戦前の日本の産業界を見てみよ~(自動車産業編)

軍オタの中で有名な、日本の工業力は低かった云々が実際どういうものだったか、 1935年前後の自動車産業を見て、見るとこんなことがあったよ、というお話です。
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ぼろ太@C102 日曜日 東地区 “ア” ブロック 27b @futaba_AFB

自分が度々上げる自動車製造事業法について、当時のトヨタがどういうふうに対処しようとしたのかを、ちょっとつぶやいてみようかと

2011-08-29 00:23:28
ぼろ太@C102 日曜日 東地区 “ア” ブロック 27b @futaba_AFB

さて、自動車製造事業法どういうものだったのか、これを推進した陸軍の関係者の手記とかがあれば見たいものでしたが、今の所見つけられていなかったりorz 新規のフォロワーさんもだいぶ増えたので改めて説明をば

2011-08-29 00:25:18
ぼろ太@C102 日曜日 東地区 “ア” ブロック 27b @futaba_AFB

1920年代、GMとフォードにとってアメリカ国内の市場は飽和し始め、ヨーロッパでの現地生産が始まり(のちにドイツに参入するフォードとGMが色々と軍備拡張の手助けをしたり、戦争中も色々教育していたりするそうですが)、新しい市場としてアジアで最も発展していた日本が目標となりました

2011-08-29 00:28:12
ぼろ太@C102 日曜日 東地区 “ア” ブロック 27b @futaba_AFB

さて、時を同じくして日本の政治の世界は軍部が発言力を強め、権力が分散し、少しずつ舵取りに失敗していくわけなのですが、そんな中兵器を自活できるように!というような事で、様々な産業の国産化が推し進められました。中島飛行機が活動を本格化させるのもこの時期ですね

2011-08-29 00:29:40
ぼろ太@C102 日曜日 東地区 “ア” ブロック 27b @futaba_AFB

そんな中、外国企業が続々と参入するのは、国内産業の育成いよろしくないんじゃという意見が出てくるのは当然流れなので、商工省工務局長の岸信介(元総理大臣で、阿部首相の祖父でも有名ですね)たちが中心となって産業の統制を進めようとしていきます。

2011-08-29 00:33:39
ぼろ太@C102 日曜日 東地区 “ア” ブロック 27b @futaba_AFB

海外企業をどんどん誘致し、現地生産させることで技術力を養ったほうが良いのか(今の中国とかですね)、保護のもと産業育成したほうが良いのか(戦前の日本の航空産業とかとか)意見が分かれるところだと思いますが、とにかく当時の官僚や軍はアメリカ資本を締め出しにかかることにします。

2011-08-29 00:36:07
ぼろ太@C102 日曜日 東地区 “ア” ブロック 27b @futaba_AFB

1935年に制定された自動車製造事業法は750cc以上で3000台以上生産する場合には政府の許可が必要で、逆に政府の許可会社になれば5年間の所得税免除やら陸軍の優先的な買い上げやら、非常に拘束力の強いものでした。

2011-08-29 00:39:29
ぼろ太@C102 日曜日 東地区 “ア” ブロック 27b @futaba_AFB

これを受け、日産と業務提携をしようとしていたと噂のあるGMと日本で新工場を新設し、本格参入をしようとしていた日本フォードはこれにより、事実上撤退を余儀なくされます。(とはいえ品質が当時の日本車と比べダンチだったそうで、人気はかなりあったようです。)

2011-08-29 00:41:08
ぼろ太@C102 日曜日 東地区 “ア” ブロック 27b @futaba_AFB

もっとも、フォードの新工場新設の動きが、官僚や軍部の危機感を煽り、法律制定に動いたという側面もあるそうです。

2011-08-29 00:41:50
ぼろ太@C102 日曜日 東地区 “ア” ブロック 27b @futaba_AFB

さて、トヨタはどうしたかというと、1935年7月、法律制定を受けて自動車部の増強のため臨時の株主総会を開催し、資本金600万ねんの増資を決定し、軍部に売り込むためのトラック開発に注力することにします。

2011-08-29 00:43:58
ぼろ太@C102 日曜日 東地区 “ア” ブロック 27b @futaba_AFB

エンジンは既に乗用車用に開発していたトヨダA型を流用し、フレームはフォードのトラックを分解研究し設計。完成した試作車は長野の山岳地帯でテスト走行したそうですが、プロペラシャフトの折損、ステアリングが聞かない、ミッション破損など、問題が続出したようです。

2011-08-29 00:47:48
ぼろ太@C102 日曜日 東地区 “ア” ブロック 27b @futaba_AFB

溶接、材質、鋳物など根本的な部分での問題が多かったため、直ぐに解決する見通しは立っていませんでしたが、自動車製造事業法に伴い陸軍省の役人による各社の視察が行われ、トヨタは作りかけのトラックを総動員したりして、生産能力が十分であるようにアピールしたそうです。

