パパ・タラフマラ解散発表

2011年6月24日に発表された、パパ・タラフマラ解散に関するツイートをまとめました。 パパ・タラフマラをめぐるそれぞれの思い出話から、この解散を契機に現代日本のアートシーンや助成金制度を問い直す言説、ファイナルフェスティバルへの期待など、さまざまな言葉が届いています。 会見でも小池より話がありましたとおり、いま、あらためて「語る」そして「手を結ぶ」ことをしっかりとしていきたい。この30年でパパ・タラフマラがしてきたこと、そしてこの先の未来に何を繋いでいくのかについて、多くの方々と言葉を交わす機会を持ちたいと考えています。今後ともパパ・タラフマラの動向にご注目いただくと同時に、ともに「語」り続けてください。
0
前へ 1 2 ・・ 8 次へ
ハートブレイクハートブレイク @queequeg

つまり、二流層の厚みの確保こそが、業界全体の利益に寄与する、という発想は、「業界」を実体的なものとして措定することを含意してるわけで、それは現代演劇というか、「先鋭的な」表現の基本的な性向とは折り合いが悪い、ということか。

2011-06-24 15:49:19
ハートブレイクハートブレイク @queequeg

とはいえ、まさに日比野先生が問題にしているように(というかそもそもそれが本題というべきか)、それらの「先鋭的な」表現も助成金に支えられているのであってみれば、「業界」は実体的ではない、などというのは、幼稚ないきがりかつ欺瞞でしかないのは確か。

2011-06-24 15:51:27
ハートブレイクハートブレイク @queequeg

しかし、「何本も観てない」どころではなく、よくよく考えたらちゃんと観たの「WD」一本かも…(「WD」は美術が会田誠で、当時会田誠が好きだったので観にいった)。

2011-06-24 15:57:18
ハートブレイクハートブレイク @queequeg

自分的には、大学1年ぐらいの時に読んだ「シアターアーツ」のオウム座談会で、わりと刷り込み的にパパタラに対してよくない印象持ってしまったのがある気がする。あそこで提示されていた「ダムタイプ=〇、パパ・タラフマラ=×」という図式なんかは、まさに典型的に「一流/二流」主義だよな。

2011-06-24 16:01:08
ひびのけい @hbnk

@queequeg さんに触発されての一流・二流議論の続き。まず最初に自分の立ち位置。私は自分の仕事を三流にすらなりきれていないものだと考えている。これからうんと頑張れば二流にはなれるかもしれないが、下手すると四流にとどまる可能性もあると考えている。だから私にとって二流は上。

2011-06-24 23:59:34
ひびのけい @hbnk

だから午後早くのtweetは、私を含め三流以下の人間が、二流を卑しめ一流をもてはやすのはいかがなものかという議論だ。鏡に映る自分の醜い姿を見て、それと同様の(しかし繰り返すがじつは自分よりは上の)ものを二流に見いだし嫌悪する。一流のものさえ見ていれば自分の醜さを見出すことはない。

2011-06-25 00:03:39
ひびのけい @hbnk

という理由なんだろうが、やっぱりそれはフェアではないと思うのだ。

2011-06-25 00:04:04
ひびのけい @hbnk

で、ここから先が@queequegさんのtweetを聞いて考えたこと。そもそも、芸術においてつねに先鋭を求める「前衛」主義はすでに破綻していると私は考えている。前衛があって後衛があるという軍事的メタファーが芸術に通用していた時代はもうとっくに過ぎている。

2011-06-25 00:07:49
ひびのけい @hbnk

私にとって芸術の善し悪しを決める尺度は alternative vision を示せるかどうか。いかに「遠く」から現実に何かを引っ張ってこられるか。それはgeographicalなイメージの「前衛」だけではなく、どこからでもやってこれるものだ。

2011-06-25 00:13:48
ひびのけい @hbnk

次。「層の厚み」の確保は「業界」ではなく観客共同体を含めた演劇を生産し享受するすべての人間のために必要。そこで善し悪しについての「物差し」が共同主観的に定義されるという意味で。「一流」のみが持てはやされる状況では物差しは不要になる。contested fieldは常に必要だろう。

2011-06-25 00:20:51
ひびのけい @hbnk

このような共同体は経済的な条件を離れて実体として存在している。たとえば私の今のTLでは「20年安泰。」を巡る言説が次々と生産され、精査にかけられている。言説のもたらす効果が実体となる。

