佐藤正美Tweet_20110801_15

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佐藤正美 @satou_masami

私の謳った事は常に「事業の形式化」であり──「意味」の正確な記述であり──、事態と形式との写像であって、少なくとも本質的な意味では「型」であった例(ためし)はないのである。モデルは、その構造の中で記述された以外の「概念」を暗示するが如き噴気孔を決して穿孔してはいない。

2011-08-10 00:53:56
佐藤正美 @satou_masami

形式的構造は事業過程と SE の概念との交錯から生まれるのではない。ロジックによって、われわれが「意味」という言葉で指示している「事態の座標(文脈のなかの座標)」を搦め手にするのである。エンジニアは、グラフを描いて事業を観るのだ。エンジニアにとって、形式のない意味など存在しない。

2011-08-10 00:54:43
佐藤正美 @satou_masami

構文論的に証明可能であれば意味論的に存在するという考えかたがある。その考えかたは、現実的事態の雑多な豊富性に対して純然たる前提を立てなければならない。また、矛盾を内包した あるがままの事態の相がある。かかる事態を記述するということは──ウィトゲンシュタイン氏を読まれん事を。

2011-08-11 00:09:14
佐藤正美 @satou_masami

「論理哲学論考」と「哲学探究」。これらは、近代の哲学において、その最大の情熱である「思考に対する信頼」と「思考に対する懐疑」とによって、極限の表現を追究した哲学者の二つの思考形態であろう。凡そ「形式と意味」を追究するのであれば、正(まさ)しく彼を眼中に置かない訳にはいかない。

2011-08-11 00:10:01
佐藤正美 @satou_masami

ウィトゲンシュタイン氏の天才的思考は、哲学の逆説的景色を明らかにしている、「蠅取り壷に落ちた蠅」として。彼は自分の思考を持て余した事はない、思考そのものを情熱の対象にしなかった、精神を精神で直に観た(と私は思う)。「自分(の精神)を晒す」、これが彼の思索の根本形式である。

2011-08-11 00:10:51
佐藤正美 @satou_masami

「自分(の精神)を晒す」、これは思考の形式というよりも行為の規約と見える。思索と行為との間に隙間を認めない。言語行為を規制するのは文法規則である。そして、文法規則は、われわれ自身が決める規約である。われわれは自分たちの使う言語の中で合意する、これは生活様式の一致である。

2011-08-11 00:11:29
佐藤正美 @satou_masami

私の思考は私の言語を遊離しようとする、だが言語は思考を拘引して離さない。私の思考は私の言語を遊離するように感じるのだが、思考は像(観念)を与えない。そして、思考は辿々(たどたど)しい足取りで現実の中に存在する像(記号)を借用する──それが言語行為ということではないか。

2011-08-12 01:06:42
佐藤正美 @satou_masami

「形式」という言葉は、エンジニアにとって──芸術家もそうかもしれないが──、一般の人々に較べて遙かに切実な意味を持っていることは確かである。「形式」をアルゴリズムと云っていい。そして、アルゴリズムは、現実的事態の清潔な翻訳である。アルゴリズムが魅力を持つ所以は、そこにある。

2011-08-12 01:07:20
佐藤正美 @satou_masami

私はどんな事業を形式化しようとしても、その事業の中で使われている言語(記号)を、その事業から度外視して考えようとする不了見を持ちあわせていない。如何に現実的事態を観ようとしても、もとめられている物がアルゴリズムである以上、言語(記号)を度外視するとなると私の仕事はできない。

2011-08-12 01:07:49
佐藤正美 @satou_masami

事業分析を対象にするモデルの文法は、実際の事業から離れて何の意味も持つことができない。モデルにあっては、制作する事は、形式化として、事業の中の記号(言語)を狙うのは当然の事である。事業の「意味」は事業の概念化によって現れる事なく、事業の形式化として現れるのは当然の事である。

2011-08-13 15:56:06
佐藤正美 @satou_masami

形式の問題と意味の問題とが実(まこと)に深く絡み合ったモデルの文法は、言語の形態論としての性質を帯びるという点にある。モデルが実際の事業を具(つぶ)さに語り、しかも語られた事が実際の事業の結果でもなければ原因でもなく、事業の独立した「意味」として完璧な表現でならなければならない。

2011-08-13 15:56:46
佐藤正美 @satou_masami

モデルにおいては、一つ一つの事態の配列は、整然たる幾何学と云うよりも、最も自然に連鎖した(「先行-後続」関係にある)諸風景の眺めである。モデルの形式的構造は、まるで、個々の事業が持っている文体のように工夫された構造にある、象嵌された曖昧な概念などない総和としての有機体である。

2011-08-13 15:57:26
佐藤正美 @satou_masami

私は、SE のセンスで概念図を描くとか、他のいくつかの企業で実施されている事業のパターンを借用するとかいう程度の問題を云々しているのではない。モデル制作の全プロセスを明らかな一般手続きにすることが如何に困難な仕事か知りつつも、これを実現するのがエンジニアの職責だと意識している。

2011-08-13 15:58:08