから、今日は僕も混ざりたくて来ちゃいました」「大丈夫なんですか?」「先生に許可ももらったから僕は大丈夫です。保育園の方が、赤の他人と話をさせても大丈夫なら」王子は、あはは、と案外フランクに笑いながら話しかけてくる。
2020-05-10 18:43:03「ちょっと確認取りますが…失礼ですが病気とかでは」「ないです。あそこには怪我の治療のためにお世話になってて、入院するときも怪我だから病気とかはとくにないです」取り敢えず、ちぃ先生に相談して、ご近所さんではなさそうだということで一応園の方にも確認をとった。
2020-05-10 18:45:43さらに念には念を入れて病院の方にも確認を取り、やっとオールクリアになった頃には子供達の遊ぶ時間の半分は過ぎていた。のだが。既に王子様の周りには子供達が集まっている。
2020-05-10 18:46:43「おなまえは?」「トールだよ」「何才?」「先生たちくらいかなー」「お仕事は?」「探偵さんだよ」「何するの?」「わからないことを調べたり考えたりするお仕事なんだ」「どこの国の王子様なの?」「残念、僕は王子様じゃないんだ。みんなと同じ、日本人だよ」
2020-05-10 18:48:49「モテモテですねちぃ先生」「モテモテですよロク先生。ロク先生推しの子もみーんな王子様に取られちゃいましたね」「流石に僕ではあのルックスには勝てないですね」「ロク先生は顔より中身で好かれるタイプですよ」
2020-05-10 18:50:51「あ、お帰りなさい。ロク先生と、ちぃ先生?」「すみません。みんなべったりで」「こんなにモテたの初めてですよ」膝の上にも背中にもべったりと子供達がくっついているが満更でもなさそうな様子からして、それなりに子供は好きなのだろう。
2020-05-10 18:53:04「お話もいいけど、僕、みんなと遊びたいな。みんな公園でいつも何やってるの?」そこからは鬼ごっこが始まったのだが、早い。とても早い。ひだもそれなりだが彼もそれなりにタッパがある分、一歩が大きくて早い。
2020-05-10 18:54:58ひだだと子供相手だと手を抜いてしまうところも彼は妥協せずに追いかけて、だからこそ子供達も本気で逃げたし、とても楽しそうだった。勿論、楽しい時間はいつか終わるもので、終わるときにはみんなが彼の長い足にしがみついた。
2020-05-10 18:56:25「トールくんもいっしょに保育園帰る」「ダメです。トールくんはトールくんの帰る場所があるんです」「やだ」「帰る場所が違うからだめ」「また僕がここに来たときに遊んでよ」「いつ来るかわかんないもん!もっと遊ぶ!ねぇ、ロク先生ぇ、いいでしょ?」
2020-05-10 18:58:26こればかりはオッケーとは言えない。だからと言って頭ごなしにダメだと言っても聞いてくれるわけなんてないと、子供達の目の前にしゃがみこむ。「みんなそれぞれお家があるでしょ?保育園の後に帰るお家。トールくんも帰る場所があるんだよ。トールくんが帰らないと、心配する人がいるんだ」
2020-05-10 19:00:25一瞬トールが複雑そうな顔をした気がしたが、すぐに先程までと同じ笑顔に戻る。今度またタイミングが合えば遊んでくれるというあてにならない約束を残してその日はなんとかお別れして、10分遅れで園に帰った。
2020-05-11 06:56:18ひだはその日の帰り、お見舞いとして彼のいた病院に改めて出向くと、「彼、あの時には退院してましたからもういないですよ」と一言。お礼も何も言えなかったなとしょんぼりしていると、受付のお姉さんが名刺を渡してくれる。
2020-05-11 06:57:48「きっと貴方がくるだろうから、その時は渡してくださいって言われていたんです」本当に探偵だったらしい。あむろとおると書かれた名刺には、携帯の番号が添えられていた。
2020-05-11 06:59:12家に帰ってから、どうしようかと迷いながらも連絡を取ってみる。スマホで番号をタップして。コール三回で通話になった。が、向こうから声を発する様子はない。「あの、」「ああ、ロク先生!」「いえ、あの、はい。ひだだんろくといいます」「だから、ロク先生?」「そうです」
2020-05-11 07:02:36痛いほどの沈黙が破られると、昼間に見たあの顔が頭に浮かぶ。くるくると回る表情と、優しい声。「先生、絶対病院に行くだろうなと思ったんですよ」「探偵さんにはなんでもお見通しですか?」「先生、わかりやすいですよ。でも、連絡先を置いてきたのはわざとです」
2020-05-11 07:04:29