2011-06-25 00:24:32
@powantanuki

@keihibino なるほど。ただ、伝統芸能と現代劇では二流の意味が違う気がします。演者・観客の層の厚さや鑑賞の仕方が異なりますから。現代劇にしても、同じ二流にも一流ないしそれに等しい価値の可能体と不可能体があるのではないかと。件の団体は後者として膠着していたのでは…(ぽわん)

2011-06-25 00:28:23
ひびのけい @hbnk

@powantanuki おっしゃるとおり現代劇でも二流が享受されている場というのはありますね。現代劇と伝統芸能を必ずしも対立的に捉える必要はなかったかもしれない。

2011-06-25 00:31:11
ひびのけい @hbnk

現代劇と伝統芸能では二流の意味が異なるという点も同意。というより、なぜ現代劇の二流は伝統芸能における二流のようになれないのか、というふうに問題を立てたらいいかもしれない。なぜ彼の言葉が「引かれ者の小唄」のように聞こえてしまうのか。

2011-06-25 00:35:32
ひびのけい @hbnk

とにかくこのことはtwitterで手軽に答えをだすのは無理そうだ。時間をかけて考えなくては。

2011-06-25 00:37:56
ひびのけい @hbnk

30年続けてきたのに、今さらそんな理由で解散するなんて…とは思う。今よりひどい時期はあったはずだよ。とはいえ、太田省吾が転形劇場を解散したときもそうだった。耐えに耐えてきたゆえに、折れるときはポキッと折れる。部外者が理解することのできない怒りと悲しみがあるのだろうと想像する。

2011-06-25 01:00:15
ひびのけい @hbnk

転形劇場はちょうど20年か。パパタラはそれよりも長いのだ。

2011-06-25 01:03:32
ひびのけい @hbnk

30年で解散したパパタラを見て20年で解散した転形劇場を思いだすなか、TLでは「20年安泰。」の話題が持ちきりとは、まこと人生とは皮肉なものだなあ。

2011-06-25 01:06:50
ひびのけい @hbnk

状況劇場24年。夢の遊眠社16年。第三舞台は今年結成30周年で10年ぶりに活動再開。

2011-06-25 01:11:26
ハートブレイクハートブレイク @queequeg

昼間つぶやいた、いわゆる「先鋭的な」表現の「一流/二流」の問題。日比野先生( @keihibino )が批判的に補って下さってる、「前衛」のありえなさ、ということと、「業界」ではなく観客を含めた共同体を考えるべき、という点について、基本的に同意です。

2011-06-25 01:32:51
ハートブレイクハートブレイク @queequeg

ちょっと急ぎのツイートだったので全体的に粗雑な物言いでした。「前衛」が今日完全にありえないか、というか、「前衛」が、それによって何を指すにせよ、今日では語として本当に基本的に不適切なものなのか、ということ自体は、もっと考えるべき問題である、という風には思うのですが、

2011-06-25 01:35:35
ハートブレイクハートブレイク @queequeg

いずれにせよ、不用意に用いるべき語でないのは確実。というか、なので自分も昼間はそうした文脈を回避すべく「いわゆる「先鋭的な」」というような曖昧な言い方をしたわけですが、まあこれだと実際曖昧なだけなので、普通に前衛主義ととられるのは仕方ないですね。

2011-06-25 01:37:45
ハートブレイクハートブレイク @queequeg

まあでも、そうした「いわゆる「先鋭的な」」ものをどう名指すかの問題はやはり残る。まあ、曖昧に使うならば、ポストドラマやパフォーマンスという語で、ひとまず事足りるのかもしれないが…。というか、まさにそうした曖昧に、「いわゆる」的に理解する限りでの前衛性を名指す語がほしい。

2011-06-25 01:46:22
ひびのけい @hbnk

@queequeg twitterで気軽にできる議論の域を越えたような気がします。「前衛」及び「実験」を面白がる思考の系譜を相対化できないかとは常に考えていることなんですが。なぜ芸術に軍事や科学のメタファーが入ってきたとき私たちは新鮮に感じたのか。芸術の自律性の神話が崩れたから?

2011-06-25 01:44:12
ハートブレイクハートブレイク @queequeg

@keihibino これはtwitterではきびしい話題ですよね(笑)。単純に知らないのでご質問したいのですが、「前衛」主義(趣味)というものが成立するにあたって、その語の持つ軍事的なコノテーション自体が大きな意味を持った、ということはあるのでしょうか?

2011-06-25 01:51:26
前へ 1 2 ・・ 8 次へ