一部のアスペの人が、芸術作品等の緻密な模倣(模写)に長けるのは、彼らにとっては本物と見紛うレベルの模倣でなければ模倣としての意味を為さないからじゃないかね?少しでも違いがあると「類似物」という認識が十分に働かず、「似せて描いた」という満足感が得られないのではなかろうか。
2011-07-08 05:32:38逆に「正常な」人間は自分なりに元の作品の「本質」を抽出し、微妙に違う模写でも「似せて描いた」という満足感が得られるのではないかと。結果的に模写としてのレベルは低くなる場合が多いけども。
2011-07-08 05:35:06仕事にしても、アスペ的傾向のある人は、範として示された仕事を忠実に再現しようとする傾向があるような。もちろん、忠実に再現できるのならそれでも構わないけど、大きな労力を必要とするので疲弊するし、忠実な再現が不可能だと感じたら仕事の遂行自体を放棄してしまう。
2011-07-08 05:38:29まぁ自閉傾向が強い場合にはどうにもならんかもしれんけど、アスペとかアスペ的傾向がある、程度の場合には、メタな認知によって「物事の本質は何か?」とか「最低限必要なことは何か?」と自問することによって、多少は状況がマシになるのかも。
2011-07-08 05:42:19アスペ的な子供に「社会の常識」を無理やり教え込むと、彼らはそれを「絶対に遵守すべきルール」として捉え、逸脱した人間を強く非難する傾向があるような。また彼ら自身そのルールに縛られて、満足にやりたいことができなくなる場合も。
2011-07-08 05:50:44だからもし本人が気付いてない世の中のルールを教えようとするなら、最低限必要なもの、本質的なものに限定する方が好ましいのだと思う。
2011-07-08 05:54:04よくマンガなんかで、ルールの遵守に拘る人間が悪役になり、ルールの本質を見極めて逸脱する人間が英雄として描かれるものがあるけど、生来物事の細部に囚われない「健康な」思考の持ち主が、標準的個体であるがゆえの行動の妥当性を根拠にマイノリティをいたぶっていると解釈できないこともない。
2011-07-08 06:03:47まぁ「試行錯誤してようやく物事の本質に気付いた」とか「逆境に追い込まれて本質に気付いた」みたく、経験によって理解したという演出をする場合が多いけども。しかしそういうことに気付くかどうかは、実際には経験よりも先天的な要因に強く依存するような。
2011-07-08 06:07:21しかし「本質を見極めて言語化する」のは、フツーの人とアスペ的な人のどちらが得意なんだろう?フツーの人はすぐに本質に気付くんだろうけど、直感的に理解できる分、言語化するには骨が折れるかも。アスペ的な人の場合、気付くまでに時間がかかるが、理解した場合には明確な概念が形成されてそう。
2011-07-08 06:26:27フツーの人がアスペ的な人を育てる場合の難しさはそこら辺にあるのかも。よりマイルドなケースだけど、母親が息子を育てる際の難しさもそれに近い気が。
2011-07-08 06:28:09自分の頭で動ける現場力が重要といいますが、現場ほど因習踏襲で「不健康」ということはよく観察される話です。RT@jotun82 よくマンガなんかで、ルールの遵守に拘る人間が悪役になり、ルールの本質を見極めて逸脱する人間が英雄として描かれるものがあるけど、生来物事の細部に囚われない
2011-07-08 06:08:18なるほど…閉鎖的な上下関係があると細部に拘る傾向が強くなるのかも。あるいは末端の業務しか知らないと本質的な意味を理解できず忠実な再現に拘る? RT @kamiyamanabu 自分の頭で動ける現場力が重要といいますが、現場ほど因習踏襲で「不健康」ということはよく観察される話です。
2011-07-08 06:13:34ニーチェの言う蛭の脳髄の研究者メタファーがありますね。RT@jotun82 なるほど…閉鎖的な上下関係があると細部に拘る傾向が強くなるのかも。あるいは末端の業務しか知らないと本質的な意味を理解できず忠実な再現に拘る? RT @kamiyamanabu 自分の頭で動ける現場力が重要
2011-07-08 06:23:56しかし自閉症の一側面が「類比判断の厳しさ(細部への拘り)」だとしたら、逆のパターン(類比判断の甘さ≒細部の無視)で社会生活が困難になるケースってないのかね?他者への関心が維持されれば一定の社会性は保たれるだろうけど…誇大妄想とか虚言癖がその類かね?それとも単なるおっちょこちょい?
2011-07-08 16:27:49仏教や禅の究極的な境地はそこ(一如)ですね。「山川草木悉皆成仏」とか。本当にそうなったら確かに生活が… RT @jotun82: …自閉症の一側面が「類比判断の厳しさ(細部への拘り)」だとしたら、逆のパターン(類比判断の甘さ≒細部の無視)で社会生活が困難になるケースってない…?
2011-07-08 16:35:20社会的判断の不適切さ(親しくない人にもやたらフランク)など?ある細部への拘りは他の細部の無視でもあって、そういう細部-全体の注意のコントロールの難しさが問題のような。 QT @jotun82: 逆のパターン(類比判断の甘さ≒細部の無視)で社会生活が困難になるケースってないのかね?
2011-07-08 16:47:40.@cocorosh なるほど。そういう意味ではやはり拘りが強すぎる方が問題を起こすケースは多そうですね… >ある細部への拘りは他の細部の無視でもあって、そういう細部-全体の注意のコントロールの難しさが問題のような。
2011-07-08 16:56:07.@jotun82 拾うべき情報(注意を向けている情報)が不適切なので適用されるフレームが不適切、という一種のフレーム問題のような気がします。経験で拾うべき情報が分かっていて、それに対応したフレームが選べている人は比較的対人場面でのトラブルは回避できている感じです。
2011-07-08 17:04:00これは統合失調、というか古い言い方だけど分裂傾向という人に当てはまりますな RT @myonmyon_6505 @jotun82 類否判断が上手過ぎる人(自閉の逆)を知ってますが、一般には一致とするものを、本質的な差異から違うものと言い、一般に違うとされる物を、本質的な一致
2011-07-08 17:45:28類否判断って法律用語かなんか?フツーに「るいひ」と入力すると「類比」しか出ないのよね。どちらかと言うと前者の方が私の言いたい事に近いのだけど。
2011-07-08 16:51:12