教唆の故意について

0
杉山博亮 @sugiyamahiroaki

1)長年勉強していても、これは何だかなぁ……と思う論点がいくつかある。「教唆の故意」もその1つだ。そもそも、構成要件的故意とは、構成要件に該当する客観的事実を認識(認容)することであるとされる。そして、この理は、正犯のみならず、教唆犯にも、適用されるはずである。

2011-09-01 03:16:39
杉山博亮 @sugiyamahiroaki

2)そうであれば、教唆犯の構成要件的故意も、また、教唆犯の客観的構成要件要素の全範囲に及ばなければならない。だから「既遂の教唆」の故意の場合は、正犯が実行行為によって結果を実現したことについてまでも、教唆者は認識(正確には予見)していなければならない、というのが論理的である。

2011-09-01 03:16:53
杉山博亮 @sugiyamahiroaki

3)ところが、通説(たぶん)は、「人を教唆して犯罪を実行させた」という刑法61条1項の文言を根拠として、教唆犯の故意としては、正犯が「実行行為に着手する」ところまでの認識(予見)があれば足り、結果を発生させるところまでの認識(予見)は不要である、と解する。

2011-09-01 03:17:09
杉山博亮 @sugiyamahiroaki

4)つまり、通説は「未遂の教唆」の故意について「実行行為に着手する」ところまでの認識(予見)があれば足りる、とするだけでなく、「既遂の教唆」の故意に関しても、そのように解しているのだ。しかしこれでは、客観的構成要件要素の一部についての認識であり、結果的加重犯と同様の構造になる。

2011-09-01 03:17:22
杉山博亮 @sugiyamahiroaki

5)そうすると、仮に「未遂の教唆」の故意(正犯の実行の着手までの認識)で教唆したところ、教唆者の意図に反して既遂の結果が発生してしまったという場合、教唆者には「既遂の教唆」の故意(正犯の実行の着手までの認識)に欠けるところはないから、「既遂の教唆」が成立する、はずである。

2011-09-01 03:17:36
杉山博亮 @sugiyamahiroaki

6)むろん、通説は、このような結論を是認しない。「未遂の教唆」の故意と「既遂の教唆」の故意とが重なり合う限度で、軽い「未遂の教唆」が成立するという。しかし、通説によれば、両者の故意は同じなのだ。正犯が実現した結果が既遂であれば、既遂の教唆を成立させるに欠けるところはない。

2011-09-01 03:18:03
杉山博亮 @sugiyamahiroaki

7)「既遂の教唆」の場合には、正犯が実行行為によって結果を発生させたところまでの認識が必要だが、「未遂の教唆」の場合には、正犯が実行に着手するところまでの認識で足りる、と解するのではなぜダメなのか。通説の意図する結論は得られるし、論理的でもある。いまだに通説は理解できない。了

2011-09-01 03:18:39