2011-08-29 00:50:49
ぼろ太@C102 日曜日 東地区 “ア” ブロック 27b @futaba_AFB

そんなこんなで、トヨタはトヨダG1型の販売をスタートさせるのですが、アメリカ車に対抗するため原価割れの価格設定(ということは品質もさることながら製造価格もアメリカよりも効果だったのかもですね・・・)でアメリカ車よりも200円安い3200円で販売を始めるのですが

2011-08-29 00:52:55
ぼろ太@C102 日曜日 東地区 “ア” ブロック 27b @futaba_AFB

抜本的な改善をする前に販売することになったので、当然トラブル続出は予想されていたので、販売先はディーラーの日の出モータースと関係の深い会社に限定し、故障してもサービスマンが急行して、あやまりたおして対処しようとしたようです。

2011-08-29 00:54:43
ぼろ太@C102 日曜日 東地区 “ア” ブロック 27b @futaba_AFB

事業認可のために見切り発車で自動車の製造販売を行ったので、当然に問題は続出し用意していたサービス門も対処しきれないほど、当時国産愛用がブームだったなか、トヨタ車の不具合は新聞で記事になったようです。

2011-08-29 00:55:47
ぼろ太@C102 日曜日 東地区 “ア” ブロック 27b @futaba_AFB

226事件の影響などで、予定よりも遅れましたが1936年に自動車事業製造法は交付され、トヨタ自動車もこれに申請認可をうけ、トヨタの自動車メーカーとしての大きな一歩を踏むことになります。

2011-08-29 00:57:32
ぼろ太@C102 日曜日 東地区 “ア” ブロック 27b @futaba_AFB

豊田喜一郎はこのころについて、あんな法律が無いとできないような商売したくなかったけど、まぁ国内仕様を考えたらやるしか無いよね~、もっと色々チャレンジしてみたかったけど、国のお墨付きを貰えたら成功するようじゃ、楽しみがないよな~みたいなことを言っているそうです。

2011-08-29 00:59:50
ぼろ太@C102 日曜日 東地区 “ア” ブロック 27b @futaba_AFB

というわけで、日本における自動車の世紀をもとに書いてみました。

2011-08-29 01:00:51
ぼろ太@C102 日曜日 東地区 “ア” ブロック 27b @futaba_AFB

日本の航空産業が1920年ぐらいから手厚く育てられていたのと比べると、自動車産業は政治的な情勢変化と、外資企業の本格参入の危機(少なくとも彼らがそう考えたのは確かなようです。)により航空産業の10年も遅れていきなり国産化を進めたという印象を受けざる負えないですね

2011-08-29 01:03:24
ぼろ太@C102 日曜日 東地区 “ア” ブロック 27b @futaba_AFB

私個人は外資企業を排他せずに、存分にノウハウを得たあと楽してズルしていただいて戦争を始めればよかったな~とか思っているのですが、当時の官僚がどういう危機感を持って、この自動車産業を育てようと決意したのかというのも、また今につながる線が見えてくるかもですね

2011-08-29 01:05:06
ぼろ太@C102 日曜日 東地区 “ア” ブロック 27b @futaba_AFB

う~ん、中島飛行機も中島知久平がこれからは飛行機の時代でこれを用意できなければダメだ!という危機感が作るきっかけだったようなので、やっぱり日本のこういう歴史の流れを見る時のキーワードは危機感なのかもしれないですね

2011-08-29 01:07:28
ぼろ太@C102 日曜日 東地区 “ア” ブロック 27b @futaba_AFB

さて、昨日の続きで、自動車事業製造法を受けて外国メーカーがどのような行動を取ったのか昨日に引き続き、日本における自動車の世紀から

2011-08-29 21:03:15
ぼろ太@C102 日曜日 東地区 “ア” ブロック 27b @futaba_AFB

自動車事業製造法の他にも、日本が国際的に孤立していく中で、日本はどんどん経済活動の統制を行うのですが、その影響でGMとフォードは日本から本国へ送金ができなくなり、部品の購入が滞り、自動車の生産が難しくなってきました。

2011-08-29 21:05:37
ぼろ太@C102 日曜日 東地区 “ア” ブロック 27b @futaba_AFB

そこで、抜け道的なルートを使い、フォードは日産、GMはトヨタを経由して部品を輸入し、日本メーカーの委託という形で生産が続けられました。そして出来上がった製品は国内メーカーが買い上げていたそうなので、今のOEMに近いような状態にして、法をくぐり抜けていたようです。

2011-08-29 21:07:59
ぼろ太@C102 日曜日 東地区 “ア” ブロック 27b @futaba_AFB

これがまかり通ったのも、日本車が質も生産力も需要に足りるだけの製品を送り出せなかったという問題があったのも原因の一つだったようです。

2011-08-29 21:09:27