一式砲戦車ネタ

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名無し整備兵 @seibihei

1式47mm戦車砲の軌跡 昭和14年8月技術本部作業開始 同年12月竣工第1次試験 昭和15年2月改修第2次試験 同年6月再設計施策 同年9月97式中戦車搭載試験 昭和16年1月騎兵学校試験上申 昭和17年4月制式決定

2011-07-26 00:41:35
名無し整備兵 @seibihei

昭和15年頃に書かれた「国防の台所観」では、当時の装軌車両生産能力を月70両とし、昭和18年には月産180両、うち戦車90両と試算。

2011-07-26 00:52:42
名無し整備兵 @seibihei

昭和15年の生産実績では、97式中戦車は507両。月産だと四十数両か

2011-07-26 00:58:18
錆猫 @Nyar_Horten

一式機動四十七粍砲:昭和13年3月輓馬式試製砲完成(試製九七式)。昭和14年3月機械牽引式に設計変更。同年9月試製砲完成、同時に試製一式機動砲設計着手。昭和15年6月竣工試験。昭和16年9月歩兵学校実用試験。昭和17年1月北満試験。昭和17年5月仮制式上申。同年9月制式制定

2011-07-28 03:54:32
錆猫 @Nyar_Horten

一式戦車砲は一式機動砲より約一ヶ月早く設計が開始されている、と。試製九七式(速射砲)は設計着手は昭和12年。昭和14年6月16日第四回研究会決議事項(参謀本部と技術本部協同の戦車研究会)で47粍砲への言及がある

2011-07-28 03:57:11
錆猫 @Nyar_Horten

とりあえず、陸軍がノモンハン後に慌てて対戦車火力向上に着手した訳ではなく(ノモンハン事変は昭和14年5月~9月。戦車戦が起きたのは7月)、元々向上の過程にあったのがそれに因って促進されたことの傍証にはなるかと思いつつ再度堕ちる

2011-07-28 04:19:48
錆猫 @Nyar_Horten

昭和12年辺りまでは、彼我共に配備数僅少な戦車が広大な戦場で戦車戦に至る事事態が稀な事態と予想されていた様子。ノモンハンで其認識が崩れる訳ですが。ただ後知恵的に言ってしまいますと、決戦に相当する場に有力な戦力を持込む為に努力するのは彼我共に変らなかった、という事かと思われ

2011-07-30 01:39:30