WAC・深田萌絵事件サマリー(2) - JSF事件・IRS事件・パナソニック軍事レーダー技術流出疑惑騒動

元株アイドルでYoutuberの深田萌絵氏がWiLLや自著などで「巻き込まれた」と語っている事件について情報を整理しました。
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4-4. 后健慈氏の行方

深田氏によると、后健慈氏は台湾のマフィアや中国のスパイにF-35に関連する技術を狙われ、馬英九総統に無実の罪で投獄され、獄中で暗殺されそうになったところを当時立法院長だった王金平氏に救い出され、FBIの保護を受けて米国に亡命し、そのまま姿を消したそうだが、前項で取り上げた新新聞の記事にそういった経緯は一切書かれていない。

記事には「后健慈最後落得遠走美國,祇能尋求美國官方保護」(后健慈氏は最終的に遠く米国まで行く羽目になり、米国政府側に保護を求めるしかなかった)とあるが、米国から反訴を起こしたことを伝える記事であるから、この「保護」は「生命の保護」ではなく差し押さえが進んでいる「資産の保護」を意味しているものと捉えるのが自然だろう。

実際、后健慈氏はその後も2007年に米国で「Teklium Inc.」、「Revatron Inc.」の2社を設立し、同年さらに中国江蘇省の「高層次創業創新人才引進計画」(高度創業イノベーション人材招致計画)の交渉中リストにも后健慈氏の名前を確認できる。2008年には日本でRevatron株式会社設立のためのプレマーケティングを始めるなど、途切れること無く精力的に企業活動を展開しているように見える。

ただし、前項で提示した1999年の虚偽登記事件の判決文によると、台湾では2005年8月から指名手配され、最後まで出頭することなく2016年2月に時効を迎えたようであるから、「台湾から姿を消した」という言い方であれば齟齬は少ないのかもしれない。深田氏の発言の真意は定かではない。

なお、行橋市議会議員の小坪慎也氏はかつて深田氏が連れてきた「F-35の技術者」にヒアリングを行い、「マジでFBIの保護プログラムを受けていた」という感想を持ったという。深田氏らから「日本の警察や公安を出し抜く形での身柄の保護、台湾側との折衝、中国に内通した者の調査・告発」などのオファーを受け、それをやり遂げた、というようなことを小坪氏はブログに書いている

まとめ JSF事件の虚像と実像 - 深田萌絵氏の発言に対する疑念 深田萌絵氏がブログやSNSなどで語っているJSF事件のうち、台湾で発生したとされるいくつかの事象について、これまでに挙がっている疑念を整理しました。 35406 pv 76 2 users 49

5. ファーウェイ工作被害疑惑事件(2)

秘密結社に狙われて米国に「亡命」したという后健慈氏と深田氏はどのように出会い、どういった経緯からRevatronを設立するに至ったのだろうか。本節ではRevatron株式会社の成り立ちを概観し、前回のサマリーで取り上げていなかったもう1つのファーウェイ工作被害疑惑事件について整理することにする。


5-1. 日本Revatron株式会社

2010年4月、后健慈氏は日本Revatron株式会社を設立する。社名から2007年に米国で設立したRevatron Inc.の日本法人のような印象を受けるが、Revatron Inc.は設立から約1年で解散している。当時どこか別の国でも「Revatron」を経営していたのか、単に所在地として「日本」を付けただけなのかは定かではないが、2011年1月には「Revatron株式会社」に商号変更されている

(なお、前回のサマリーでも少し触れたが、2020年8月現在までに法人番号の異なる「Revatron」が少なくとも4つ設立されている。2010年4月に日本で設立されたこの「Revatron」はこれまでに確認されている日本の「Revatron」のなかで最も早い時期に設立されたもので、本稿では便宜上「初代」と呼ぶことにする)

2011年6月8日、次の3つの出来事が起きている。

1.「Revatron株式会社」から「Revatech株式会社」へ商号変更
2.「Revatech株式会社」の解散
3.「Revatron株式会社」(「2代目」と呼ぶ)の設立

2代目Revatronでは后健慈氏と深田氏の共同代表制となったようだが、初代Revatronを解散させるに至った理由は定かではない。

2代目Revatronの公式HPの会社沿革にも初代Revatronの設立と解散についての記述は無く、「2008年にプレマーケティングを始め、2011年6月にRevatron株式会社を創立した」というような書かれ方になっている。「日本Revatron株式会社」時代にあたる2010年11月の実績が1件記されているが、代替わりの事情を知らなければ2代目Revatronのプレマーケティング期間中の実績に見えるだろう。

