うえお久光『紫色のクオリア』感想(SF関連の話題を中心に)
『紫色のクオリア』のSF設定と物語構造の美点について(一部『魔法少女まどか☆マギカ』にも言及)
今日はのんびり、岩岡ヒサエ『星が原あおまんじゅうの森(2)』/水谷フーカ『14歳の恋』/川原泉『コメットさんにも華がある』/西炯子『姉の結婚(1)』や、(今更ながら)うえお久光『紫色のクオリア』読んだりしてた。『14歳の恋』は第1話1ページ目があまりに見事だった。
2011-07-10 20:40:44素敵なSF玩具箱であるところの『紫色のクオリア』はなるほど、ほむらや『魔法少女まどか☆マギカ』のループ設定にこだわりを持つ人必見の一冊だろうなぁ。別にそれ絡めなかったとしても、とても面白いけど。
2011-07-10 20:40:55@sagara1 あまり言及されないのですが、クオリアは「万物理論」の先には「意識の統一理論」があるはずだ……ていう「果て」まで表現した上で、ヒロイン同士の「彼我」のテーマに収束しているのが素晴らしいんですよね。で、それはまどマギがループの先に触れることのできなかった部分だなと
2011-07-10 20:48:15@izumino 「万物理論」を以てしても「それでも」越え得ない差異を示して、それを受け入れての「だからこそ」を以て収束する。「その先」のビジョンとして素晴らしいと思わされました。締めくくることで、開かれることになりますし。
2011-07-10 20:59:36@izumino また、序盤で提示された受け入れて手をつなぐ決意が、クオリアから哲学的ゾンビから何から盛大にもり込みつつの変遷を経て、それら全てを踏まえた上で最後に反復された。凄まじいまでの一貫性に驚かされます。
2011-07-10 21:00:19.@sagara1 しかしこれをですね、自称SF読みですって人らが「ただのアイディアのパッチワーク」「まぁこのサイズにまとめたのは巧いけど、これ褒めてるやつはSF読んでねーんだろうなー」みたいなこと言うのが発売当時はまかりとおってたんですよ。信じられないでしょ(笑)
2011-07-10 21:07:42うえお久光『紫色のクオリア』。各平行世界の自己との連絡と干渉。推し進めて意識の統一だか収束。更に突き進んで可能性の徹底利用を自己の遺伝子を通じて自分⇒(遺伝子の半分の可能性から)親⇒……⇒日本人⇒他の日本人の○○といった経路・理路で広げることで他者もシュミレート……(続く)
2011-07-10 21:21:13(続き)その先、その果てに万物理論。果てである筈の万物理論を更に踏み越えることで人間存在を超える。そして、そうまでして行き着くところまで行っても<私は私/あなたはあなた>。良く一冊であそこまでやるよなあ。……そこまで行き着いて。正しく行き着いた分だけ(続く)
2011-07-10 21:23:25果てを踏み越えた筈のモノにすら自身をはっきりと見出してしまう、毬井ゆかりの紫の目とその瞳が映す世界の在り方を、波濤マナブは知る。そこまで知った上でなお、二人は(そして誰しも)互いを本当には知り得ないことが改めて確認される。そして、だからこその互いに手をつなぐ意味と意義。凄いなぁ。
2011-07-10 21:24:26@izumino 作中で<ここは随分飛躍や無茶やってるなぁ><ここは正直よくわからん>と登場人物の口を借りて所々自己ツッコミ入れつつですけど、かなりとんでもないことやらかしてますね。凄まじいと思います。その自己ツッコミも(僕に分かる範囲では)いちいち的確と思えますし。
2011-07-10 21:28:15「万物理論」といえばグレッグ・イーガンは……超絶大雑把にいって、やはりあっさり踏み越えていくんだけど、基本、帰って来ないで行ったきりだからなぁ。勿論、それはそれで大変いいと思うのだけど。
2011-07-10 21:39:12「アウェアネス(意識、気付き)」の中における「クオリア」の位置づけ関連
なお、一応。今まさに読み進めているベンジャミン・リベット『マインド・タイム 脳と意識の時間』で「アウェアネス(意識/気づき)」について<こうである/そしてこうでない>という物凄く面白い説明を延々と読んでいるのだけど。その中で「クオリア」について。
2011-07-10 22:03:17「痛み、色、音のハーモニー、そして匂いなどの感覚経験を、哲学者たちはクオリアと呼んでいます。このような経験は、それを発生させる刺激の物質的な性質、または、対応する神経活動では説明がつかない現象であるため、意識を伴う経験についての唯物論に難しい問題をつきつけています。(続く)
2011-07-10 22:03:23(続き)しかし私は、これらのクオリアを、他のアウェアネスと本質的に異なる問題として取り沙汰する必要はないと考えます。というのも、すべての種類のアウェアネスは等しく、唯物論では説明がつかないものだからです」(『マインド・タイム』p16) とあったりはする。諸々、興味深いところ。
2011-07-10 22:03:31なお、必要ないと願うけど、一応念のため。当たり前だけどSF小説なりライトノベルなりは学術書ではないわけで。混同すると評価基準が無茶苦茶になる。仮に引用した『マインド・タイム』の論が妥当だったとしても『紫色のクオリア』の面白さはまるで損なわれないと思うし(続く)
2011-07-10 22:16:13『紫色のクオリア』における男性キャラ、加則智典の意味と意義
……ん?そういえば、加則友則とはなんだったのか。ボーイ・ミーツ・ガールでなくてガール・ミーツ・ガールなことあたりと絡ませて誰か踏み込んで論じてくれていたりするのかな。>『紫色のクオリア』
2011-07-10 21:31:36「紫色のクオリア」加則友則に関する仮説。 加則友則とは1)波濤学の「収束可能性の一つ」である異性恋愛の選択肢を消し、2)男性器の隠喩としてドリルを用いることで「妊娠―受胎(=ループ)の比喩としての確率論」と「性差から導かれる他者理解の不可能性」を暗に示す 続く
2011-07-10 22:14:24続き 3)と同時に「if」においてアリスと七実との三角関係が描写されるように(1)で失われた異性恋愛=現実的な選択肢、いわば「日常」を回復させるために存在するものだと言える。
2011-07-10 22:16:52