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後三年。「後三年」は秋田県横手市に所在する地名。「後三年」の地名の由来は「後三年合戦」から来るものと思われる。 pic.twitter.com/WVQal6nNvl
2021-05-06 21:08:49金澤八幡宮。「金澤八幡宮」は秋田県横手市に鎮座する神社。金澤八幡宮は「後三年合戦」の後、源義家の命によって清原清衡が落城した「金沢柵」跡地に建立したという由緒を持つ。 pic.twitter.com/8jrGreWLJH
2021-05-07 06:56:54兜杉。「兜杉」は金澤八幡宮境内に生えていた大杉。兜杉は源義家が「後三年合戦」の後、凱旋の時に愛用の兜を埋めて石をその上に置き、そばに記念の為に清原清衡が植えた杉が由縁であったという。 pic.twitter.com/QqBnp51Kh1
2021-05-07 07:04:16寛治元年11月、金沢柵は落城した。金沢柵陥落の有様は非常に凄惨なものであった。燃え上がる柵内では切腹したであろう武者の首無遺体が折り重なり、腕や首の無い遺体が転がる有様であったという。 pic.twitter.com/DynT07E0Ot
2021-05-07 12:15:59蛭藻沼。「蛭藻沼」は秋田県横手市に所在する沼。蛭藻沼では金沢柵落城後に逃亡した清原武衡が潜伏していた沼として知られる。 pic.twitter.com/nMPQb0yiZI
2021-05-07 12:22:02敗走した清原武衡は刀の鞘の尻を切って口に当てて蛭藻沼の水中に潜んでいたところを発見され捕縛された。捕縛された清原武衡はその後、源義家によって斬首された。 pic.twitter.com/OdaW2TM4Mh
2021-05-07 12:26:12武者隠しの森。「武者隠しの森」は秋田県横手市に古くから伝わる地。武者隠しの森は落城する金沢柵から敗走した清原家衡が射殺された場所であるという。 pic.twitter.com/vBwruVnw0p
2021-05-07 12:30:44首塚神社。「首塚神社」は秋田県横手市に鎮座する神社。首塚神社には坂上田村麻呂が蝦夷を討った際に戦死者千人の首を葬ったという伝承が残る。 pic.twitter.com/PnjmJU9PDJ
2021-05-07 19:28:34「首塚神社」には「後三年合戦」の後に源義家が戦死した敵味方の首890を葬り、その地に社殿を建立し戦死者の霊を慰めた、という伝承も存在するようだ。 pic.twitter.com/FJQO1T6e8o
2021-05-07 19:33:27「首塚神社」の塚の正体は古墳なのだろうか?。社殿下を覗くと葺石のようなものが。 pic.twitter.com/KtDWOOhOXR
2021-05-07 19:44:22ミカド屋敷跡。秋田県横手市に所在する俘囚の「深江弥加止」屋敷跡。「元慶の乱」で功のある深江弥加止の墳墓が「首塚神社」の塚である、という伝承も存在するようだ。 pic.twitter.com/xMW2ArtSLl
2021-05-07 20:12:53景正功名塚。「景正功名塚」は「後三年合戦」で奮戦した鎌倉権五郎景正が源義家の命で敵の屍を手厚く葬ったとされる塚。功名塚には杉が植えられたという。 pic.twitter.com/I9mjjGrv4l
2021-05-07 20:18:21源義家は「後三年合戦」に勝利したものの朝廷からは「私戦」扱いされ恩賞は出なかった。清原一族の勝利者となった清原清衡は藤原姓に復し藤原清衡と名乗り奥州藤原氏の祖となった。 pic.twitter.com/fGESTDpqQV
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