至福の地の異変と妖精族の動揺(#えるどれ)

シリーズ全体のまとめWiki https://wikiwiki.jp/elf-dr/
2
前へ 1 2 ・・ 7 次へ
帽子男 @alkali_acid

「ドレアム…」 もう少し手が届く。もう少しで。 記憶の中でミドリイシはもがき、そこにはないはずの体を動かしてあとわずかに、憎むべき相手との距離を詰めようとした。 "我が姉妹よ…戻りなさい…悲嘆に溺れては" 精霊が遠くから語り掛けてくる。だが半妖精は従わなかった。

2020-10-06 22:06:55
帽子男 @alkali_acid

かわりに意思と魔法のありったけを用いて、さらに六本指の博徒に近づく。 「僕を…見ろ!…一度だけでも…」 心臓を苛む痛みが耐え難いほどになり、思い出の景色がことごとく崩れていく。

2020-10-06 22:08:57
帽子男 @alkali_acid

涙を流しながら、しかしアルウェーヌは止まらなかった。 そうして突き抜けた。悲嘆の向こう側へ。 するとありえざることが起きた。 時が、流れ始めたのだ。 記憶の中で。 逆向きに。

2020-10-06 22:10:13
帽子男 @alkali_acid

思い出の中で六本指の男が遠ざかっていくのを、五本指の女は追った。流れは速くなった。しかしなお引き離されずについていった。 アルウェーヌは見るはずのないものを見た。 目覚めた上妖精の貴婦人が、魔人と将棋を指すのを。 列石の輪をくぐった魔人が異界に旅立つのを。

2020-10-06 22:12:59
帽子男 @alkali_acid

混沌の霧に囲まれた虚無の暗黒のかなたに折り畳まれた世界が広がり、月や星や日が、次々と生まれゆくのを。 竜帝と冥皇が戦うのを見た。 廃墟の世界で、唯一残った図書館に、原初の精霊がたたずみ、魔人にすべての始まりを語るのを聞いた。

2020-10-06 22:14:55
帽子男 @alkali_acid

不意に景色の一切が停止した。 「このようなやり方であっても、時を遡るのはきわめて危険だ」 図書館の司書である精霊は、単眼鏡(モノクル)を煌めかせて、アルウェーヌに話しかけていた。 「時の精霊の力を得てしまったのか…すでに歴史の改変が始まっているようだね」

2020-10-06 22:17:24
帽子男 @alkali_acid

「何を…言っている…これは…僕が…悲嘆の記憶から…作り上げた幻…では?」 幻に向かって尋ねるほど愚かなことはないと思いながら、アルウェーヌは司書に応答した。 「そうだ。一種の抜け道だ。独特な配合の結果がもたらした偶然…あるいは運命。いずれにしても君は危険な知識を得た」

2020-10-06 22:20:05
帽子男 @alkali_acid

「知識…ここ…ドレアムが到達した折り畳まれた世界は…精霊の故郷…精霊は…光の諸王すら…そこに住む人間が作り出した…霊気のからくり…奴隷…」 「そう。折り畳まれた世界はすべての始まった場所だ」 「だがすべては終わった」 「時が過去から未来に流れる限りは。でも君は?」

2020-10-06 22:22:51
帽子男 @alkali_acid

「僕は…遡った…時を?ドレアムを追って?」 「時だけでなく空も渡った。きわめて危険だ。時空の両方を支配するようになれば、その種族はほかのあらゆる種族を圧倒する。唯一にして大いなるもの以上の脅威だ」 「僕は…」 「やり直したいと望むかね。何かを」 「やり直し…」

2020-10-06 22:24:32
帽子男 @alkali_acid

アルウェーヌは凝然とした。やり直し。もし時を遡って何かをやり直せるとすれば。 いつ。どこで。好きなようにあったことを変えられるとしたら。 例えば。 光と闇の大勝負の最後に。 勝利のかわりに、敗北を選び、妖精族のすべてを影の国の奴隷として差し出していたら。

2020-10-06 22:27:03
帽子男 @alkali_acid

今も奴隷として主人のそばにいられただろうか。 「…いや。勝負のやり直しほど興ざめなことはない…僕はただ、自分の中の過去と決着をつけたかっただけだ」 「何よりだ。君の力は…ごく限られたものだろう…たまたま…ここへ到達した。だが知識の扱いには気を付け給え…」

2020-10-06 22:32:36
帽子男 @alkali_acid

図書館の一室は遠ざかってゆく。アルウェーヌはもう一度だけ妖精を奴隷にした魔人の若々しい横顔を眺めやり、瞼を閉じた。涙の最後の一滴が落ちた。 "我が姉妹よ…あなたは…悲嘆を通り抜け…私の力の及ばぬところへ出た" 「ええ。嘆の女神よ…ひどく…不思議なものを見ました…しかし話しますまい」

