そういえば「自転車のパンク修理もできない人だった」という評についてはツイートしていなかったので補遺しておく。 togetter.com/li/1712800
2021-05-12 13:27:53この大叔父の息子にあたる人が、子どもの自転車の修理をして見せたら「お父さんそんなこともできちゃうの?」と驚かれたという話で出てきた。
2021-05-12 13:27:54年寄りにはよくある話だよな 「話があるの」兄と二人、呼ばれて帰った実家で...79歳の母から告白された「驚きの話」 mainichigahakken.net/essay/article/… #毎日が発見
2021-05-11 14:25:51@seia21390430 いい歳でワガママ通そうと思ったら、やっぱりゴタゴタの種は始末しとくのが筋だと思いますねえ。大叔父の晩年を思い出す。
2021-05-11 15:13:23@Tamejirou まあ、両者子連れで再婚とかをするならそうでしょうけどね。 50を超えてから血の繋がらない兄弟とかが出来ればうまく回らないことも多いでしょうし。
2021-05-11 15:16:11まあ具体的に言うと伯父にとって叔父にあたる俺らの大叔父の葬儀のときに「喪主の息子は通夜でちゃんと徹夜しろ」とうるさく言っていた程度には口うるさかった。まあそういう事を言う年寄りが一人はいたほうがいいのかもね。7年ほど前の話。
2020-11-03 20:39:33わいもそういう最期を辿りそう。曾祖父が介護されて99まで生かされたのをずっと見ていた大叔父は、癌に掛かったとき逍遥として80で他界した。そっちのほうがいいわ俺も。
2020-07-20 10:43:08x逍遥
o従容
そういう事があったので、逆に友人が入院していると聞けば必ず見舞いには行ったし、婆ちゃんsが入院したり施設に入所したりしたときは、帰省のたびに顔は出すようにしていたが。大叔父のときは抗癌剤治療で免疫が落ちていたので直系子孫に任せて見舞いには行かなかった。
2019-09-30 10:48:067年前に他界した大叔父について twitter.com/Tamejirou/stat…
2019-08-24 00:42:56しかし78にもなって癌だってことはわかりきってて、今更いろんな治療受けて延命するよりもここらでスパッと死んでもいいや、みたいなのはあったかもしれんな。「必死に生きたかったのに、治療を受ける道が閉ざされていた」って話ではないもんね
2017-05-02 16:56:37ある大叔父は、これまた、死別か離別か不明だが奥さんが居なかったのだが、60-70くらいの時に同業/近縁業界の女性(やや年上?)と同居していた。やはり歳を取ると心細くなるためもあるのだろうか。最期は自分の子供たちや孫、の他にその女性にも看取られて亡くなったが。
2019-07-04 10:44:36一代で財を成して一代で潰した父親がいて、姉と妹がいて、別の店とはいえ息子が同じ稼業をやってて、遠方に嫁いだ娘は手に職をつけて自立、孫も数人いて末期の伴侶も見つけられた。いい点だけ抜き出せばなかなか理想的に見える人生だけど、大変なことも沢山あったんだろうな。
2018-04-03 10:12:19お相手もやはり繁華街で『ママ』を長年やった人で、お互い多少とも老後の蓄えは出来ていたし、息子と娘はそれぞれしっかり自立してたからそんなに悲惨な老後を迎えることもなかった。最期は癌だったが数人の孫たちに看取られて、まあまあ幸せな人生だったのではないか。
2018-04-03 10:01:06最初からそうと割り切ってるんなら問題はないんだよな。スナックを経営していた大叔父も、早くに奥さんを亡くして、70近くなって店を畳んだあとは似たような年格好の女性と同棲していた。
2018-04-03 09:59:48しかし78にもなって癌だってことはわかりきってて、今更いろんな治療受けて延命するよりもここらでスパッと死んでもいいや、みたいなのはあったかもしれんな。「必死に生きたかったのに、治療を受ける道が閉ざされていた」って話ではないもんね
2017-05-02 16:56:37儒教的人間関係はさ、公の保障がなくて頼れるのは親類だけ、って環境だとすごく強力だよな。そりゃ、大叔父大叔母たちが連帯してひい爺さんの面倒見てるの見せられて育ったら、その人たちを自分の代で放置できなくなるもんな
2016-06-14 22:27:17先週末、大叔父の葬儀のとき伯父さんが私と兄の名前をごっちゃにしていたけど、自分も親戚の男三人兄弟を見分け損なったので怒れない笑えない
2012-02-15 23:05:51