小松和彦 著『呪いと日本人』レビュー連ツイまとめ
そもそも人を呪う心境とは、おもしろくない、どんよりとした心境だ。呪いが成就するとは、呪いが「晴れる」という表現からもわかる通り、そのどんよりした心境が晴れ渡るような心地になるということだ。 逆に、呪う側の気持ちが晴れるとは、呪われた側がどんよりとした心境になるということである。
2021-04-05 13:53:46この「どんよりとした状態」とは「ケガレ」の状態である。呪いー呪われるとは、言わばケガレの押し付け合いとも言える。 だが、ここで改めて、呪いの非対称性のことを想起しよう。先ほどの例で言えば、時平が死んだり、皇居に雷が落ちたりしたのは、おそらくは、道真の祟りなどではない。
2021-04-05 13:56:57いわば、不幸が続く状態の理由づけとして、道真の祟りが持ち出されたに過ぎない。「ケガレ」は、特に理由もなく、「邪悪な外側」から、人の世界に襲い掛かる。 その「外側」から訪れる「ケガレ」を、「外側」に返す儀式が「祓い」「清め」の儀式である。
2021-04-05 13:59:48ー邪悪なものが存在する「外部」とはどんな領域なのか。人間の知識・技術がコントロールできていない未知の領域、言い換えれば「カオス」の領域のことである。人類学で言えば<自然>。これに対して、「内部」は秩序づけられた既知の領域、<文化><ノモス>の領域ということになる。(186)
2021-04-05 14:03:32人や社会にとって好ましくない状態変化は、外部のものによって作り出され、好ましい方向への変化は、主として自分たちが主催する儀礼によって作り出される。人びとはそのようなコスモロジーを生きており、御霊信仰もまたそのコスモロジーに組み込まれた装置のひとつだったと考えられる。
2021-04-05 14:05:15御霊とは、言わば、社会の<内>に溜まったケガレ=エントロピーを社会の<外>に放出するためのスケープゴートとして捉えることができる。 祓いのシステムという観点から見るとき、呪いのパフォーマンスはまた違った意味を持ってくるのが見えてくる。
2021-04-05 14:08:27ところで、現代社会では呪いは「効かないことになっている」。つまり、呪いのパフォーマンスは表向き失効している。だが、呪いの心は普遍的だ。呪いー祓いのパフォーマンスによって、言わば浄化されていた人びとの怨恨は、今ではどす黒い負のエネルギーとしてどんどん澱んでいっているのかもしれない。
2021-04-05 14:11:21コメ欄より・小松和彦の別著書の紹介。
憑霊信仰論も読もうぜ!(同じ著者の本) .@CookDrake さんの「小松和彦 著『呪いと日本人』レビュー連ツイまとめ」togetter.com/li/1693055 をお気に入りにしました。
2021-04-05 20:17:10@CookDrake 「憑霊信仰論」は硬めの論文なので、対談本の「鬼が作った国・日本」や「他界への冒険」あたりが読みやすいかな、と思います。この先生のお陰で民俗学いろいろ調べるようになったもので・・・!
2021-04-05 21:20:25なな @snanasnanas
小松先生の代表作のひとつ、憑霊信仰論は京極夏彦の元ネタの一つなので、妖怪シリーズお好きな方には特におすすめです。