社会科学の分野においては統計的な手法によって解決される問題も多々あるが、法学の論文はどうも口先で言葉遊びをやっているように見える。しかし荀も学問である以上は、その体系が何らかの客観的妥当性を有していて然るべきであろう。それでは、法学における客観性とは何だろうか。
2011-06-28 15:44:34形式論理。RT @Kevtaro: (前略)法学の論文はどうも口先で言葉遊びをやっているように見える。しかし荀も学問である以上は、その体系が何らかの客観的妥当性を有していて然るべきであろう。それでは、法学における客観性とは何だろうか。
2011-06-28 15:54:26RT @igaki: 形式論理。RT @Kevtaro: (前略)法学の論文はどうも口先で言葉遊びをやっているように見える。しかし荀も学問である以上は、その体系が何らかの客観的妥当性を有していて然るべきであろう。それでは、法学における客観性とは何だろうか。
2011-06-28 15:57:11@igaki @Kevtaro ところが,法学は反対解釈という名の「逆は必ずしも真ならず」の誤謬論を平気で展開する件。
2011-06-28 16:00:38@t_done @igaki 勿論形式論理が重んじられるのは確かだと思います。ただ―ちょっと問題の立て方が悪かったと反省しているのですが―形式論理から離れた判断が為されていて、かつそれが客観性を有しないとすれば、法学は学問たるのだろうか。また学問は何故に学問なのだろうか、と。
2011-06-28 16:09:05RT @t_done: @igaki @Kevtaro ところが,法学は反対解釈という名の「逆は必ずしも真ならず」の誤謬論を平気で展開する件。
2011-06-28 16:16:20論理操作もお手の物、世の中相手にしてるんで汚い世の中にあわせるしかない。純粋な学問と臨床法学の違いはそこにあるー。すべては紛争を妥当な規範を用いて解決することにあるんだお。
2011-06-28 16:19:14@igaki @t_done 「八月革命説は科学か」みたいな話もありましたね。また法学は社会科学ではない、とも教わったことがあります。しかしそれでも何かの学問ではあり、また何かを探求するものでもあるのでしょう。すると、その探求されるべき対象の意味故に成立する学問なのだろうと。
2011-06-28 16:21:31@Kevtaro @igaki 法学は説得の学問といわれるが,全面的に同意できるかどうかは別として,言い得て妙だとは思う。「正しい」の意味が,客観的に正しいかどうかではなく,多数を説得しうるかどうかという尺度で判断されている感がある。そこには,主観も混じるわけで・・。
2011-06-28 16:25:58@igaki @t_done それで、法学の追求すべき対象は皆が何を妥当と考えているのか、ということなのだろうかと疑問がよぎったのです。或いはとても長い間普遍的に妥当と考えられている発想があるのかも知れませんが。
2011-06-28 16:26:13『禍いなるかな、法律家よ!』(福音書のパクリ) → @t_done: @igaki @Kevtaro ところが,法学は反対解釈という名の「逆は必ずしも真ならず」の誤謬論を平気で展開する件。
2011-06-28 16:32:28RT @HASSANKONAKATA: 『禍いなるかな、法律家よ!』(福音書のパクリ) → @t_done: @igaki @Kevtaro ところが,法学は反対解釈という名の「逆は必ずしも真ならず」の誤謬論を平気で展開する件。
2011-06-28 16:33:34@HASSANKONAKATA @t_done @igaki ここでハッサン先生の登場。ちなみにハッサン先生は「法学とは説得の学問である」という説についてどのようにお考えですか。
2011-06-28 16:35:06@Kevtaro @t_done 法学の追求すべき対象は、体系の論理的精緻さと具体的解決における妥当性の両方。後者が時代によって変わる以上、内容として普遍的な対象はないよね。この2つを止揚しないといけないということはずっと変わらないにしても。
2011-06-28 16:36:36イスラーム法学は一義的には聖典の解釈学ですが、 人定法の実証法学は主観的な価値観に共同主観的な装いを与える、説得、というよりは正当化の学問かと思います。→ @Kevtaro: @t_done @igaki ハッサン先生は「法学とは説得の学問である」という説についてどのようにお考え
2011-06-28 16:47:40RT @HASSANKONAKATA: イスラーム法学は一義的には聖典の解釈学ですが、 人定法の実証法学は主観的な価値観に共同主観的な装いを与える、説得、というよりは正当化の学問かと思います。→ @Kevtaro: @t_done @igaki ハッサン先生は「法学とは説得の学問である」という説についてどのようにお考え
2011-06-28 16:51:57@Kevtaro @t_done 「やっぱり口先の学問なんだね」という批判をかわす必要はあるの?その批判をすることで何をしたいのかがよくわからないかな。
2011-06-28 16:52:59「正当化」の語は悪い意味で使っているわけではありません。なにしろ「正当」化するわけですから。「正当化」できれば「正当」になります。ただどうすれば「正当化」できるか、で、他の「学問」より、怪しげな「人間的」要素が沢山はいってきそうな印象があるので説得の学などと言われるのでしょう。
2011-06-28 16:55:20RT @HASSANKONAKATA: イスラーム法学は一義的には聖典の解釈学ですが、 人定法の実証法学は主観的な価値観に共同主観的な装いを与える、説得、というよりは正当化の学問かと思います。→ @Kevtaro: @t_done @igaki ハッサン先生は「法学とは説得の学問である」という説についてどのようにお考え
2011-06-28 16:57:18そうしてみると「法学は説得の学問であり、これは必要なのだ」ということも法学は自己弁護せねばならないのかも知れない。これは基礎法学や哲学の問題になるのかな。
2011-06-28 17:17:50思ったことは、法学というのは利益衡量の学問ではないだろうかということ。既に目標である正当かつ過不足ない利益衡量(此処で言う利益は正義とかそういう類のものを含む)を如何なる原理をして導きだすか、というのが法学における究極の問いではなかろうか。
2011-06-28 17:44:48