東日本大震災と原発事故から10年を迎える2021年という節目の年に今までに私が撮った写真を紹介しておきたい:(1)長泥地区(福島県相馬郡飯舘村)のこと

東日本大震災と原発事故から10年を迎える2021年3月。この節目の年に、私が撮った今までの写真を紹介しておきたい。その(1)長泥地区(福島県相馬郡飯舘村)のこと
5
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

東日本大震災と原発事故から10年を迎える2021年3月。この節目の年に、私が撮った今までの写真を紹介しておきたい。私は福島県には何十回も訪問し、そこで多くのことを教えて頂いた。深く感謝している。特に2011年から19年まで毎年、京都女子大の学生らと研修で訪問した。一人で行ったことも多かった。

2021-01-21 22:25:38
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

最も深く心に刻まれたのは、飯舘村の長泥地区のことだ。長泥地区は飯舘村の南端で、道路を降りていくと交差点があり、そこが長泥。その先は浪江町の津島に繋がっている(ダッシュ村もある)。そこに赤宇木(あこうぎ)があり、この隣接2地区が2011年9月段階では線量率が最も高い場所の一つだった。

2021-01-21 22:35:40
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

私は2011年8月に京都でお会いした福島県からの避難者に、こう言われた。「先生は線量が高いところをご存知ないでしょう」。それは事実だった。それで2011年9月下旬に地元の人に聞いて「最も線量率が高い」長泥」へ一人で行った。一緒に行った学生二人は先に帰した。その長泥の交差点で私がみたものは。

2021-01-21 22:48:11
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

2011年9月26日。1枚目が長泥の中心の交差点。写真左から降りてくる。交差点を右折すると浪江町の津島・赤宇木に続くが通行止め(2枚目)。前方も通行止め(3枚目)。最も線量率が高い場所を探したが線量計は振り切れ(4枚目)。測定中に、見回りのパトカーに誰何されたので、正直に測定中だと答えた。 pic.twitter.com/Xv35Q7e1zz

2021-01-21 22:58:16
拡大
拡大
拡大
拡大
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

長泥地区の交差点に掲示板があり、東電が測定した各地の線量率の張り紙があった。図の[33]が長泥14.3μSv/h、[32]が赤宇木15.3μSv/h。赤ペンで長泥2011年9月26日14.9μSv/hと出ている。私は測定に慣れていたし計算して管理できることを知っている。とにかく線量率が最も高い場所を経験した日となった。 pic.twitter.com/OTW9dD5ouK

2021-01-21 23:15:31
拡大
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

私は今まで3回、長泥地区に行った。2回目は2014年9月8日。長泥と赤宇木の一帯は帰還困難地域に指定され、立ち入り禁止になった。あの交差点にさえ行けなくなった。他の帰還困難地域と同じくバリケードがあり、そこまで。この年は「ふくしま再生の会」の田尾陽一理事長の案内で長泥の入り口まで行った。 pic.twitter.com/ggfyiL7Gqx

2021-01-21 23:35:52
拡大
拡大
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

2015年9月。私が最も心に刻まれた出来事は9月4日に起きた。この年も学生らと長泥の入り口まで行った。すると向こうから一台の小型車。区長さんだった。そして言った「今、環境省の役人の話を聞いた。この地区は当面、除染しないと言われた」。それは地区を当面、見捨てよと言われたことを意味した。 pic.twitter.com/wOJvLO4cjt

2021-01-21 23:51:06
拡大
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

2015年9月。区長さんは、我々が京都女子大学の学部ゼミだと分かると、それでは、と説明してくれた。この入り口から長泥の交差点までは、私は初めて行った時に「桃源郷」への通路だと思ったほど、美しかった。その日も美しいままだった。そこは「あぶくまロマンチック街道」と名前がついていた。 pic.twitter.com/hEBLetJDFM

2021-01-21 23:56:40
拡大
拡大
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

2015年9月。長泥の区長さんは続けた。「福島県の内陸で唯一、海が見える場所がある。どこか知っているか。それがここなんだ。晴れた日には海も見える」飯舘村は、阿武隈高地の中央に位置する。その日も遠方に光る海が見えた。区長さんは美しいと言う言葉は使わなかった。私は鼓動がはやまった。 pic.twitter.com/8GbxIWdh4d

2021-01-22 00:09:11
拡大
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

2015年9月。まれに今しかないという時がある。今がそれだと私は思った。遠方を見ながら、区長の諦めとも嘆きとも異なる、静かな説明を聞き続ける。学生も一言も発せず真剣に耳を傾ける。その静謐の中で、区長の説明は15分ほど続いた。私は手が震えて録音に失敗したことに、後で気付くことになった。

2021-01-22 00:17:53
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

2015年9月。長泥地区の区長さんの話を聞きながら、私は一体、そんなことがあっていいのかと、説明を聴きながら考えていた。これはどういうことなのか。こんなことがあっていいのか。それを繰り返すエンドレスループになっていた。 私がその後のことを知ったのは、5年後、2020年の12月だった。それは。

2021-01-22 00:29:32
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

長泥地区の2020年。除染が一部ではあったが、行われていた。年末の研究会でその写真を二瓶准教授(東大農学部)が紹介、私は驚愕。山林の小径の先にある長泥の全面的な除染は困難。だが新発想で実験的な各種の取り組みが始まっていた。そんな長泥地区を、私は自分の目でも、確かめたいと思っている。

2021-01-22 00:49:42
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

失礼。二瓶さんは今は福島大学食農学部に移籍。私が飯舘村の長泥地区の「その後」を知ったのは2020年12月の京都大学主催の研究会だった。 rish.kyoto-u.ac.jp/events/symposi… 東大農学部は溝口勝教授の研究分野(土壌物理学)も含めて意欲的な取り組みを続けている。もちろん他大学も含めて情報の更新が有用だ。

2021-01-22 01:12:07
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

私が2015年9月にお会いした、長泥地区の区長さんから聞いたという状況は、おそらくここに、書かれていると思われます。 『もどれない故郷ながどろ』 2016年3月、長泥記録誌編集委員会 amazon.co.jp/dp/4829506768

2021-01-22 02:49:35