- Uroak_Miku
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半狂乱の脳内(というか室内)Sturm und Drang のなかより、我が私設秘書オーレリーが少し困り顔をしながらも事態を把握し私の癇癪を収めていく。 ぼくのいつものパターンだよワトソン君。
2021-12-06 10:06:24頭のなかを整理したいので少し整理してみます。 19世紀末のニューヨーク、当時の新聞人気漫画。英語の読めない移民たちを購読者に掴むために、日曜版はカラフルな画像でいっぱい。comic strip は目玉コンテンツでした。 pic.twitter.com/xMt9xwU2gc
2021-12-06 12:25:30同じ大きさ、同じ構図の絵が並んで、他愛もない小話が繰り広げられるわけですが、 pic.twitter.com/mwHTQrKAMo
2021-12-06 12:26:4720世紀に入って、だんだんとコマ割りが変わっていく。 これは1908年。ニモという男の子の夢物語。同じ大きさ、同じ構図の絵が左から右に並んでいって、下に改行していくのですが、次第にカメラ目線が fix でなくなっていく。 pic.twitter.com/wU5P5szIsD
2021-12-06 12:53:42ベッドがモノでなく馬になっていく。自らの意思を持った存在、すなわち「キャラクター」となる。異なる絵に異なるポーズで登場しても同一の存在であると見る側には認識される。
2021-12-06 12:57:09「キャラクター」は複数の連なるパネルに「時の進み」を生じさせ、パネルつまり絵画でいうところの額縁をも変化(へんげ)させていった。
2021-12-06 13:05:52en.wikipedia.org/wiki/Winsor_Mc… 作者ウィンザー・マッケイの comic strip はアール・ヌーボーの影響濃厚。天才絵師でしたが新聞社(というか通信社)の雇われ絵師さんです。
2021-12-06 14:29:12先程お見せしたベッド歩行まんがは1908年。パネルが fix 視点でなくなり、ついにはパネルの枠すらベッドが突き抜けだす。しかしそれは慎重に手順を踏んでの表現で、最後は少年ニモの夢オチに終る。
2021-12-06 14:55:25archive.org/details/Little… ああやはりそうやね、1905年の第一回から通しで眺めていくとわかる。コマの fix から少しずつ離れていって character が自由自在になる(=異なるコマの各 figure が同一人物と瞬時に認識される)も、ラストで夢オチして fix に戻る。
2021-12-06 15:43:461917年の comic strip はどうか。「Mutt and Jeff」 作者は別の方ですが comic strip の表現進化を追うための一例として引用。やはりパネル(コマ)は基本的に fix 。 pic.twitter.com/YOLtaZbuEc
2021-12-06 14:57:48マッケイのニモ・シリーズ。1924~1927年頃。劇中人物たちはパネルからパネルへ自由自在。カメラ視点もどんどん切り替わっていく。 pic.twitter.com/yoVztkyGg4
2021-12-06 15:04:411928年登場。口笛を吹いています。アニメーションに音がついた! これがミッキーくんを自律させた。やがて映画館のスクリーンを飛び越えて、子ども用ノートや机やハンカチなど、実世界の物体にあふれだした。 pic.twitter.com/ECRF8zLNzm
2021-12-06 15:10:26歴史は一方方向に進むのではなく、3歩進んで2歩下がる式に進んでいく。「キャラクター」概念の確立もそんな感じ。ミッキーくんが特許と同じだと気づいたウォルト、理論武装してこの特許理論をアメリカ全土で、やがて全世界を相手に布教活動。
2021-12-06 15:19:48