2020-10-06 22:35:56
帽子男 @alkali_acid

ミドリイシは心から嘆の女神に礼を述べ、悲嘆の館を出た。 門の外で、白い一角獣と灰の大烏が迎える。 「ろくでもないことがあったって、顔だね」 「ハイゴロモ。どうか教えてくれ。一部だけ重荷を下ろす方法があると言ったね」 「ふん。やっとあの、いかさま師と縁を切る気になったか」

2020-10-06 22:38:24
帽子男 @alkali_acid

「…別のことだ」 「ふん。ちょうどいい。まずカラキルの館へ行き、忘却をちょいと戴いておいで。あたしが掛け合ってもいい」 「それには及ばない。ここに持っているから」 「何だって。嘆の女神はどこまであんたに甘いのかね」

2020-10-06 22:40:40
帽子男 @alkali_acid

ハイゴロモの指導で、ミドリイシは忘却の扱いを学び、巧妙にある記憶を削り取り、封じ込めた。灰色の羽飾りの中に。 「さて。随分手間暇かけていったい何を封じたんだい」 「覚えていない」 「そうかい。ところで、昔、狭の大地に、指が六本あるろくでなしの男がいてね」 「それは覚えている」

2020-10-06 22:43:47
帽子男 @alkali_acid

「やれやれ。一番削らなきゃいけないもんをそのままにして」 「とにかく僕はもっと忘れなければいけない記憶があったんだ。ところで羽飾りはどうすればいい」 「忘却の館に置いておくか…いや…肌身離さず持っておくんだね。炎の男神が片付くまではね」 「そうしよう。残りの忘却はどうしよう」

2020-10-06 22:45:41
帽子男 @alkali_acid

「嘆の女神にお返し…というところだけど。あたしだったらそうはしない」 「ハイゴロモだったらどうする」 「武器にするね。それだけの忘却があれば、一時とはいえ精霊だろうと赤子も同然にできる」 「ふん。母上そっくりの考え方だな」 「あの娘には見所があったよ」

2020-10-06 22:49:39
帽子男 @alkali_acid

乙女は烏の忠告に従い、記憶と忘却の両方を手元に置いておくことにした。 「さて…次は、"叔父上"のようすを見に行くとしようか」 「炎の神殿に乗り込むと言い出すのかと思ったよ」 「あそこにアルカインがいるのなら心配ない」 「頼れる親族がいるのは羨ましいね」 「ハイゴロモにも友がいるだろう」

2020-10-06 22:55:10
帽子男 @alkali_acid

「あの婆さんを離れ島から引っ張り出すのは苦労したよ」 「羨ましい。血族以外に心を許せる友がいるのは」 「あんたにもいたじゃないか。小人に東夷に」 「狭の大地に…ここではない」

2020-10-06 22:57:56
帽子男 @alkali_acid

ミドリイシ、かつての妖精上王は一角獣にまたがり、再び風と雲の道を辿って行った。 戦の予感にざわめく下妖精の国々を目指して。

2020-10-06 22:59:19
帽子男 @alkali_acid

◆◆◆◆ アルウェーヌの年下の叔父であるフィンルードは館の一室に大量の書類を広げて呻吟していた。なお離れ島に暮らす穴居の民が作った上質な紙だが、乱雑な書き込みと図形だらけになっている。 「つれーわー…実質、銀の木の明滅の四分の一しか寝てねーわー。つれーわー」

2020-10-06 23:02:35
帽子男 @alkali_acid

「少し休まれてはいかが」 はす向かいにあぐらを掻いた裸の女が律儀に言葉をかける。いや裸ではない。ちゃんと胸の先に宝玉を挿している。 「あの…そっすね…」 フィンはへどもどしながら、だらけた物腰をあらため、また書類に取り込む。

2020-10-06 23:12:47
帽子男 @alkali_acid

「つか…あの…ちょっと…服とか着てもらえると」 「この方が計数に集中できます」 女は射干玉の髪を掻き上げると、高い鼻を別の書類に突っ込みつつ返事をする。 若者はなるたけ視線をそちらに向けないようにしながらもついつい、若柳のような肢体に気をとられる。

2020-10-06 23:15:08
帽子男 @alkali_acid

地妖精。ちょっと昔通ってた学校の先生に似ている。 先生は男だったが。 「あー…どうすか」 「不思議ですね。どれだけ過去の記録を値にしてそろえても…こういう結果は出ません…でもあなたの予測の方が正確です…」 「まあ?俺はやり込んでるんで?」

2020-10-06 23:17:14
帽子男 @alkali_acid

フィンの隣にいるのは、焔の神殿が送ってよこした巫女の一人だ。工芸に長けた地妖精の娘、だが呆れるような不器用である。しかし数理に関してはまったく過ちがない。 本来は神殿の奥に籠って、上妖精語でも下妖精語でもない独自の言葉でひたすら何かを考え続けている。 「どうぞ」

2020-10-06 23:20:31
前へ 1 2 ・・ 7 次へ