エヴェンキも2007年までは自治管区を持っていた(ru.m.wikipedia.org/wiki/Эвенкийск…)。住民投票の結果を受けて廃止ということになっているがこれはロシアのいつものやり方で、大戦中にはほぼロシア人と拮抗していた人口が最終的には21.5%まで減ったというので、とても対抗できる状態ではなかったろう。 pic.twitter.com/bMlsVQEaQw
2020-05-17 08:01:24エヴェンキと同時にタイミル自治管区(ru.m.wikipedia.org/wiki/Таймырски…)も廃止・併合されている。ドルガン、ネネツ、エネツ、ンガナサン、エヴェンキら先住民を合計しても過半数を〆るロシア人に対抗し得なかった。これはソビエト時代の話ではない。 pic.twitter.com/1WtH7oDwNC
2020-05-17 09:46:212自治管区の併合により3倍(国内第2)の面積となったクラスノヤルスク地方は、莫大な天然資源を背負う構成主体として再編成された。圧倒的な増産力の前に最大でも0.2%の人口比しか持たない先住民たちがいったい何をできたか(ru.m.wikipedia.org/wiki/Красноярс…)。 pic.twitter.com/JfimczUako
2020-05-17 09:57:53ここに、ロシアとエヴェンキ(など)双方の立場からの正当性があることを見ておく。ロシアはさほど悪気があってやっているわけではなく、農業と鉱工業の発展は先住民のためにもなると考えている節がある。根拠はたぶん正教が持つ普遍思想だ。ロシア文化の枠内に留まる限り、先住民も同胞なわけだ。
2020-05-17 10:04:55もちろんこれは宗主国(資本主義社会主義の別を問わず)のありきたりの支配原理ではあるが、帝政・ソ連・現在とまったく異なる体制の政権に移行しても辺境に対する基本政策が少しもぶれないことは、たんなる帝国主義だけでは説明し切れない現象ではないかと思っている。
2020-05-17 10:09:47いっぽう北方の狩猟採集民は、再生効率の貧弱な植生に依存して生きるため、ひとり当たりの生存に必要な面積が桁違いに大きい。アムール河口からカムチャツカにかけてのアイヌ総数10万人などは取り立てて人口稀薄な例ではない。チュクチ人は日本の倍の面積に2万人足らずでも、自治管区を保持している。 pic.twitter.com/Uz5Q0nvcOB
2020-05-17 10:26:57ならば共生の要点は、先住民の生存(生業)と信仰は固く結びついており、そのことは実はロシア人のそれと同じであることをマジョリティが理解する、という一点だろう。かつてカムチャツカで「トナカイコルホーズ」という試みがあった。そういう増産ならば可能であるとコリャークたちが言っていた。
2020-05-17 10:43:24各居住国によって民族なるものの定義が異なるため現在エヴェンキの総人口はたいへん数えにくいが、一説によれば6-7万人で、ごく少数のモンゴル在住者(1000人単位)を除けばほぼ露中に半々ずつ住んでいるという。内モンゴル・フルンボイル市の隣にある旗が世界唯一の自治区。 pic.twitter.com/FRKOLKm4ez
2020-05-17 11:24:042010年のロシア国勢調査によると、国内在住のエヴェンキは合計で37138人、うちアムール州在住者は1448名と一応なっている。
2020-05-18 06:43:5612日目(5/20土)。45km歩いてオゴロンогоронという250人ほどの村へ。スーパーとカフェとガソリンスタンドがある(実際にはないという証言もあるshoorik-spb.narod.ru/BAM_10_3.htm)。3日続けて歩きすぎたので少し休む。2017年にクマの襲撃を受けたことがあるそう。 pic.twitter.com/dmmbYETefJ
2020-05-18 07:54:08オゴロンはエヴェンキ語で「小さな鹿」ないし「鹿が棄てられた所」の意だそう。数km西にアムール州最大の天然湖があるため新規移住者も漁撈と狩猟で何とか生きられ、1936年の記録では住民80人の内訳は先住民34移住者46の割だった由(nasledie-sela.ru/places/AMU/734…)。 pic.twitter.com/yoDOxBx4YN
2020-05-18 08:25:5813日目(5/21日)。休養のため25kmほどと短かめに歩いてモルダフスキーмолдавскийという列車待合駅まで。盆地のへりに向かって緩やかに登っている路程。この地の情報は見つからない。 pic.twitter.com/e1DfIXtf3a
