「蝦夷(エミシ)」とは?

ノートです。
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【その1】

熊猫さん🐼🐷🐶🐻🐮 @xiongmao53

古代東北の蝦夷であるが、工藤雅樹の言うような《日本民族(和人)とアイヌ民族成立の谷間にあって、北海道縄文人の子孫とともに、アイヌの一員になる可能性も十分にあったのであるが(中略)最後に日本民族の一員になった人たち》というよりも、アイヌと和人の中間にあっても、➡

2019-08-12 19:16:32

※上の工藤雅樹の見解は、『蝦夷の古代史』(吉川弘文館 2019)に見られる。

熊猫さん🐼🐷🐶🐻🐮 @xiongmao53

【エミシ文化と呼ばれる独自の地域色豊かな文化を成立させ】(『いま学ぶアイヌ民族の歴史』2018) た、アイヌでも和人でもない独自の「エミシ民族」と考えた方が良いかもしれない。

2019-08-12 19:22:01
熊猫さん🐼🐷🐶🐻🐮 @xiongmao53

【蝦夷文化の形成過程とその特徴】 「気候が寒冷化する三〜四世紀ごろに、北海道から東北北部に渡ってきた続縄文人たちこそが、のちの古代蝦夷の中核を形づくった人びとであった。」「彼らは、新天地で生活を始めるとすぐさま、盛んに南の倭人文化を取り入れ、自らの生活文化をたえず変革していった」

2019-08-13 11:02:34
熊猫さん🐼🐷🐶🐻🐮 @xiongmao53

「生業や精神文化など、生活文化の中核となるものは続縄文文化を保持しながらも、物質文化の一部に南からの外来文化を取り入れたというのが、成立期の蝦夷文化であったといえよう」。倭人文化の影響として部分的に稲作を取り入れ、馬飼も急速に蝦夷の生業として根付いていった。

2019-08-13 11:14:47
熊猫さん🐼🐷🐶🐻🐮 @xiongmao53

以上、熊谷公男『蝦夷の地と古代国家』(2004)から引用したが、彼に拠れば「蝦夷」とは3〜4世紀頃に北海道から東北に南下した続縄文人(アイヌの先祖)が南からの倭人文化の物資的影響を受けて形成したものである。土師器などの土器やカマド付きの竪穴住居、稲作や馬飼などを取り入れながら、➡

2019-08-13 13:44:57
熊猫さん🐼🐷🐶🐻🐮 @xiongmao53

続縄文文化の伝統を喪失せず、伝統的な生業である狩猟や墓制(精神生活)、言語など生活文化の本質的な部分は平安初期まで独自性を保っていたと見る。言語も倭人の言語とは違う「夷語」=おそらくは後のアイヌ語と同系統の言語を使用していた。

2019-08-13 13:50:33
熊猫さん🐼🐷🐶🐻🐮 @xiongmao53

つまるところ、蝦夷とはアイヌの先祖筋に当たる縄文人が倭人文化を取り入れて形成した、「日本民族=和人」(倭人)とも「アイヌ民族」(続縄文〜擦文も含む)とも違う独自の民族と考えるべきだろう。確かに馬飼などの文化はアイヌにはなかったし、稲作を一部取り入れたからと言って倭人とは言えない。

2019-08-13 13:54:44
熊猫さん🐼🐷🐶🐻🐮 @xiongmao53

後、「和人(大和民族)」にしたって、やはり蝦夷や熊襲・隼人などの古代民族を同化して初めて形成されたと見るべきで、それ以前の集団は「倭人」と呼ぶべきかもしれない。

2019-08-13 13:57:03
いま学ぶ アイヌ民族の歴史

加藤博文,若園雄志郎

【その2 アイヌの神観念はヤマト起源ということについて】

熊猫さん🐼🐷🐶🐻🐮 @xiongmao53

「カムイ(神)」に代表されるようなアイヌの神観念や宗教儀礼は《古代日本の宗教儀礼が入ってきたのではないか》というのは、アイヌ文化研究者の共通認識であると言うが、つまりこのような《神観念》は決して《縄文》に遡るようなものではなく、それをアイヌに伝えたのは7C後半から9cにかけて➡

2019-09-16 15:35:28
熊猫さん🐼🐷🐶🐻🐮 @xiongmao53

東北から石狩地方に移住した蝦夷と呼ばれる集団ではなかったかという。※瀬川拓郎『アイヌ学入門』。 擦文文化もこのような本州からの蝦夷文化の影響によって成立したものであるが、瀬川は蝦夷は《ヤマトから見て異民族ではなく、古代日本文化を担い、古代日本語を話していた人々》とするが、➡

2019-09-16 15:38:37
熊猫さん🐼🐷🐶🐻🐮 @xiongmao53

アイヌが神観念に関する語彙や文化を受容しながらも、アイヌ語を捨てず、基本、アイヌ文化を保持したことを考えれば、蝦夷もまたヤマトから神観念に関する語彙や宗教儀礼、農耕などの文化を受容しながらも、「日本」(ヤマト)とは別民族であったことは十分考えられるだろう。

2019-09-16 15:42:31
熊猫さん🐼🐷🐶🐻🐮 @xiongmao53

勿論、かといって蝦夷がアイヌであったというわけでもなく、寒冷期に東北に南下した続縄文文化人が古墳文化の影響を受けて成立させた独自の文化であったと考えるべきだろう。

2019-09-16 15:44:20
熊猫さん🐼🐷🐶🐻🐮 @xiongmao53

《カムイ(神)》などを根拠に大和語(日本語)とアイヌ語との関係、しいては大和語の起源を縄文時代に遡らせようとする向きあるが、弥生以降、本州以南の列島の住民が大陸系渡来民に置き換わったことを考えると、大和語の起源自体が縄文語に遡る可能性はまずないだろう。

2019-09-23 08:10:28

【その3】

熊猫さん🐼🐷🐶🐻🐮 @xiongmao53

前アイヌ文化たる擦文文化は、北海道の続縄文文化が北東北から「移住」してきたエミシ文化の影響を受けて転化したものという説が現在では有力であろう。一方、エミシに関しては「日本人」説・「アイヌ」説があり、北海道から南下した続縄文文化が古墳文化の影響を受けて成立したものという説もある。

2020-02-16 10:56:08
熊猫さん🐼🐷🐶🐻🐮 @xiongmao53

そうだとすると、7〜9世紀のエミシの北海道への「移住」にしろ、前アイヌ系集団の北海道への「里帰り」だった可能性も出てくる。おそらくは大和勢力の圧力を受けての。

2020-02-16 10:58:10
熊猫さん🐼🐷🐶🐻🐮 @xiongmao53

斎藤成也は現代東北人にアイヌの遺伝子が殆ど伝わっていないことから、《現代東北人はエミシの子孫であり、エミシはアイヌ人の祖先集団が東北から北海道に移ったあとにひろがった》と主張しているが、そもそも現代東北人がエミシの子孫というのが違うのではないか?

2020-02-19 23:24:15
熊猫さん🐼🐷🐶🐻🐮 @xiongmao53

というのも、ヤマト政権による征服後、エミシは多く「内地」に強制移住させられる一方、「内地」からの入植があったと思うのだが。現代東北人はその入植者の子孫では?

2020-02-19 23:26:59
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