こうして原子力“安全神話”は作られた
- toshihiro36
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VTRが流れます
<ナレーション> 日本が国策として推し進めた原子力発電。背景にあったのは、いわゆる“安全神話”でした。では、なぜこうした“安全神話”はうまれたのでしょうか?
2011-06-19 11:51:40<ナレーション> 1967年東京電力が企画した記録映画には福島第一原発建設の様子が描かれ、そこでは原発の立地面での安全性をアピールしています。
2011-06-19 11:54:39<ナレーション> 当時まだ広島・長崎での原爆の記憶が強く残る中での原発推進。そのため軍事目的の「原子核研究」と、平和利用の「原子力研究」はあくまで別物として原発の建設が進められたのです。ところが’70年代に入って公害問題をきっかけに、放射能汚染などを危惧する声が高まると (続く
2011-06-19 12:01:29<ナレーション> 政府や電力会社は強く「安全」をアピールするようになります。「原子力白書」を見ても、年を追うごとに安全性の確保を訴える項目が前半部分で扱われるようになり・・1974年原子力船「むつ」の放射能漏れ事故が起きると、翌年の白書では第一章で真っ先に「安全性の確保」が(続く
2011-06-19 12:06:34番組内の発言(福島第一原発関係者):原子力発電所で(大事故が)起きたとすると・・・どのくらいの確率かというと50億分の1と発表されております。これは隕石に当たる確率とほぼ同じと言われております。
2011-06-19 12:12:44<ナレーション> 役所や政治家・電力会社らの働きかけもあって、’70年代終わりの世論調査で原発推進に賛成と答える人は過半数(55%、反対23%)に達しました。そして1984年版の原子力安全白書では日本の原発は世界的にみても、高度の安全水準に達すると安全管理の (続く
2011-06-19 12:20:29<ナレーション> 素晴らしさを謳ったのです。ところが1986年、旧ソ連チェルノブイリで原発事故が起き、原発推進に賛成と答える人が3割台(34%、反対41%)に落ち込みます。すると政府は専門家を集めて“原子力PR部隊”を作り、各地で説明会を開催します。
2011-06-19 12:24:44(説明会の様子) 質問「ジャンボジェット機ぐらい大きな物が、原発に突っ込んでも安全なんですか?」 回答「格納容器の外側にもコンクリートの遮蔽体があるので、その辺で止まります」
2011-06-19 12:27:46<ナレーション> また電力会社は原発への招待旅行を実施。新聞各紙に全面広告を出して、原発の安全性を訴えたのです。 そして’90年以降に発行された政府の原発関連のパンフレットや小中学校向けの副読本を見ると、安全の文字が随所に見られます。 (続く
2011-06-19 12:32:47<ナレーション> 片や経済界も地球温暖化対策の柱として原子力発電の推進を求め、政府を後押しします。結局、国民は心のどこかに不安を覚えつつ、原発の“安全神話”を信じていったのです。その背景にはいったい何があったのでしょうか?
2011-06-19 12:42:52CMが入ります
同志社大・小原教授:根っこにあるのは戦後、日本人が持ってきた“成長神話”だと思うんですよ。経済的な成長を第一の価値にして、そのためであれば必要悪として原子力を是認せざるを得ない。経済的な成長を支え、環境対策にも一役かうという国民全体が下支えしてきた側面もあると思う。
2011-06-19 12:51:45村上:急速な経済発展の途上で「効率」という安易な基準に流され、大事な道筋を私たちは見失ってしまいました。ゆがんだ構造の存在をこれまで許してきた、あるいは黙認してきた私たち自身を糾弾しなければならないはずです。私たち日本人は核に対するNOを叫び続けるべきだった。
2011-06-19 12:57:18