フジテレビ抗議デモ、ロンドン暴動から僕が考えたこと ―ネットワーク化と人々の主張のあり方―

柴那典氏(@shiba710)の文章をキッカケに、宇野常寛氏(@wakusei2nd)の著書『リトル・ピープルの時代』を参考にして、未熟ながらも僕なりに考えたことを書いてみました。当然のことながら、ここに書いたこと=お二人の意見、というわけではありません。
8
柴 那典 @shiba710

ロンドン暴動と『リトル・ピープルの時代』 http://t.co/FMHJ0BC

2011-08-23 00:13:29
おりあそ @oriaso

(RTを受けて) ロンドン暴動関連の各種メディアの報道に、僕は非常に物足りなさを感じていた。なぜこのような暴動が起きたのか、原因はいったい何なのか、暴動の参加者はどういう人たちなのか、はっきりとした説明がなかなか見当たらなかったからだ。

2011-08-23 05:03:31
おりあそ @oriaso

話は変わるが、フジテレビ抗議デモは、そこに混ざっている人種差別的な主張を除けば、その抗議の存在自体は正当なものだと思う。しかしながら普通に考えて、べつに抗議デモに何千人も集まるほど大した問題じゃないとも思う。この程度の問題でこんな人数が集まるのは、昔だったら有り得ないだろう。

2011-08-23 05:04:10
おりあそ @oriaso

(実際、かつてのNHKの大リーグ関連報道の多さもそうとうなゴリ押しだったと思うけれど、それに対する抗議デモがあったなんて聞いたことがない。)

2011-08-23 05:04:20
おりあそ @oriaso

じゃぁなぜ実際にはこれほどの人間が集まったかというと、もちろんそれはインターネットの存在、ネットワーク化の進行のためだ。そして多分これは、ネットワーク化によって効率良く、同じ主張を持つ人間たちが集められたというだけのことではないと思った。

2011-08-23 05:04:43
おりあそ @oriaso

ネットワーク化が、みんなで集まって同じ主張・抗議をしたいという欲望を実現可能にしたのだ。そして主張の内容はどちらかといえば後付けのものだ。主張自体がデモの規模のわりにしょぼいのはそのせいだろう。

2011-08-23 05:05:13
おりあそ @oriaso

そういう、みんなで集まって同じ主張・抗議をすることでコミュニケーション欲を満たそうとする欲望自体は多分、ずっと昔からあったものだ。とりあえず戦後では、全共闘の時代に遡れる。この時代にその欲望を実現可能にしたのは、逆らうべき大きなもの(ビッグ・ブラザー)の存在だ。

2011-08-23 05:05:32
おりあそ @oriaso

この大きなものは、その時代では、「アメリカ」とか(疑似人格的な)「国家」の存在感といった言葉で表現できるだろう。それらが強力であったが故に、それらに対する反抗の主張も強力で有り得た。その強力な主張が、主張のもとにみんなで集まって抗議をすることを可能にしていた。

2011-08-23 05:05:53
おりあそ @oriaso

だが、グローバル化が進むことで、(非人格的な)市場がその地位を上げ、逆に(疑似人格的な)国家は存在感を失っていった。抗うべき敵がいなくなったことで、同じ方法は通用しなくなった。それ以降の時代に台頭する統一教会、オウム真理教などはカルト教団の域を出ず、一般大衆の支持は得られない。

2011-08-23 05:06:34
おりあそ @oriaso

しかし現在、「大きなものへの反抗」に代わって、みんなで集まって同じ主張をしたいという欲望を叶えるものが生まれてきていると僕は考える。それがすなわちインターネットの存在、ネットワーク化の進行だ。

2011-08-23 05:06:57
おりあそ @oriaso

日本では、インターネットの発展に伴って、クラスタごとの情報の集約・共有が進んでいる(ニコニコ動画、まとめブログ、ツイッターetc)。そのクラスタにとって都合のいい情報が集約され、その同じ情報を常に共有することで、みなが同一の主張を得やすい環境が整備されている。

2011-08-23 05:07:37
おりあそ @oriaso

そうして、インターネット上のソーシャルメディアのそれぞれの場では、同じような情報・思想を持った人間ばかりが集まるようになっている。そこでは、空気や加速感といったものに身を任せることで、みんなと同じ主張をして、一体感を得たりコミュニケーション欲を満たすことができる。

2011-08-23 05:08:02
おりあそ @oriaso

そうした場において共有しやすい主張とは、その場に居ない誰かへの攻撃である。その場に居ない誰かとは例えば、韓国人であったり、平野綾であったり、“売国奴”と名付けられた人々であったり、カオスラウンジであったり、フジテレビであったりする。

2011-08-23 05:08:40
おりあそ @oriaso

このように、ネットワーク化は人々の主張や抗議のあり方というものに大きな変化をもたらしている。フジテレビ抗議デモは、新しい時代を象徴する一つの例とみなすことができるだろう。

2011-08-23 05:30:37
おりあそ @oriaso

ロンドンでの暴動においても、各種SNSが大きな役割を果たしたそうである。僕はイギリスについてあまり知らないから詳しいことはわからないし、そもそも日本の例といっしょくたにすることもできないだろう。しかし、ネットワーク化がこのような暴動をもたらした可能性は十分にあるのではないか。

2011-08-23 05:10:17
おりあそ @oriaso

そしてそうだとしたら、ロンドンの暴動を、昔のような、大きなものへの反抗という主張によって可能であった運動と同じように論ずることはできないだろう。ロンドン暴動関連の報道に僕が感じた物足りなさは、もしかしたらこれが原因ではないか。

2011-08-23 05:10:42
おりあそ @oriaso

ネットワーク化の進展はこの世界にいったい何をもたらすのか。ロンドン暴動とネットワーク化の関係に関する調査を待つと共に、新しい時代を説明する言論の盛り上がりを期待したい。

2011-08-23 05:11:22