【古写真解析中】 基準点3点の比率から、撮影地点は天守から75メートル68センチ地点と推定。 あとは写真の点と結んで平面上に対照させていくと、軒の出が何尺ときりのいい数字を弾き出していってとても気持ちがいい。 pic.twitter.com/s96o7zDoqi
2020-07-18 11:33:07ざっとですが、福知山城古写真の観察を簡単なレポートにまとめて公開しました。 まだ暫定的なものであり、自分でも疑念を持っている箇所があることを書き添えておきます。 不鮮明なため、脳内補正している部分もあり、冷静になってからさらに観察を進めます。 joukakumokei.net/zumen.html
2020-07-14 13:47:05@Toshirou_m かなり曲線を多用して線が細い印象です。 付櫓部分に縋破風状の庇があるようです。これは現在付櫓部分に段差が出来ているのですが、これは反対側の張り出し部に鈍角があり、ここで軒が切れ上がったり、不整形平面の辻褄あわせ部だと思うのですが、段差を付けずに処理していたようです。 pic.twitter.com/9HkoK21DRV
2020-07-12 17:08:49最上階の中心軸と大入母屋の中心軸がわずかにズレているように見えるのは、広島城の大入母屋の中心軸がなぜズレるのかが分かれば理解できる。 これは全体の構造を紐解く一つの大きな鍵となるであろう。 pic.twitter.com/T149qUT9k6
2020-07-12 10:50:21叩き台の図面が完成しました。 平面の歪みと建物の振れは反映してません。 あとは模型化して屋根の納まりが古写真から読み取った設計構想通りか確認して再図面化すれば復元図面に近づきます。 古写真から読み取れる情報は文章にしておこうと思います。 pic.twitter.com/m0X5ZYHcjD
2020-07-12 16:30:38改めて現物をもとに解析中。 こうやって新しい事実があとから出てくると、答え合わせをされるのが酷ですが、古写真無しでよくあそこまでできたと、藤岡博士の仕事に感動を覚えます。 【福知山城天守古写真発見】 pic.twitter.com/nV1rukBVRD
2020-07-11 15:31:28@794uguisu0 はっきり調べていませんが明治6年〜8年頃の解体だと思います。 明治初年まであったのに古写真がないのが珍しい城でした。
2020-07-11 22:44:17@hummer5656 @nihonjokaku46 基本構成はそのままですが、全体の印象と細部がやはり違います。
2020-07-11 22:47:49@244Hf 来歴は専門外なのでそちらに興味のある方にお任せしたいです。そのうち裏面の画像も公開できたらと思います。
2020-07-11 22:49:56@Toshirou_m こういうのは内部構造や部屋割りを考えたり石垣の歪みが屋根にどう出ているかとか、人の目でやった方がいい点も多いと感じていますが、難点は人間の目は脳が補正してしまうことですね。見たいものを見てしまう。そこを排除するのはある意味テクニックかもしれません。
2020-07-11 22:52:09@pupunga3 こちらからお知らせするつもりです!すでにお城には電話しましたが市役所案件なので土日がお休みなのです。
2020-07-11 22:53:00@794uguisu0 詳細な平面古図が残っていまして、それがあったからこそ写真無しでもかなり近い形状に迫れているのだと実感しました。今の天守は藤岡通夫作品として、昭和建築の名作となると思います。
2020-07-11 23:07:48@794uguisu0 もうすでに動き始めています。ただ、土日なので、市への連絡は月曜日になります。報道へも伝えていますが、裏どりが取れてからになります。 最終的にはしかるべきところへと思っており、求めに応じて画像データも提供しますが、大枚をはたいていますので暫くは手元に置いておきます。
2020-07-11 23:10:25大ニュース! 【衝撃の古写真を入手】 なんと!! 福知山城天守の古写真を入手しました。 天守の古写真は今まで確認されていませんでした。 チラ見せですみません。 すでに図面化を進めています。 関係各所に連絡中。 スキャンして鮮明化できるか!? pic.twitter.com/oLQEZjY4qD
2020-07-11 14:40:42