フィオ、創造とは何だと思う?

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uroak_miku @Uroak_Miku

論理は完璧でも読んでいてわからなくなる文は、ことばのはらむイメージ喚起の力をわかっていないひとが書いているからだ。「魚」と「酒」のふたつが並べば、酒盛りのイメージだったり、日本の庶民のイメージだったり、いろいろなイメージが脳裏に広がるだろう。それらは論旨からは逸脱して生じる。

2021-07-26 13:30:58
uroak_miku @Uroak_Miku

映画脚本では完璧なできに思えたものが、撮影を済ませて各カットを繋げていくと、どうも何かおかしい、物語が上滑りしていくと首をかしげる、そんな経験を、アマチュアから黒澤明くらいの達人まで必ず何度も味わっている。

2021-07-26 13:48:14
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十七歳の女の子が、熟練のエンジニア顔負けの腕前で一人乗り飛行艇の修繕と再設計をこなしてみせる絵…その女の子はどんな格好をしているか?小説ならそんなことをいちいち描写しなくて済むし、描写したところであまりイメージ喚起には貢献はしないだろう。

2021-07-26 13:51:27
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しかし映画ではどうか?エプロンを着けているか着けていないかの違いひとつで、その女の子のイメージは劇的に変わってしまう。手に持っているものがリンゴなのか、何かチェックリストなのかで、やはり彼女の存在理由は劇的に変わる。 pic.twitter.com/trgQFhIoHA

2021-07-26 13:54:11
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同じことが作文にもあてはまる。画像も表もイラストもない、文字だけが続いていくテキストであっても「酒」「魚」の二つのことばからいろいろなイメージが読む側の脳裏には広がるだろう。

2021-07-26 13:56:42
uroak_miku @Uroak_Miku

そのイメージは論旨や物語とは直接には絡まない。17歳女性エンジニアの髪形がおかっぱであろうが後ろで縛っていようが、彼女のナビゲーターとしての凄さを見せつける物語とは関わらないように。

2021-07-26 13:59:11
uroak_miku @Uroak_Miku

しかしエプロンや割烹着には、生活臭を喚起する力がある。普段から飛行機の部品やエンジンに触れている子だと観客は具体的にイメージする。

2021-07-26 14:01:40
uroak_miku @Uroak_Miku

祖父と思しい工場主と手際よく会話している様から、生まれたときからこの工場に出入りしていて、ことばも話せない頃から航空機の整備現場に馴染んでいたのだろうと、バックストーリーが観客には体感される。

2021-07-26 14:03:26
uroak_miku @Uroak_Miku

「酒」「魚」の二つが並んだとたん、読む側の脳裏にはイメージが広がる。それは繰り返すが論旨や物語とは無関係にだ。そしてひとはよくこうした脳裏に勝手に自分が広げたイメージを一義に、作文を読み進んでいく。自分のそれと論旨や物語が違う方向に進むと目を回し、ときには立腹さえする。

2021-07-26 14:06:07
uroak_miku @Uroak_Miku

ああ、なんと読者とは身勝手な生き物なのだろう。それは私がまさにそんな身勝手なひとり、それも世の大半の人間のそれを大きく上回る身勝手な読み手だからこそ、ため息をつきたくなる。

2021-07-26 14:09:04
uroak_miku @Uroak_Miku

母語ではない言語でものを書いていると、よけいこの苦しみを味わわされる。

2021-07-26 14:11:16
uroak_miku @Uroak_Miku

クロサワと作文に書きこめば、たいていの外国人は反応してくれるだろう。だが書き手の私は、あるささやかな話題で彼の名前を出したにすぎない。その一方で読む側はこの名に何かを期待する。そしてその後彼の話題が出てこないことに失望し、私の作文をわかりにくいと腐しにかかるかもしれない。

2021-07-26 14:13:48
uroak_miku @Uroak_Miku

暴論といわれることは覚悟のうえで力説するが、作文であれ映像芸術であれ、結局はその消費者たちが集合無意識的に抱くさまざまな偏見、ステロタイプの重層的な網につかみ取られながら、それを忍耐強くすり抜けていって相手の懐に飛び込む、そういう不条理な戦いに耐え抜く…これが創造にほかならない。

2021-07-26 14:19:21

付記。この女の子がどうしてすねを見せているのかわかるでしょうか?「自分の足で立っている女の子」ってことですよ。靴下が縞模様なのは、彼女の愛嬌と、それからアニメーションで柄のある服を作画する困難をものともせず彼女には手間のかかった服を着せてあげたいという駿さまの親心と思われます。