神流川の戦い~上州争奪戦~。

神流川の合戦関連の史跡を巡ります。
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真庭ふしぎ@風来人 @fusigi_plants

「本能寺の変」から二週間後、織田氏と友好関係を保っていたはずの北条氏の軍勢が織田領である上州(旧武田領)を攻撃した。この時に織田軍と北条軍との間で行われた合戦を「神流川の合戦」と呼ぶ。 pic.twitter.com/PZeimjkDcd

2020-06-29 12:06:57
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長昌寺。群馬県前橋市にある寺院。この寺院は群馬県における能発祥の地であることで知られる。この寺院で厩橋城主滝川一益が本格的な能興行を行ったとされる。 pic.twitter.com/nrpmAXuxMy

2020-06-29 12:15:04
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群馬県能発祥地碑。天正10年6月11日、滝川一益によって長昌寺で催された能興行は群馬県では記録に残る初めての能であるとされるようだ。 pic.twitter.com/bhhSGqT5ny

2020-06-29 12:21:17
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天正10年6月18日、滝川一益は手勢を率いて上州に侵攻を進める北条軍に対して先制攻撃を行う。攻撃先は北条方の城である「金窪城」だった。 pic.twitter.com/JmOV2sJ1I5

2020-06-29 20:41:34
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軍配山古墳。群馬県佐波郡玉村町に所在する円墳。「神流川の合戦」において滝川一益がこの古墳を本陣としたとされる。滝川一益はこの古墳上で軍配を奮い全軍を指揮した。 pic.twitter.com/UvvB7vZl9e

2020-06-29 20:52:55
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軍配山から倉賀野一帯にかけて布陣していた滝川一益の軍勢の最初の攻撃目標は金窪城の支城「川井城」であったと考えられる。 pic.twitter.com/G4BE1MeXJT

2020-06-29 21:16:04
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川井城跡。群馬県佐波郡玉村町に所在する北条方の城郭である金窪城の支城。「神流川の合戦」の際、烏川沿岸に所在するこの川井城には金窪城主斉藤定盛の弟である斉藤基盛が守備をしていた。 pic.twitter.com/P0lPUt8Rml

2020-06-29 21:24:44
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八千矛神社。川井城跡地に鎮座する神社。 pic.twitter.com/OhZZ8cwI9e

2020-06-29 21:28:14
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「神流川の合戦」において川井城は滝川一益の軍勢による攻撃を受けて落城した。川井城の守備をしていた斉藤基盛は討死した。 pic.twitter.com/t7wl96Bxwx

2020-06-29 21:39:00
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金窪城跡。上野国と武蔵国の国境に所在する城跡。国境の城だけに要害であったとされるこの「金窪城」には北条氏邦配下の武将である斉藤定盛が守備をしていた。 pic.twitter.com/d0u8Cb6fey

2020-06-29 21:42:45
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川井城を落城させた滝川軍は烏川を越えて北条方の城郭である金窪城を攻撃した。金窪城は要害な城郭であった為に金窪城の攻防戦は激戦となる。 pic.twitter.com/x779W8Vt5I

2020-06-29 21:47:31
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陽雲寺。埼玉県上里町に所在する寺院。金窪城主である斉藤氏の帰依が深かったとされるこの寺院は「金流川の合戦」の戦禍を受けて消失した。 pic.twitter.com/dJX5XGV1lp

2020-06-29 21:54:39
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池上神社。埼玉県上里町に鎮座する神社。金窪城主である斉藤氏の崇敬が厚かったとされるこの神社は「神流川の合戦」による戦禍を受けて社殿は焼失したという。 pic.twitter.com/Ixr79WzmfA

2020-06-29 21:59:07
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北条方の金窪城は激戦の末に落城し、金窪城主斉藤定盛ら斉藤一族は悉く討死した。滝川一益の軍勢による兵火によって炎上する金窪城と共に斉藤氏は滅亡した。 pic.twitter.com/sK8EFsc283

2020-06-29 22:47:07
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金久保神社。金窪城主であった斉藤氏が城内に八幡宮を歓勧したことを起源とする神社。 pic.twitter.com/Zg9GnlapsR

2020-06-29 22:51:07
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金久保神社は「神流川の合戦」によって落城し燃える金窪城と共に焼け落ちたという。金久保神社は滅亡した斉藤氏と共に消え去った。 pic.twitter.com/RC0nvM8Wy9

2020-06-29 22:53:19
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神流川古戦場。滝川一益の軍勢と北条氏邦、北条氏直の軍勢が交戦した戦場のことである。戦国期において関東地方最大の野戦と言われる「神流川の合戦」は天正10年6月18日、19日の2日間行われたという、、 pic.twitter.com/BSBw1MGeNm

2020-06-30 06:28:01
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「神流川の合戦」は金久保、毘沙吐周辺で合戦が行われた為「金窪原の合戦」とも呼ばれていたようだ。天正10年6月18日、滝川一益はこの「金窪原」で北条軍の先鋒隊である北条氏邦の軍勢を撃退している。 pic.twitter.com/n9Gwmh1jWV

2020-06-30 07:52:03
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大光寺。埼玉県上里町に所在する寺院。勅使河原氏によって創設されたこの寺院は「神流川の合戦」の戦禍を受けて総門以外全て燃え尽きた。 pic.twitter.com/ysubZJJB71

2020-06-30 10:48:38
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金窪原から敗走する北条氏邦を追撃し滝川一益は多大な戦果を挙げた。天正10年6月18日、「神流川の合戦」緒戦は滝川一益の軍勢の勝利に終わる。 pic.twitter.com/ki8R7rHSto

2020-06-30 11:01:29
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天正10年6月19日、北条氏直率いる北条軍本隊二万もの軍勢が神流川に到着したことで兵数に劣る滝川一益は苦戦を強いられることとなる。 pic.twitter.com/oVvMhSLD4M

2020-06-30 11:07:30
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安盛寺。埼玉県上里町に所在する寺院。戦国時代には「実弘寺」と称していたとされるこの寺院は「神流川の合戦」の戦禍を受けて伽藍は焼失したという。 pic.twitter.com/y1WETUCBeZ

2020-06-30 11:15:13
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