建築の自律性・他律性

律 関係あるかないか微妙な所も入れてます。
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堀井義博 @yoshihirohorii

コトバが建築や空間の意図や意味を説明をするのではなくて、全く反対に、実際に設計された建築や空間が、説明のために使用されるコトバの意味を固定する。もしこの逆転現象を理解できないようなら、建築や空間そのものへと肉薄することは永久に出来ないように思う。

2011-08-06 16:17:14
tezzo nishizawa @tezzo_n

@yoshihirohorii まさにいまそれ読んでます。うすうす感じていたことだけど、もうまったく何がどうだか分かんなくなってきました。資本主義と共産主義が転倒してしまうような世の中。つまり本質的な内容が、形式を無効化しているのですね。コトバを社会的コードとすればそれもまた真。

2011-08-06 16:35:08
堀井義博 @yoshihirohorii

@tezzo_n お。君もついにジジェクを読んでますか。俺の考えだと、建築屋にとっては、デリダみたいな文献哲学より、ジジェクみたいな実践哲学の方が全然面白いし、しかも現実的に有効だと思うね。サンデルも同じ意味でおもしろかったし 。建築には形而上学の出る幕は無いからな。

2011-08-06 17:16:51
堀井義博 @yoshihirohorii

だからこそ、建築だけでなく様々なジャンルで形式に縋り付こうとする態度(=全体主義)が横行するのと違いますか。「本質」を拒絶・否定する態度も同根だと思う。 RT @tezzo_n: 本質的な内容が、形式を無効化している。

2011-08-06 17:22:22
Hiroshi Kohno | 河野 裕 @hkohno_abbr

これはそう思う。デリダも一応読むけど。アイゼンマンに感じる胡散臭さはまさに建築をテキストとして読もうとし過ぎなところ。QT @yoshihirohorii ..建築屋にとっては、デリダみたいな文献哲学より、ジジェクみたいな実践哲学の方が全然面白いし、しかも現実的に有効だと思うね。

2011-08-06 20:07:18
Hiroshi Kohno | 河野 裕 @hkohno_abbr

しかしまぁ、それゆえ建築に貢献してるところもあるのは否めない。建築もボキャブラリの開発だし(ミースだって断言してる)、シンタックス考えるのが構成論ですからね。

2011-08-06 20:13:43
Hiroshi Kohno | 河野 裕 @hkohno_abbr

ジジェク(自分の場合はこれにE.トッドとかを加えてもいいが)は、なんというか、経営(?)上のグランド・コンサルみたいな役割で、建築そのものを考えるうえでは殆ど関係ないけどね。

2011-08-06 20:20:57
高橋堅/Ken Takahashi @ken691101

自律的に意味を紡ぎ出していく空間というのは、ある意味では自己言及的(self-referential)なものだと思います。具体的な例で言えば、ル・コルビュジエのメゾン・ドミノに最も強く表出しているのではないでしょうか。この事に関しては、十数年前に建築文化に拙文を載せて頂きました。

2011-08-06 17:57:06
Hiroshi Kohno | 河野 裕 @hkohno_abbr

「自己言及性」同意。私もこれについてはDJの批評で書かせてもらった。

2011-08-06 20:29:27
高橋堅/Ken Takahashi @ken691101

ということで、何を言ってもル・コルビュジエ、しかもドミノに戻ってくるという円環構造。これが自分の限界かw しかし、微妙に上昇軌道の螺旋であることを願う。self-referentialといえば円城塔のself-reference engineは途中までしか読めなかったな^^;

2011-08-06 20:52:23
Hiroshi Kohno | 河野 裕 @hkohno_abbr

あれ?自己言及的ってそういうこと?(笑) 私が昔書いたのはちょっと違ってて、場の固有性とか履歴とか反映しつつ繋いでゆくような「自己言及〈的な〉表現」についてです。

2011-08-06 21:38:15
Hiroshi Kohno | 河野 裕 @hkohno_abbr

→このときの「自己」は設計者のことでも、建築の枠組みのことでもありません。

2011-08-06 21:42:38
高橋堅/Ken Takahashi @ken691101

僕が言っているのはアイゼンマンの言う、Self-Referential Signってやつですね。

2011-08-06 21:46:11
Hiroshi Kohno | 河野 裕 @hkohno_abbr

A.アイクのTwin Phenomenaという言葉が好きです。「建築とはポシェをデザインすることだ」という名言も。その意味に比べると、〈空間だけで〉構成するとか形の問題だけに還元するとかいうのも、やはり一種の'古典的'なモダニズムのドグマを抜け出せてない気がする。

2011-08-06 23:06:41
Jun Hashimoto @has20090827

合目的的と言ってしまうと、その先、きつくない? 結局、自律性の中に回収している感じで・・・ RT @ken691101 ・・合目的的(他律的)なものであるように事物を整える・・

2011-08-06 15:15:27
Hiroshi Kohno | 河野 裕 @hkohno_abbr

自律/他律に関して、たしかに「合目的的」という言葉はトリッキィかも。それ(テレオロジカル)が先に来ることの問題、というのはチームXによる批判の対象(というか骨子)でもある(あった)はず。

2011-08-08 13:47:48
高橋堅/Ken Takahashi @ken691101

@hkohno_abbr @has20090827 部分的な合目的的性とでも言えばいいのかな? 他律にしても何に着目するかという恣意性は排除できないですからね。いずれにせよ建築の外部にある環境を生かすのであれば、無関係でも不合理でもなく、合目的的になるのではということなんですが。

2011-08-08 15:10:35
高橋堅/Ken Takahashi @ken691101

装飾や地域性、記憶などの属人的な情報が建築に紛れ込まないはずはなく、それが空間に豊かさを付与したのは明白。ただモダニズム黎明期にそれを直接的に主張することは憚られ、原理的に整合性のあるアイディアが求められたはず。各々の建築家の原理性と、実際に立ち現れる空間の距離感こそが面白い。

2011-08-16 10:56:38
高橋堅/Ken Takahashi @ken691101

「記憶」や「張り付いた意味」を要しない、「事物そのもの」から如何に意味を紡いでいくかという問いに、self-referentialという考え方がはまったように思っているのですが、違うの?^^; 「無意味」が「有意味」を派生させる構成論まで、そこからあとちょっとかなと。独り言ですw

2011-08-16 04:57:06
高橋堅/Ken Takahashi @ken691101

装飾を排し無意味に、地域性を排しインターナショナルになっていく過程で、モダニズム建築が無意識的にも取り込まねばならなかったのは、漂白された事物の集積からいかに意味を紡いでいくかという方法論ではなかったか。「記憶」からでは前提が変わってくる。つまり有意味性からの方法論になるのでは?

2011-08-16 04:42:09