2020-05-18 14:01:17なぜここでモルドヴァが出てくるか。どうやらバムのこの辺の区間の建設にモルダヴィア共和国(当時)のコムソモールが参加しているらしく、その顕彰のためのよう。少しあとに通るアロンカという村と駅の建設をめぐる回想記事があった(m.ru.sputnik.md/society/201907…)。 pic.twitter.com/bw7CsYCMZo
2020-05-18 14:17:43それにしても、こういう土地での鉄道と自動車の住み分けについては何度も考えてしまう。鉄道は安定したライフラインではあるがまったく小回りが利かないので、最低でもRV車(それもキャブレターとマフラーを屋根の上に飛び出させての)が必要な路面状況でもなお、住民はクルマが欲しいだろう。 pic.twitter.com/UKb47fGKri
2020-05-18 15:22:49シコタンで日本製20万km走行の中古RVを50万円で買って、初めて手に入れたマイカーだ、これで釣りに行くんだとほくほくしている人の記事を読んだ。その気持ちと流通の様子はよく分かる。トラバントの値段でランドクルーザーが買える時代になったのだ。 pic.twitter.com/RpWWhoWV0I
2020-05-18 15:33:0214日目(5/22月)。42km歩いてトゥンガラтунгала(ru.m.wikipedia.org/wiki/Тунгала_(…)という500人ほどの村まで。分水界を越し、ゼヤ盆地を抜けた。ここから例えば州都ブラゴヴェシチェンスクまでならばずっと道は下りである。トゥンガはエヴェンキ語で帯のことだそう。トゥンガラ川の様子のことか。 pic.twitter.com/9aBPXIkzVb
2020-05-18 16:00:46トゥンガラについては過去何度か検索したことがあって、演劇的見地から「この村はなかなかやるぞ」と思っていた。開村25周年(2011)イベントの動画がある(youtu.be/QW-vHOw7K8s)。とても瑞々しい。 pic.twitter.com/ZA5mbxTUmw
2020-05-18 17:45:006年後の2017年。メンバーは入れ替わっているがおそらくトゥンガラの同じチームによる新年会のステージ(youtu.be/0BQ9bkLtkto)。都市部の商業化された演劇もさすがのロシアで相当にハイレヴェルではあるのだが、芸の本質とは、こういう素人芝居が醸し出す多幸感にあるのだと思う。良いものを見た。
2020-05-19 07:42:01旅情で語ることが許されるならば、昨年の8月上旬にタイシェトでシベリア鉄道本線を離れバム奥地へと踏み迷って以来、2500kmも歩いたろうか、ゼヤ盆地からこのトゥンガラへ抜けてやっと「平地の文化」に戻って来た気分である。 pic.twitter.com/UIThQDaOTE
2020-05-19 07:58:57バイカル湖の南をかすめるルートをたどれば、タイシェトからトゥンガラまでほぼ3000kmとやや路程は延びるものの、おおむねハイウェイに沿う比較的安全な旅になった。だがその安全さこそが南路に足が向かなくなった大きな理由なので、これはもう私が旅に求めるものの質の問題としか言いようがない。 pic.twitter.com/uwoLG4vEqb
2020-05-19 09:05:23結果として失ったもので大きいのは、ウラン・ウデあたりのブリヤート文化中心地を見損なったこと。しかしこれはバイカル北西のローカル・ブリヤート地域を歩いたことで補完できたと思う。得たもので大きいのはエヴェンキへの思いと知見。モンゴルかツングースかならばやはり身近な後者を選んでしまう。
2020-05-19 09:48:38モンゴルの銀とツングースの金。かつて司馬遼太郎は「韓のくに紀行」でごく単純に両者を対比させている。現在となっては修整されるべき点も多かろうが、新羅金王朝がツングースの後裔を以て任じている以上、交雑度でいえば我々もまた彼らの親戚である。いっぽうモンゴルとの関係は薄い。 pic.twitter.com/5dRnFbwtKh
2020-05-19 10:03:4815日目(5/23火)。45km歩いてドゥクダдугда(ru.m.wikipedia.org/wiki/Дугд)という700人ほどの村まで。なぜか街道と市域がアクセスしておらず間の川に橋もないので、かなり手前から線路の方に逸れねばならない、注意。 pic.twitter.com/BXeDVzrXFB
2020-05-21 04:45:21дугдаの街頭で歌う少女チーム(youtu.be/NoIOtiqOutk)。開村35周年記念イベントとある。 pic.twitter.com/ruZ4g1KZpl
2020-05-21 04:55:23