【メモ】差別語使用に傷つくことについて

乙武氏@h_ototakeの障害ネタへの反響等から、差別語使用になぜ傷つくのか、そして、どんな場合にその傷を訴える正当性があるのか(どんな場合にないのか)を考えました。
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satoopen @satoopen

どうもすっきりしない。乙武さんの「自分の障害ネタ」に対する「みんながそんなに強いわけじゃない、傷つく人もいる」という反応。「不幸と決めつけられたくない」、と「(不便への配慮とは別の意味で)特別扱いされたい」は両立しない。

2011-06-09 19:33:27
satoopen @satoopen

うーむ。「自分なら傷つく」ことを言われて平気でネタにしちゃう「強い人」をみると、自分の「傷の正当性」が薄れるような気がして脅威を感じるのだろうか。しかし、いわば「敵」は傷つける人、もしくは傷つける価値観であって、他人の「強さ」を責めるのはお門違いではないか。

2011-06-09 22:22:36
satoopen @satoopen

(承前)「傷つける人」にとって最大のダメージは、相手が「傷つかない」ことで自分の悪意が無効化されること。そう考えると「強い人」の実践によって「私なら傷つく」人は間接的に助けられているともいえるが…ことは単純ではなく「弱者のなかの弱者」という自己規定→自己否定を喚起してしまうのか。

2011-06-09 22:23:38
satoopen @satoopen

@h_ototake @tsubu7 「なぜ差別語に傷つくのか」を考えることが大事かも。私は最近まで「ブスが売りの女芸人」に傷ついてきた。でも、「人を見た目で判断しない人間」という自己像を保つために「美人が羨ましい」という素朴な気持ちを抑圧していたことが痛みの原因だった。

2011-06-20 19:12:12
satoopen @satoopen

@h_ototake @tsubu7 (続き)自他の特徴へのマイナス感情を抑圧すると、「思ってしまった罪悪感」が傷になる。「そう思った自分」を認めたうえで、気持ちを一旦横において、その特徴(を持つ人)との関わりを改めて模索すればいいと思う。差別する自分への罪悪感がキーかも。

2011-06-20 19:25:49
satoopen @satoopen

1)乙武氏(@h_ototake)のカタワ発言への反響から「傷の訴えの正当性」を考える。一般にネガティブな印象を持たれがちな自身の属性(私ならまあブスとか)をネタにできちゃう人の発言を見聞きして「傷つく」ことは実際ある(私もあった)。

2011-08-25 18:17:44
satoopen @satoopen

2)でもそれを「傷ついた!」と訴えるのは間違いだと思う。なぜなら、それは「傷ついた人、その属性を持った人」を蔑視したり貶めたりする発言ではないからだ。逆に、たとえば「ブスのくせに生意気」などと言われて傷ついた場合には、差別に対して抗議する正当性が十二分にあると思う。

2011-08-25 18:23:04
satoopen @satoopen

3)その二種類の「傷ついた」がときに(故意に)混同される。誰かを非難して自分の優位性を確認したい人びとの欲望を満たすのに、傷という錦の美旗は使い勝手がいいようだ。だれかに訴えるべきか、社会を問うべきか、自分に問うべきか、試行錯誤しつつ考えたい。

2011-08-25 18:38:06