樋口健二さん: “原発は、なぜ危険か ―写真家が追った現場38年”

2011年8月6日 詩人会議“平和の集い” にての講演
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ala @w_ala

樋口健二さん「“原子力の平和利用”と洗脳されてきたわけですよね、しかしその実態はどうか。原発には黒人も来ていた、77年7月に私の撮った写真が翌年国会で問題になり、帰国後被曝の疑いが出れば国際問題になるじゃないかと無くなりましたが。…白人と黒人とでは宿泊施設にも差がありました」

2011-08-08 21:20:31
ala @w_ala

樋口健二さん「また、何層もの下請け構造の中で、暴力団も跋扈しています。人集めあるところに暴力団が介在しないわけがありません、ピンはねしてるんですね」

2011-08-08 21:22:56
ala @w_ala

樋口健二さん「今回の事故で真っ先に飛んで来てくれたのはフラッシュの記者でしたが、ハローワークの求人票のコピー持って“樋口さんピンはねの構造、変わらないですね”と。そう、今も何も変わっていないのです」

2011-08-08 21:25:47
ala @w_ala

樋口健二さん「原発は高性能の機械化・コンピュータ化が進んでいると一見思われるでしょう。しかしその実、肉体労働です。原発内に飛び落ちて付着する放射性物質を雑巾がけし、それをふき取る。作業員集めに“学歴問わず”となるわけです」

2011-08-08 21:28:00
ala @w_ala

樋口健二さん「原発内で着る作業服、高いからと一回一回捨てないでランドリーに出す、そこでまた被曝する、そんなバカな話です。原発内の高線量の廃液タンクの中に入って溶接工事をする、そんな信じられない作業を必要とするのが原発なんです」

2011-08-08 21:35:27
ala @w_ala

樋口健二さん「原発労働では、年間50mSvで労災認定されます、厚労省の基準です。また年間の被曝量は50mSvが上限でもあるところ今回の事態で100mSvまで許し、更に一気に250mSvに引き上げられ、そして500mSvに引き上げられようと…そこまで上げないと収束見込みが立たぬと」

2011-08-09 01:52:01
ala @w_ala

樋口健二さん「ロボットを使えばいい、と思われるかもしれません。しかし原発内は平常時ですら複雑、なかなか使えないものなんです、そんなものなんです」

2011-08-08 21:45:41
ala @w_ala

樋口健二さん「原発作業者、どれくらいの数だと思いますか?1970年から2009年で200万人、4分の1が被曝しているんです。今回の地震や津波以前の問題、原発の安全性以前の問題なんです。人を潰すな、と。人を潰してまでエネルギーがなければいけないのでしょうか」

2011-08-08 21:50:26
ala @w_ala

樋口健二さん「写真をいくつか紹介します。私の数ある写真の中でも、海外で最も驚かれたのはこの写真です。美浜原発を望むビーチで海水浴をしている風景、この写真を撮ったとき、大学生に、あんたらここで事故があったの知ってるかと聞きましたが、へーって言ってましたね」(注:04年以前の事故)

2011-08-08 21:56:06
ala @w_ala

樋口健二さん「海外のヒトが驚く理由は、事故以前に、日本人は広島・長崎で原爆を経験したじゃないかと、なぜこんな風に受け入れられるのかと。また僅かとはいえ放射性物質を排出していること知っている、そこで泳ぐとは、と。日本人は違いますね、立派な先進的なものが建ってると思うくらいで」

2011-08-08 21:58:38
ala @w_ala

( 樋口健二さんは、この写真で、2001年にドイツに本部のある核廃絶NGO“ワールド・ウラニウム・ヒアリング”のThe Nuclear-Free Future Award を受賞。 http://j.mp/o7XeGm )

2011-08-08 22:01:34
ala @w_ala

樋口健二さん「これは敦賀原発の、内部の汚染区域での装備写真です、汚染度の高低により全面・半面マスクを装着し、作業服は敦賀では、汚染度が危険な区域は赤色、低いところでは黄色で。そう写真展などでふれて回ったものだから、赤服は青色に変更されました、安全性がそんなもので確保できますか?」

2011-08-08 22:16:40
ala @w_ala

樋口健二さん「また被曝は、マスクしてれば防げるというもんじゃないんです、作業員の身体は蝕まれていくんです。40代の親方が死ぬと分かってたからでしょうね、いろいろ話してくれたこともありました」 (:『闇に消される原発被曝者( http://j.mp/qQjMHS )』の表紙写真)

2011-08-08 22:30:41
ala @w_ala

樋口健二さん「これは、1977年11月4日にアサヒグラフ」で13ページにわたって掲載された写真の中の一枚です。これで、いかに原発が人海戦術に依ってたつものだったかが知らしめられたのです、それまでは被曝者は一人もいないとしてきたんです。一週間通いつめました」

2011-08-08 22:33:57
ala @w_ala

樋口健二さん「それまで“被曝者は一人もいない”と言っても、600万円で裁判をやろうとした人を潰したりだとか、家庭の事情があって泣き寝入りしただとか、そんなことです」

2011-08-08 22:37:17
ala @w_ala

樋口健二さん「原発内部は30度以上あり、長靴の中は20分もすればぐしょぐしょに、マスクは視界が悪く苦しい。下請けの仕事の実態は、被曝量じゃない、ノルマ仕事。線量計が鳴り帰ろうものなら、終らしてこいと言われる。息苦しいし視界が見えず作業ができないから、ついマスクを外し終わらせる」

2011-08-08 22:42:18
ala @w_ala

樋口健二さん「内部被曝を問題にしない日本、そんなもの持病だろ、と言ってりゃいい」

2011-08-08 22:46:54
ala @w_ala

w_ala 樋口健二さん「線量計は最後の労働者の命綱です、それを今回の事態で東電何を言ったか、“足りない”と。人を人と思っていないのは、何も緊急時だからこそではない、常日頃からでした」

2011-08-09 19:41:20
ala @w_ala

樋口健二さん「被曝労働者にとっての四種の神器は“アラームメーター、フィルムバッチ、熱蛍光線量計(TLD)、ポケット線量計”です、今は全てを持ちこまないようだけれど。フィルムバッジというのは、感光して後からコンピュータで被曝量をはじき出すというものです」

2011-08-09 01:04:45
ala @w_ala

樋口健二さん「これまでコンピュータ・ルームの制御室なんかを映し、被曝労働者の姿を映してこなかった。あたかも機械制御で~kw発電できる、じゃ、いいじゃないかとされてきたんです」

2011-08-08 22:53:49

             :1977年 敦賀原発  作業後、ハンドフットモニターで放射線計測を行っている

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