#ありもしないはなし 21.3.19~21.6.26

坂鴨禾火 @with_NEGI

夜中に、水を飲みに台所へ行こうとしたとき、窓の一つが明るいので外を見ると先祖が立っていた。窓を開けるとそのまま無言で中に入ってきて、迎え入れてしまった手前、寝に戻るわけにも行かずそのまま部屋の中を動き回る先祖の姿を見ていたら。　#ありもしないはなし

坂鴨禾火 @with_NEGI

先祖は見えているのかまるで判らない、まるい黒目ばかりの目を部屋の中に向けながら、ひとしきり部屋の中を回るとコンロの前で止まった。晩に鮭を焼いて食って、洗うのは翌日にしようと開けたままにしていたグリルがぽっかり暗い部屋の中で口を開けて生臭い息を放っていた。

坂鴨禾火 @with_NEGI

くったのかと先祖が言った。先祖の姿は何度か見ているが、口をきいたのは初めてである。聞き間違いかと思って黙っていると食ったのか、ともう一度言った。ここまで明らかに食った痕跡があって、下手に隠すのも憚られたから、食ったと答えるとそうかと言った。

坂鴨禾火 @with_NEGI

それからしばらくして旨かったかと先祖が聞いた。多少生焼けだったが味は悪くなかったので、うまかったと答えると、そうかとまた言って先祖が黙った。

坂鴨禾火 @with_NEGI

ややあって俺はもうすぐ生まれてくるから、と先祖が聞くとはなしに言って、つ、と進んだかと思うと姿を消した。特にその後変事は無い。

坂鴨禾火 @with_NEGI

生まれ変わる前に子孫に会いに来たが話すこともなくて困ったのだろうなとこの話をしてくれた知人が言った。一人者で、男であるから子供が生まれてくるようもない。浮いた話もなかった。まあどこかで生まれているのだろうという。この人の先祖は岩魚である。

坂鴨禾火 @with_NEGI

道や壁に絆創膏が貼ってあってもはがしてはいけない。その内自然と剥がれるし、絆創膏の下には傷があって、膿んだり痛んだり血がにじんだりしているからだ。　#ありもしないはなし

坂鴨禾火 @with_NEGI

傷は傷としても、何故膿んだり血が滲んだりするのかは判らない。たまに風雨で取れてしまったところを、人が覗いて貼り直している事もある。膿んだり血を流したりするものが何であるのかは知らないが、あまり傷を抉ることはしない方が良い。

坂鴨禾火 @with_NEGI

高齢の人に聞くと、昔は絆創膏の代わりに紙を糊で貼ってあったという。紙には呪いが書いてあって、即ち呪符ではないのかと思う。絆創膏になったのはここ五十年ほどの話だが、紙の時代も絆創膏になってからも、はじめそれを貼る人の姿は見られたことがない。

坂鴨禾火 @with_NEGI

今居郡においてはおよそ桜の森は鬼の棲む所であるから、人が食われたと聞いても大して珍しい話ではない。西の原は人鬼の城主がいたし、森坂には鬼を祀る宗がある。今八幡に鬼と酒を飲む数寄人がいた。花の頃になると酒をぶら下げてふらりと消える。　#ありもしないはなし

坂鴨禾火 @with_NEGI

そのまましばらく戻ってこないので家人が心配していると、また空の徳利を抱えて戻ってくる。曰く鬼と酒盛りをしていたという。元八幡の山の近くに桜禁獄という場所があり、詳しい場所は言わなかったがそこに盲の鬼がいるのだという。盲だから人と鬼の区別がつかない。だから酒が飲めるのだという。

坂鴨禾火 @with_NEGI

この爺（人の方だ）は春になると決まって鬼の所に遊びに行くから家人もしばらくすると慣れた。数年して爺が大病をした。床を離れられない日が続いていたが、あるとき家人が見ると床にいない。厠かと思ったがそこにもいない。

坂鴨禾火 @with_NEGI

勝手から徳利と酒が消えていて、鬼の所へ行ったことが知れた。桜の頃だった。爺が戻ることはなかった。

坂鴨禾火 @with_NEGI

穴のあいた切符を十枚集めて改札に通すと夜の駅に行ける。そこから出る電車に乗って、十枚の内の好きな駅で降りることが出来る。改札を出ると昼の駅に出るが、切符の無い駅で降りてはいけない。　#ありもしないはなし

坂鴨禾火 @with_NEGI

子供がいなくなって、遠い駅で見付かるのはこの為である。

坂鴨禾火 @with_NEGI

縊りの木がある場所は忌み地であるが、見回りや不明者を求めて行く人のためか道がある。あるとき山行の人が誤ってこの道に入り、木のあるところに行くと痩せこけた人の形をしたものがぼうっと木の下に座り込んでいた。すわ死体かと思ったが、縊りの縄の跡もなく、生きているようだった。

坂鴨禾火 @with_NEGI

そのため人里へ帰るようにと説得を繰り返したが返事は無い。日も暮れ果てて途方に暮れて、その日はその場に置いて帰った。木のあるところは道の終点だから、逆しまに辿ってゆけば里に出る。