一方、深田氏は2012年4月に自身のブログで「日本レバトロン株式会社とレバトロン株式会社は別法人です」と注意喚起のようなことを行っている。どういった状況から「別法人です」という説明が必要になったのかは定かではないが、前述のように「日本Revatron株式会社」は解散直前までは「Revatron株式会社」として活動しており、その言い回しには語弊があるように思う。

概して言うと「2011年6月8日に后健慈氏と深田氏が共同代表を務めるRevatron株式会社が創立するまで、Revatron株式会社は存在しなかった。日本Revatron株式会社という企業が存在していたが、弊社とは無関係だ。ただし、その企業の実績は弊社のものだ」と言っているように見える。


5-2. Revatron株式会社の設立エピソード

2代目Revatronの設立について、共同代表に就任した深田氏はどのような発言をしているのだろうか。

以下に日本政策投資銀行主催「第1回DBJ女性新ビジネスプランコンペティション」の応募プロフィール、「Revatron(レバトロン)浅田麻衣子」ブログ、「深田萌絵本人公式ノンポリ★ブログ」の記事、経営者のマッチングプラットフォーム「ONLY STORY」および「自動運転ラボ」のインタビュー記事の要約を古いものから順に並べる。

【2012年2-3月/DBJコンペティション】
「バークレイズ・キャピタル証券を経て独立、中小企業の資本提携や民事再生のサポートを行う。2010年、NASAに技術提供をしていたジェイソン・ホーと出会い、日本の赤字企業に資金と技術とパテントポートフォリオを注入し、事業再生を行う提案を受ける。震災後、日本経済立て直しを目指し、レバトロン株式会社の代表となる」
[URL]

【2013年12月/浅田麻衣子ブログ】
「隣に引っ越して来たアメリカ人と突然起業したのが2年前です。直感的にこれは儲かると思って、ジェイソンと組むことにしました」
[URL]

【2014年3月/深田萌絵ブログ】
「3年前からシリコンバレーから引っ越してきた米国人と半導体設計会社を立ち上げました。立ち上げた理由は、その頃は日本ってリーマンショック後で色んな企業が倒産したり倒産寸前だったりして、再生の現場にいたんです。/
そういうジレンマを抱えて仕事をしていましたが、このシリコンバレーから来た技術者と特許弁護士に出会って、技術と特許で日本を再生できるかもしれないなと淡い期待に夢をかけて挑戦してみました」
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【2015年11月/深田萌絵ブログ】
「原発事故が多くの人の運命を変えたし、私の運命も変えたのだと思う。/彼が米軍向けに耐放射線チップを設計していたこと、動画をリアルタイムで無線伝送する技術を持っていることを思い出した。/それで、マイケルに連絡した。知り合ってから、半年ほど経ってのことだ。
最初、マイケルに一緒に会社やろうと誘って断られた。当時は国内中堅商社とマイケルはジョイントベンチャーを経営してたからだ。でも、粘った。給料無しで仕事した。/数ヶ月して、マイケルはようやく私と会社を一緒に始めることにした」
[URL]

【2018年4月/ONLY STORY】
東日本大震災による原発事故をきっかけに耐放射線設計による遠隔操作ソリューションやカメラソリューションを作ろうと考え、Revatronを起業した。元々は「コンピュータに詳しい人」を社長に据え、エンジニアを米国から招き、自身は財務に入るという形を考えていたが、社長になる予定だった人物が設立当日に逃げ出したため、自ら社長に就任した。
[URL]

【2018年10月/自動運転ラボ】
金融機関でコンサルなどをしていた頃にインテルの元社長から「Revatron株式会社の前身」のメンバーだった后健慈氏を紹介された。事業が上手く立ち上がらないと相談を受けたが、コンピュータに詳しくなかったので断った。
リーマンショックで金融機関を離職したあと、ファイナンシャル・アドバイザーとして企業再生のプランニングを手掛けていたところ、東日本大震災が発生し、后健慈氏の耐放射線チップ設計技術を思い出した。研究開発に資金が付いていなかった覚えがあり、「このままでは原子炉付近で作業するカメラやロボットの投入が頓挫するかもしれない」と考え、Revatronを引き継いだ。
[URL]

