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後三年の役~清原氏の滅亡。

後三年の役関連史跡をめぐります。
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真庭ふしぎ@風来人 @fusigi_plants

「前九年の役」について。 阿久利川事件跡地。 源頼義の野営地が何者かに襲撃された事件場跡。 阿久利川の畔で発生した事件を切欠に 安倍氏と朝廷による合戦「前九年の役」が勃発。 黄海古戦場跡。 源頼義が安倍貞任に大敗を喫した古戦場。 これにより安倍氏は名実共に奥六郡の覇者となる。 pic.twitter.com/vGJfQARW7m

2021-05-05 10:10:33
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阿気八幡神社。「阿気八幡神社」は秋田県横手市に鎮座する神社。坂上田村麻呂が兜を埋めた丘に社が鎮座していることから「兜台神社」と呼ばれたという。 pic.twitter.com/QD0hdagqRq

2021-05-05 10:15:50
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阿気八幡神社の地は黄海で大敗した源頼義、頼家父子が豪族清原氏を頼ってこの地に落ち延びてきたことから「引揚げの里」と呼ばれた。源頼義、頼家父子は落ち延びた先で出羽国の清原一族の助力を得ることに成功する。 pic.twitter.com/7eMv1SsyyA

2021-05-05 10:21:55
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厨川柵跡。 「厨川柵」は「前九年の役」の際、安倍氏と清原氏、朝廷連合軍による決戦の地で知られる。出羽国の清原一族の助力を得て勢いづく朝廷軍の猛攻撃により「厨川柵」は落城し奥六郡の覇者、安倍氏は滅亡する。 pic.twitter.com/JQr2lIgfXo

2021-05-05 10:30:02
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五位塚。 「五位塚」は国府の五位の役人「藤原経清」の墓。 藤原経清は朝廷の役人でありながら「前九年の役」で安倍氏に加担した為に厨川柵落城跡に朝廷軍に捕えられ処刑されたという。 pic.twitter.com/Js2zV1q8V3

2021-05-05 10:41:21
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産湯の泉。 「産湯の泉」は藤原経清の嫡男「藤原清衡」が誕生した際に産湯として使用されたという泉。「前九年の役」の後、藤原清衡を産んだ有加一乃末陪は敵方であった清原武貞と再婚した為に清衡は清原武貞の養子となる。 pic.twitter.com/jzdfVaWr9F

2021-05-05 10:51:39
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並木屋敷跡。「並木屋敷」は岩手県奥州市に所在する屋敷跡。かつて安倍氏の政庁であったという並木屋敷は「前九年合戦」の後、滅亡した安倍氏に替わって奥六郡を支配した清原氏の屋敷が所在していた、という。 pic.twitter.com/UWBy1wml1L

2021-05-05 11:12:36
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永保3年、並木屋敷の主「清原真衡」は急逝したという。清原一族の棟梁の急死の後、清原真衡の兄弟「清原家衡」「清原清衡」の二人により真衡の遺領は分割されたという。 pic.twitter.com/XO8Wv4VPS5

2021-05-05 11:20:18
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源義家の裁定による清原真衡の遺領の分配に不満を抱いた清原家衡は兄である清原清衡に対して軍事行動を起こす。真衡の遺領を巡る相続争いが「後三年合戦」の始まりのようだ。 pic.twitter.com/HLVfLVajet

2021-05-05 12:06:56
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豊田館跡。「豊田館」は岩手県奥州市に所在する屋敷跡。豊田館は「前九年の役」で処刑された藤原経清、及び嫡男である藤原清衡の屋敷であったという。 pic.twitter.com/bA8JrUzhDX

2021-05-05 12:14:33
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「後三年合戦」の際、遺領の分配に不満を持つ清原家衡は清衡の屋敷「豊田館」を襲撃したという。清原家衡の攻撃により清原清衡は落ち延びることができたものの、清衡の妻子は家衡軍の攻撃により炎上する「豊田館」から逃げることができず焼死したという。 pic.twitter.com/KMQGI15gnd

2021-05-05 12:22:00
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現在の「豊田館」跡地は「後三年合戦」の際に清衡の妻子が虐殺されたという痕跡を全く残さない。しかし「豊田館」の焼き討ちを発端として家衡、清衡兄弟の全面戦争が勃発したのだ、、。 pic.twitter.com/K65wcUIy0V

2021-05-05 12:28:24
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沼柵跡。「沼柵」は秋田県横手市に所在する城柵跡。「後三年合戦」の際に清原家衡が籠城したという沼柵は後世に稲庭城主小野寺氏が本拠地にした際に改変をうけているようだ。 pic.twitter.com/cm55wz4biT

2021-05-05 12:36:21
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水柵と言われた「沼柵」は「後三年合戦」の際、清原清衡、源義家連合軍の攻撃を受けたという。しかし難攻不落である沼柵は簡単には落城せず、合戦が長期化するにつれて清原清衡、源義家連合軍は激しい雪風によって苦しめられた。 pic.twitter.com/TTJD8WyP3S

2021-05-05 12:45:39
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蔵光院。小野寺氏によって「沼柵」跡地に鵜ノ巣から遷されたという寺院。 pic.twitter.com/HQHrVAnLus

2021-05-05 14:23:02
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沼柵より。「沼柵」は四方を水で囲まれていた要害であったという。沼柵外周には「水堀」でも存在していたのだろうか?。 pic.twitter.com/2N3Dwzr2C5

2021-05-05 14:30:03
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沼館八幡神社。「沼館八幡神社」は秋田県横手市に鎮座する神社。沼館八幡神社の伝承によると「後三年の役」の際に背走する源氏軍の馬の背中で発酵した大豆が納豆の起源であるという。 pic.twitter.com/KgESVxAe10

2021-05-05 14:38:48
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風雪による寒さ、食糧の欠乏によって多数の兵を失った清原清衡、源義家連合軍は沼柵を攻略することを諦め一旦陸奥へ引き上げた。その後、清原家衡は応援に来た清原武衡の勧めを受けて「金沢柵」へと移る。 pic.twitter.com/RET8OZrTlW

2021-05-05 14:52:28
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金沢城跡。「金沢城」は秋田県横手市に所在する城跡。金沢城には「後三年合戦」の際に清原家衡、清原武衡が籠城した「金沢柵」であるという伝承が存在するようだ。 pic.twitter.com/BO730r9gpb

2021-05-05 15:04:56
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金洗清水。「金洗清水」は金沢城の搦手に所在する「金洗沢」と呼ばれた沢の清水。金沢柵の用水として使用されたという金洗清水は「金沢」の地名の由来にもなったという。 pic.twitter.com/4etqje69zA

2021-05-05 15:12:11
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