飲酒は最終的には自己責任の行為である
- naobotaka_magi
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パラリンピック期間中だが1つ思うことがあった。 近年酒絡みの事件や事故が相次ぎ、ここに来て飲用アルコールの規制強化という動きが相次いでいる。 だが私に言わせればこれは無理筋の話だ。飲み物の事故は明らかに作り手売り手に非があるなどの状況でない限り、高度の自己責任を伴う。
2021-08-30 02:11:06お酒に100%の安全などない。お酒を呑む者は、自分の命を自分で守る自己責任の覚悟が必要だ。 もちろんこういう相当に厳しい発言は時に反発を呼ぶだろう。時には「間違っている」と非難されたり、「人を見捨てて逃げるのか」と誤解され中傷されたりする人もいるのだから。
2021-08-30 02:11:07とくに耳にタコができるほど聞かされただろう「100%安全ではない飲み物を自分の意思で呑むのなら、そこで起こることはすべて自分の責任」という言葉はアルコール中毒の犠牲者に辛辣にうつるかもしれない。
2021-08-30 02:11:07私も若い頃は蒸留酒や韓国酒・中国酒などを呑んだ。だが「倒れてもそれは自分の責任」という大前提は持っていた。昔はなんでもかんでも怒れということもなかったためか、ビールのような低度数のを呑んだ時でも、事故の危険を100%否定できるわけではないことも承知していたように思う。
2021-08-30 02:11:08逆に言えば、日常から離れ、お酒という非日常の領域に入った時点で、すでに「誰かに守られている」という思いは捨てなくてはならない。 酒を呑むのは大人の義務ではない。完全に個人的な嗜好かつ権利の行為なのだ。ならば結果的にそれが事故に繋がっても第一次的な責任は消費者にある。
2021-08-30 02:11:09「グランドキャニオンに柵はなかった」と言ったのは元民主党の小沢一郎だったか。 これがかの民主党政権時代には経済的な自己責任に結びつけられてしまったのは本心ではなかったのかも知れないが、少なくとも飲酒とは重なる部分はある。
2021-08-30 02:11:09今でも「危険は専門家や公的機関が知らせてくれるもの」という過大な期待を抱いている人が多くいる。 危険予知をするために専門家などは努力はする。だが万能ではない。それを考えて危険を伴う行動の自己決定をすべきではないだろうか。
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