武家社会から市民社会への変化に伴う武器術体系から格闘技への変化

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遊川恒星(ゆかわ こうせい) @kouseiy

そうか。「合気道の動きは剣の動きである」はまだ手前なんだ。そのもっと手前に「剣の動きは耕す動きであり、耕す動きは歩き走りの腕振りであり、歩き走りの腕振りは四足獣の前足の動きである」まで最低限遡る必要がある。更に両生類、爬虫類、更に魚類まで遡る。その根本運動が「戻る外旋行く内旋」。

2021-02-13 17:52:45
遊川恒星(ゆかわ こうせい) @kouseiy

同じ揉合系でも柔道と合気道がどう違うのか。合気道のように「柔道の動きは剣の動き」という格言が柔道に存在しないのは何故か。柔道に存在しないのに柔術には黒田道場のように「剣柔居の三位一体」という概念が存在しうるのは何故か。

2021-02-13 18:02:47
遊川恒星(ゆかわ こうせい) @kouseiy

一般論的な答えとしては、「柔道は体系の中から対武器の教育を省いたため」だろう。北派拳術から南派拳術へ、柔術から柔道へ、沖縄空手から本土空手を経て極真を初めとするフルコンタクト空手へ、ベアナックルのボクシングからグローブ有りのボクシングへという大きな一般的な流れ。そしてここへ来て、

2021-02-13 18:17:24
遊川恒星(ゆかわ こうせい) @kouseiy

武器有りの体系から素手対マンの体系へと流れて来た流れが今一度、素手対マンの体系から武器有りの体系へと歴史は逆流しているように見える。だがこれは逆流というよりは、弁証法で言うところの「否定の否定」というものだろう。 この変化は武道武術格闘技を取り巻く社会環境の変化を押さえねば。

2021-02-13 18:17:24
遊川恒星(ゆかわ こうせい) @kouseiy

武道武術格闘技を取り巻く環境の変化とは、つまりそれらの文化遺産の位置付けが社会の中で変化した。という事である。具体的には、戦闘を生業とする社会階級の独占から、大衆社会への解放が、柔術から柔道への変化である。これはまた封建的階級社会から、大衆的自由経済社会への変化でもある。

2021-02-13 18:32:29
遊川恒星(ゆかわ こうせい) @kouseiy

では武道から武術への回帰は大衆的自由経済社会の中の何がどう変化したのか、それとも大衆的自由経済社会がまた新たな社会へ変化する兆しなのか。

2021-02-13 18:32:29