色々と気になる点があるが、4点だけ挙げておく。

(1)これらの発言を見ても初代Revatronを解散するに至った理由がさっぱり分からない。深田氏は后健慈氏から「日本の中小企業を再生させる提案」と「事業が上手く立ち上がらないという相談」を受け、Revatronを引き継ぎ、起業することにしたそうだが、商社とのジョイントベンチャーだったという初代Revatronに深田氏が財務なりコンサルタントとして加わる形でも良かったのではないだろうか。

(2)后健慈氏と出会った時期について、2015年の深田萌絵ブログによると、原発事故の発生後に連絡をしたのが知り合ってから半年後のことであるらしい。2011年3月に連絡したと仮定すると2010年9月頃に知り合ったことになる。DBJコンペティションのプロフィールでも2010年に出会ったと書かれており、一致している。

一方、自動運転ラボのインタビューでは「金融機関でコンサルなどをしていた頃」と語っている。深田氏は2009年11月頃にはバークレイズを退社している。退社後はファイナンシャル・プランナーとして独立したそうであるし、ブログを見ても2010年2月に「某企業監査役に就任」、10月には電子機器メーカーの経営に携わっていると思しき発言があり、2010年9月頃に金融機関に在籍していた様子はうかがえない。

(3)深田氏宅の隣に引っ越してきた后健慈氏を紹介したというインテルの元社長については名前が明かされていないが、元インテル社長の傳田信行氏が2010年6月に日本Revatron株式会社の顧問に就任していたことが傳田アソシエイツの公式サイトから分かる。実績紹介によると「経営指導」を行っていたようだが、ある時期を境に実績紹介から日本Revatron株式会社の名前が消えている。

(4)元々は「日本経済立て直しのため」という抽象的な話だったのが、2015年頃から「耐放射線技術で廃炉事業を後押しするため」とかなり具体性を帯びたものになった印象を受ける。筆者が確認していないだけで実際には設立当初から廃炉事業が最たる動機だったのかもしれないので、これを「変化」として見ることはしないが、深田氏が日本経済立て直しの望みをかけた后健慈氏の耐放射線技術とはいったいどのようなものなのだろうか。


5-3. Revatronの耐放射線技術

2012年2月頃、Revatron株式会社は経済産業省の廃炉事業技術カタログ(除染関連・一次公募)に応募している。

タイトルは「宇宙、飛行、高線量下の環境でも動作する耐破壊性再設定可能コンピュータチップ、及び高解像度映像圧縮・解凍チップ」で、実績の欄には「Joint Strike Fighter(統合攻撃戦闘機)に使用するフライトコントロールコンピューターと、グラフィック/ディスプレイコンピューターエンジンのリアルチップを、技術要求・仕様を全てクリアした上で開発」とある。

后健慈氏とJSF計画の関わりは「CPU周辺チップセットを提供する予定だった」という程度のはずだが、技術カタログでは「破壊されても自動的に 1 秒以内で再構築され、全体の 30%程度までが破壊されても放射線によって穴を開けられても動作可能(ダイのみ)で、さらには画質 8k8k の映像をエンコードすることまで可能」なチップを開発していたかのように書かれている。

后健慈氏がこのSF映画のような技術を米国からどのように持ち出したのか、どうして2000年代にそのような技術を開発していながらその業績が全く知られていないのか、どうして研究開発の資金がついていなかったのか、といったことは定かではないが、本当にRevatronがそのような技術を保有しているのであれば、確かに廃炉事業にとって大きな弾みとなることが期待される。

ところが、深田氏によるとその技術は日本で「中国人」に盗まれてしまったという。2004年に米国で開発した技術をどのように日本で盗まれたのだろうか。知財的な影響が出ていないのであれば廃炉事業への提供にはさほど支障がないのではないだろうか。それともこのような技術がすでに日本を含む世界各国で特許登録されているということなのだろうか。疑念は募るばかりである。

まとめ 深田萌絵(浅田麻衣子)さんが、どうして会社を設立したのか調べてみた。 深田萌絵(浅田麻衣子)さんが、東日本大震災がきっかけで廃炉事業に関わる為に会社を設立したようなことを言っているので、廃炉事業に関わっているのか調べてみた結果と、本当に設立理由は何か調べた結果をまとめました! 8865 pv 60 17

5-4. 耐放射線技術詐取被害疑惑事件
深田萌絵 Moe Fukada @Fukadamoe

ホントは福島の為に耐放射線技術を持ってきた。それを中国人に盗まれた。なのに、国は知らんぷり。 twitter.com/sanku6260/stat…

2016-02-22 11:00:51
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